第11話 いじめ⑪

「おはよう、桜ちゃん」

「あ、おはようございます。アズマさん」


 アズマが昇降口で偶然を装って声をかけると、おずおずとした様子で答える桜。

 アズマの姿に慣れないのかそれとも距離感を掴みかねているのか、相変わらず戸惑っている様子だ。


「あれから大丈夫だった?」

「あ、はい。大丈夫でした。ご心配いただきありがとうございます」

「そう、ならよかった」


(暗示の効果もあったかな。あんまりこういうテコ入れするのはよくないけど、あのままだとまた不安定になってただろうしな)


 昨日あのあと桜に対して気を落ち着かせるために平常通りの生活を送るよう暗示をかけたのだが、そのおかげか昨日よりは彼女の顔色はよかった。

 あとは今後待ち受けているであろうヤツらの行動によって悪化させないようにするしかない。

 アズマが「せっかくここで会ったのだし、一緒に教室まで行きましょうよ」とそれらしいことを言って桜の手を引くと、桜は戸惑いながらも手を握り返してくれた。


(さて、ちゃんと接触はできた、と。桜ちゃんには申し訳ないけど、僕の見立てではこのあとの出来事さえ乗り越えたらあとは楽になるはず)


 アガツマによって事前に集めていた情報によって今後何が起きるかをある程度予知しているおかげで先手を打つ。

 もちろん、今こうして桜に接触しているのも仕込みだ。

 これ以上桜に気負わせないようにするためにも、今後の彼女の生活のためにも、いらない芽は先に摘んでおくに越したことはない。


(……予想通り)


 何やら教室前で騒いでる女性が目に飛び込んでくる。

 敵意や騒音を撒き散らし、いかにも私は怒ってますと言わんばかりの剣幕。

 握ってる桜の手にも力が入り、少々汗ばんでいるのがわかった。


(まぁ、中学生からしたら大人の怒鳴り声は怖いよね)


 萎縮している桜に「大丈夫よ」と耳元で囁いてあげていると、女性はこちらに気づいたのかツカツカと怒りの表情でこちらに向かってきた。


「っ、貴女でしょう!? うちの娘に水をかけたっていうのは!!」


 女性の言葉にびくん、と大きく身体を震わせる桜。

 間近でヒステリックに叫ばれて、怖気づくなというほうが無理があるだろう。


「いえ。違いますけど」


 アズマが桜の代わりに答えれば、目をさらに吊り上げる母親。

 その顔はあまりに醜く、正直見るに耐えられなかった。


「嘘おっしゃい! そもそも貴女には聞いてないわ! そこの東雲さんがやったってうちの娘は言ってるわよ!?」

「私見てましたけど、桜ちゃんはそんなことしてませんでしたよ? というか、これから授業なのに学校で騒ぐってどうなんです?」

「なっ! なんなの、さっきから……っ!! 大人に向かってその態度は!!」


 声がさらに大きさを増す。

 周りにいる野次馬もいつのまにか増えていて、アズマはいつになったら先生達は来るのか、とぼんやりと考えていた。


「大人が子供に向かって怒鳴るほうがどうかしてると思いますけど。学校に来て早々、一方的にやってないことをやったように決めつけられて怒鳴られても困ります」

「なんですってぇえええ!?? うちの娘が嘘をついてると言うのぉおおお!??」


 北原の母が絶叫に近いシャウトをしていると、バタバタバタバタと教師達が走って駆けつけてくる。

 皆年甲斐もなく慌てて走って来たせいか、顔が赤かったり青かったりと息を切らしながらつらそうな表情をしていた。


「北原さんのお母様、落ち着いてください! どうなさったのですか? 生徒もびっくりされてますよ」

「教頭先生!! 一体学校はどういう教育をされてるんです!?」

「どういう、とおっしゃられましても。そもそもどう言ったご用件でしょうか」

「うちの娘が昨日びしょ濡れで帰って来た件よ! 東雲って子にやられたって、南さんのお子さんと西沢さんのお子さんも同様の証言をなさったって聞いたわよ!? 一体どういうことなの!??」

「まぁまぁまぁまぁ、ここではなんですから。生徒達に聞かせる話でもないですし、まずはこちらで話をうかがいますので」


 さすが教頭はこういった状況に慣れているのか、宥めながら北原の母を別室へと案内しようとする。

 担任はといえば、やけに顔色は真っ青でおろおろとしていたが、桜の方を見るなり鬼の形相をし、ぶわっと禍々しいオーラが溢れ出してきた。


(一体どういうことだ?)


「野地先生、生徒達を教室に戻したら貴方はこちらに!」


 担任は教頭に呼ばれると、一瞬で凶悪なオーラを引っ込め、昨日のような朗らかな表情に戻ると「ほら、お前達〜、見せ物じゃないぞ。とりあえず教室戻れ」と生徒達を促しパタパタと教頭のあとを追いかけていく。


(何だったんだ、今の?)


 アズマは担任の様子が気になりながらも、そばで未だに怯える桜の背を撫で、落ち着かせる。

 ガタガタと震える姿は見るのも耐えられないほど可哀想で、少し落ち着かせるためにも「もういなくなったから大丈夫よ」と暗示と共に耳元で囁いた。


「あ、アズマ、さん……」

「大丈夫よ。私がついてるから、ね?」

「は、はい……。でも私、やってな……っ」

「わかってる。ちゃんと私は見てたもの。自信を持って、もし疑われるようなら私がちゃんと証言したっていいわ」

「で、でも、相手は三人で……」

「大丈夫。大丈夫だから、ね。私がついてるから大丈夫」


 ゆっくり、ゆっくりと言い聞かせてように、身体に馴染ませるように暗示をしていく。

 すると、だんだんと落ち着いてきたのか桜の呼吸も落ち着いてきた。


(桜ちゃんの精神もギリギリってところか)


 桜の様子から察するにこれは早々に決着つけないと危ういかもしれない、とアズマは顔を顰めた。

 そして、アガツマにももうちょっと頑張ってもらわないとな、とアガツマに頼むことの要点を脳内で精査しておく。


(先程の担任の様子も気になるところだし、その辺も調べてもらうか)


 なぜ担任は桜を睨んだのか、想定よりも事態は複雑そうだとアズマは考えながら、次の一手のそのまた先をいくために、教室に入るなり桜を席につかせたあと密かにアガツマに連絡をするのだった。

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