第5話 ふたり
本来なら恐怖が支配しているはずの感情に少しの落胆を混ぜながら、樹は走る勢いを落とさず角を曲がった。
「おっと。待ってましたよ」
突然道にゴールテープのように手が延ばされる。
思わず止まると、そこには先ほどの中年男女がいた。
「ここが家なんで。どうぞいらっしゃい」
女性の方が指し示す方、樹のすぐ横には木造の中世を感じさせる家があった。
表札には
どうぞどうぞと促されるまま、樹は玄関をまたぐ。
玄関を通って、一つ扉を開けるとすぐに広いリビングへと繋がっている。
部屋は全体的にチークで統一されており、木材の色を感じられる明るい部屋となっている。
「自己紹介遅れたけれど、私はエリ、そしてこっちは夫のガイ。ゆっくりしていってね」
「あぁ、どうも。おじゃまします」
樹には勿論ゆっくり休むつもりはさらさらない。あまり迷惑をかけないよう、少ししたら家を出ようと思った。
エリとガイ夫婦の家に初めて入ったのにも関わらず、少し落ち着ける気分になった樹は、促されるまま傍らに置いてあったソファーに腰を下ろす。
ふわりと疲れた体を受け止めるソファに、樹は何と無く、「これが高級品ってやつか」と思い、この機会にぜひ堪能しておこうと深々と座った。
その体重を受け、ソファは抵抗せずに深々と沈む。
「こんなにフッカフカなのかよ‼ すげぇな。何でできてるんだろうな」
二人がお茶を取りに行くと部屋から出ていったのを良い事にはしゃぐ樹。
勢いよく座ったり、横になってみたりする。
するとソファは、どれも想像以上の感触を樹にくれた。
思えば自分の生活は高級品とは無縁の生活をしてきたなぁと、ふと自分の人生を振り返る。
家は決して裕福な方ではなく、どちらかと言ったら貧しい寄りだったし樹の生活は確かに高級な家具とは無縁だった。
「高級品との接点と言えば、大会の商品でもらえる食材とかだったなぁ」
ソファに完全に身を預けながら樹はぼんやりとしながら言った。
「マラソン大会の時のカニは美味かったなぁ」
あの頃に食べたカニの味を思い出して思わず頬が緩む。
「そういえば、皆どうなってんだろうなぁ……」
樹は自分の家族や友人をおもう。
訳も分からないままここに———といってもここがどこかもまだ分からないが———来てしまった自分を心配しているだろうか。
「いや、そんなわけないか……」
顔を上にあげると、天井のシーリングファンが回っている。
妙に眩しく感じ目を閉じると、急な眠気に襲われる。
よその家に入ってすぐに眠るなど、本来樹は絶対にしないのだが、奇妙な出来事続きで疲れたのか、葛藤虚しく眠りへと入っていった。
ソファと共に、抵抗虚しく意識も沈んでいく。
* * * * * * *
嫌な予感がした。
いや、本当なら予感なんて感じている状況ではないのだが……。
空中落下中に大量のカラスにつつかれ、斜め方向に落下し、トマトのかごにゴールインした
さっき、俺がいたような気がするんだよなぁ……。すぐそこの場所から。
ぶるぶる震えるからだと、意識が切り離されたように感じる。
「聞こえねぇなぁ おい、お前がやったのかって聞いてんだよ」
うるせぇなぁ。確かに俺がやったのかもしれねえけどよ……この真っ赤に染まった有様を見る限り……だけどよ。何でこうなったかはわかんねえんだよ、まったく。
「……は……ぃ」
全然声出てねぇじゃん、え、これ僕の声?もっと腹から声出せよ。おい。
目の前の強面の顔の血管が浮き出てくる。
あーやっちゃったよ。ハッキリ返事しないからこうなるんだよ。はじめっからパパっと返事しとけばこうはならなかったのかもしれないのにさ。そんなことはなかったね。手遅れだったね。
「はっきり喋れヤァ‼」
そんな至近距離で怒鳴っちゃってさ、ほんと……呆れるよね。
成瀬は少し微笑みを混ぜながらゆっくりと天を仰ぐ。
燦然と輝く太陽がまぶしかった。きらきらと街に明かりを降り注いでいる。
僕もきらきらしてたなぁ ありがとう。人生。
目を瞑る。瞼を通り越しても光を届ける太陽に、「おいおい」と笑いながら注意する。
じょろじょろと水が流れる音が聞こえる。綺麗な音だ。まったく、最高だったぜ人生。さんきゅーな……。
その後、そこには悲鳴と水たまりが残った。
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