第4話 死 Part2

「痛って…ん? ここどこだ?……って。えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」


 妙な向かい風に樹が目を開けると眼下・・に人が。

 一瞬思考が停止するが、すぐに持ち直してパニックになる。


『たーすーけーてー‼』

 心からの大声が空中で放散する。地上の人々は声のした方向、即ち空に目を向ける。


 そう、樹は頭から絶賛落下中なのである。

 必死になって空中でもがく。平泳ぎともクロールとも言えない動きだ。しかしその手に手ごたえはなく、ただ顔に強烈な風がぶつかってくる。

 溺れた犬のようにもがくのも甲斐なしに、眼界を石タイルの灰色が支配し始める。


 鏡の下敷きになって死んだと思った矢先に何故か落下死する。

 自分でも意味が分からない。むしろ分かる人などいるのだろうか。

 

 しかし、信じたくなくても現実なのである。目の前の現実が……………あ、死ぬ。

 事実から少しでも目を背けようと反射的に目を閉じる。


「……え?」

 地上とキスする寸前、空中で停止した……のか?


 恐る恐る目を開けると、目の前すぐそこに先に上空で見た地面がある。

 空中で逆さまの体制のまま「ふぅ~」と安堵の息を漏らす。客観的に見るとそれは「空中で逆さまになり地面に息を吹きかけている男」という変態に見えるだろう。


 恐る恐る手を地面に伸ばし、着き、地上に無事着地する。いや、着陸と言った方がいいだろうか。

 何でかは分からないが、一先ず助かったみたいだ。


 手の汚れを祓いながら樹はあたりを見回す。

 

「どこだよ……ここ……」

 樹の口からポロリとこぼれる。


 樹が今いる場所は先ほどまでいた薄暗い会場などではなく、太陽の日が照る商店街の通りだった。しかもそれは商店街とはいっても、近代の場所が整理されているものではなく、屋台や露天商が好き勝手に並ぶ、まさに中世風の通りだった。


 中世風なのに気づいた樹は、ハッとする。言葉が通じるか不安だ。

 タイムスリップするにしてもなんにしても言葉が通じないとやっていけない。樹は英語が得意ではない。


 きょろきょろと周りを見て、自分を中心としてできている円の素である人の顔を見ると、どうやら様々な人種がいるようで、言葉が通じるか不安が残った。


 どうやら何故か色んな人種が住む、中世風な場所に飛ばされたようだ。なぜだかはわからんけど。


「うーん……」

 顎に手を当てて、周囲の好奇の視線そっちのけで何やら考え出す樹。

 その様子をある程度の距離を取りながら野次馬のように見ている人々の円の中から、不意に二人組が樹の方へと近づいてきた。

 中年の男女である。両方とも金色の髪を持っているため、特定はできないが、少なくとも日本人ではないだろう。二人とも穏やかそうな顔をしている。


 肩をぽんぽんと叩かれ現実に引き戻された樹はハッとその向きに顔を向けた。

 そして赤い髪のの二人組を見て若干たじろぐ。再度言うが、樹は英語があまり得意ではない。


「は、はろー」


「すいません。今空から落ちてきたようですが、怪我はありませんか?」


 委縮していてほとんど聞こえない樹の英語は、どうやら本当に耳に届かなかったようで、完全にスルーされる。


 男の方の、物腰柔らかな問いと、その口から出たのが馴染みの日本語だったために、樹は緊張感を少し緩める。


「は、はい。なんでかは分かりませんけど、無事みたいです」


「そうですか。でも……」


 女の手が樹の顔の方へ延びる。


 一瞬、何かがあったような、違和感を感じた。

 が、それは取るに足らない何と無くのものだった。


「血も出てるみたいですし、一応家で見ましょうか?」

 女の指が樹の頬をなぞった。見るとそこには血がついている。


「私、看護師やってるんです。ここであったのも何かの縁だと思って、遠慮せず来てください」

 優しそうなほほえみを浮かべながら彼女は言った。

 樹はその笑顔を見て「看護師がこの人の転職だろうなぁ」と、ぼんやり思った。


 この幸運なシチュエーションに、樹の中には断る選択肢はなく、情報収集もできるしなと二つ返事でその案を快諾した。


「幸運なこともあるもんだねぇ、俺の人生にも」


 そう呟きながら、樹が二人の後についていこうとしたその時、背後で沢山の何かがつぶれる音がした。

 文字に起こすとバキブチバキブリュのような感じだった。

 樹も含め、人々の視線がさっと音のしたほうに向く。


 屋台の商品が入ったかごの中に真っ赤に染まった人が入っていた。

 沈黙が一瞬通り過ぎた後に、人々は口々に悲鳴をあげながらその場から逃げ去っていった。

 樹は、現実離れした出来事が続くためか、人々の逃げる流れに取り残され、その場に立ったままでいる。


 かごに入っている真っ赤に染まった男(男というのは大きさと体格からしておそらくだが)は、首だけで辺りを見回した後、ブルブルッとっ身震いし、手をはたき、顔を拭き……


「え、俺……?」


 赤に染まっていた男は自分に瓜二つだった。いや、他人の空似レベルじゃない。もはや自分でも見分けがつかないレベルにそっくりだった。


 次々と訪れる理解を超えた出来事に、軽くショートした頭で、樹は呆然と目の前の光景を目に映す。


 不意に、暫く顔についた赤色(血か何かだろうか)を払っていた男と眼が合った。男の目が見開かれる。


 逃げろ


 理性がそう言った。

 しかし、ショートした脳みそは体に指示を送らない。


 樹は一歩も動かずにその場に突っ立っている。


 血に染まった男が、かごを乗り出してこちらに近づいて来ようとする。

 かごを超え、通った道を鮮赤に染めていく。


「おおーい! てめえうちの商品に何してくれてんだよ!」

 突然、全音に濁点がついているその怒号の持ち主が、店内から勢いよく飛び出してくる。

 厳つい顔面に合う鋭い目に睨まれ、赤い男も少しびくっと震える。


 ドスンドスンと効果音が入りそうな足取りで赤い男に近づいていく厳ついおっさんに、今度は赤い男がフリーズする。


「おい、お前か。うちの商品を台無しにしてくれたのは」


「……は、……はい」


 ブルブルと震えながら血の男は答える。その様子は明らかに怖がっていた。まぁ、気持ちは分からなくもないが。

 血の男は自分にそっくりなので、何故かこっちまで怒られてる気分なってくる。


「聞こえねぇなぁ おい、お前がやったのかって聞いてんだよ」


「……は……ぃ」


 全濁音の質問にさらに小さくなる返事。


 あいつがこのまま怒られた場合、そっくりな自分も今後危ないんじゃ、と思った樹は他人事で見てる場合じゃないと、心の中で縮こまった男にエールを送る。


「はっきり喋れヤァ‼」

 浮き上がった血管がはち切れそうなその怒号に、さらに震えていた血の男だったが、突然、悟ったような表情になった。

 そして強面店主との目線よりさらに上、明るい太陽が昇る空に顔を向けた。

 達観したような表情に太陽の光が降り注ぎ、なにやらカッコいい雰囲気が醸し出される。


 その得体のしれない強者感を感じ取ったのか、強面店主も威勢をなくし、一歩距離をとる。


 樹は自分とうり二つの男の突然の行動に少し期待を寄せる。

 何者かは分からないが、自分の姿をした人間のカッコ良い行動を見てみたい。


 三人を残して誰もいなくなった通りに、束の間の静寂が訪れた。


 自分の唾を呑む音が聞こえる。

 緊張感のせいか、口が妙に乾く。舌が口の中で張り付く。


 水が欲しい


 じょろろろろ


 そうそうこんな感じで水道から水を……


 目に映った光景の審議を確かめるように、樹と店主は同時に目を見開いた。

 二人の目は共に血の男の足元に広がる水たまりをとらえている。

 その水たまりは徐々に大きさを増している。

 

 樹は回れ右をして逃げだした。

 背後から自分の声で悲鳴が聞こえる。


「声まで似てるのかよ。まったく」


 自分の醜態を目撃してしまったような樹は浮かない気分のままその場から退散した。

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