第3話 死

 敗者  夏目樹。


 このゲームが始まったときは敗者の欄に自分の名前があるなんて考えもしなかった。

 国民の誰か、自分が知りもしない人が知りもしないところで死んでいくと、どこかで他人事のように考えている自分がいた。

 正直、今も夢なんじゃないかと思う。

 目の前の鎧の男がこちらを振り返って「今までのこと全部ドッキリでした」と言ってきたら「ああそうでしたか」と普通に受け入れてしまいそうだ。

 なんならそっちの方がまだ現実味がある。


 俺は首紐に導かれ、会場の薄暗い照明によって足元に落とされた影を目に映しながら、されるがまま鎧の男の後について階段を上っていた。

 これからどこへ向かうのかは分からないが、何が起こるのかはわかる。


「もう終わりか~俺の人生。早かったな~」

 それは口に出したのか、頭の中でただぼやいただけなのかは分からない。


 目の前の鎧の男はなおも上層階に向かって歩き続けている。

 意思もなく自分の瞳にその後ろ姿を映した。


 階段を上っていると、不意に意識が飛びそうになった。

 自分がこの世界に居るのかいないのか分からなくなる。この世界に置いての自分の存在があやふやになる、ふわふわとした夢の中みたいな気分。


 意識がグワングワンと揺れる。視界が濁っていく。それと共に、生きる気力も自分が生きてきた意味も濁っていくように感じる。


「あ、やっぱり樹になったか」


 その声を脳は空耳だとして処理した。


「おーい樹大丈夫か……って、大丈夫なわけないか」


 二回目の幻聴に、俺は顔をあげる。目の前の鎧の男も顔をあげている。

 二人の見ている先は階段の上。踊り場から見上げるようにして見ている。

 そしてその先にいる声の主は……


「成瀬か……」


 俺にとっては求めてもいない人。最期に会いたいとは嘘でも思えない人だった。


 成瀬は階段をゆっくりと降りてくる。


「僕も君が負けると思ってたよ。日本一の不運男の称号おめでとう」


 成瀬はそう言って俺の肩にポンと手を置いた。


「最後に勝つのは僕だったね」


「……」


 その時、すっかり失活していた樹の心に変化が生じた。


 ———どうせ死ぬのなら、どうせこの先の人生が俺にはないのなら、ここで一発、この憎たらしい奴にお見舞いしてやる。


 樹は成瀬と向かい合った。

 至近距離で視線が交錯する。


「どうした? 君の親御さんに何か伝えといてあげようか?」


「あぁ。そいつはどうもありがとなっ」


「⁉」


 樹の突然の打擲。

 さっきまで生気を失っていた人とは思えない行動に、鎧の男も制御が半歩遅れる。

 樹の渾身の右ストレート。運動神経の良さ故か、はたまた怨念の影響か、相当な速さと威力で成瀬の方へと繰り出された。

 勿論至近距離で繰り出されたその攻撃を回避できるわけもなく、樹の打撃は成瀬の腹部に命中した。

 打撃をもろに受けた成瀬は勢いよく壁に激突する。

 激突の威力に、成瀬の重い体重も相まってか、地震が来たように建物が揺れる。


 痛がる成瀬の様子を見て樹はフンッと鼻を鳴らし、階段を上ろうとしたその時、成瀬と反対側の壁に取り付けられていた巨大な鏡が壁から外れ、樹たち三人の方へ倒れてきた。


「やべっ」


 樹はとっさに回避しようと階段を駆け上がろうとするが、首紐に引っ張られ、元の踊り場に背中から着地する。鎧の男もそれに巻き込まれ、踊り場に倒れた。


 倒れてきている鏡が、樹の視界を段々と蝕んでいく。


 ———あ、俺。ここで死ぬんだ。


 無意識がそう自覚した瞬間、世界がスローモーションになる。

 視界の中で鏡の存在が大きくなっていくのをただただ何の抵抗もしようとせずに見つめる。


 ———まぁ。遅かれ早かれ俺はどうせ直ぐに死ぬんだし。あいつを巻き込めるだけいいか。この鎧の人には申し訳ないけど……あ、この人は鎧があるから大丈夫か……


 停滞した時間のせいか、そんなことまで考える。


 不意に、眼の端に恐怖で今だその場を動けていない成瀬が映った。

 

 それを見て樹はフッと笑う。そして目を閉じた。


「さようなら。お母さん……みんな……」


 直後、巨大な鏡が三人に直撃した。

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