第8話楓子の思い
そして、午後の授業を終えてエルダー選挙について考え事をしながら廊下を歩いていた時だった。
「あら・・・」
「ん・・・あ、えーと。楓子さん、ごきげんよう」
声に振り向くと、そこには華道部の部長の楓子さんがいた。
「どうなさったのですか?このようなところで」
そう言われて周りを眺めると、特殊教室の前まで歩いていたことに気がついた。
「少し、考え事をしていたのですがいつの間にかこんなところまで来てしまっていました」
「まあ、伊澄お姉様は見かけによらずおおらかなのですね」
「ふふ、そうですね。お恥ずかしいですが」
「あ、そうです。伊澄お姉様、まだお時間はおありですか?」
「え?ええ。今日は特に用事もないですので」
そう返事をすると、楓子さんは私の手をとった。
「それならば伊澄お姉様、少しお付き合いください」
「え、ええ・・・」
どうしたんだ楓子さんは・・・。
急にそんなことを言い出すなんて。
そして、私はそのまま楓子さんに連れて行かれた。
「どうぞ伊澄お姉様、お上がりください」
「それじゃあ、失礼しますね」
ここが修身室なのか・・・。初めて入ったけど。
「あっ、申し訳ありませんがこちらに記名していただけますか?規則になっておりますので」
そう言って、楓子さんは『修身室利用記録』と書かれたノートとペンを差し出してきた。
「わかりました」
「貴重な茶器や道具がありますので、一応訪室者の記録をとるように言われてるのです」
「なるほど、そういうことですか」
何か事件が起こらない限り、形式上のものだろう。
「どうぞ、お好きなところにお掛けください」
「ええ、ありがとう」
私は辺りを見渡してから正座をした。
「せっかくですのでお茶でもいかがかと思いまして・・・あら、伊澄お姉様」
楓子さんが茶道具を持ってきて、少し驚いた表情をした。
私が今座っている場所のことだろう。
「私は客ですから下座で結構です」
床の間がある場合、和室では床の間に近いほうが上座になる。
「解りました・・・では、少々お待ちになってください」
楓子さんは、私の前で抹茶をたててくれた。
「・・・この風炉はもしかして電磁式ですか?」
風炉の下から電源コードが伸びている。
「はい。学園で炭を使うのも危ないですから」
なるほど、確かにそれはそうだ。風情にはかけるが湯が沸くのも炭より早いだろう。
楓子さんの手が優雅に動いて柄杓から茶碗に湯が注がれる。
白魚のような指という喩えが似合うのはきっと彼女みたいなのをいうのだろう。
ゆっくりと茶せんを沈め、徐々に早く泡立てていく。
「お待たせしました、どうぞ」
「ありがとうございます」
茶席というわけでもないので、そのまま受け取って、一口いただく。
爽やかな抹茶の苦味が口の中に広がって、香りが鼻を抜けていく感じがする。
「はあ・・・茶席以外で頂くのは初めてですけどいいものね」
「菓子などお出ししませんでしたけど、大丈夫ですか?」
「ええ。子どもの頃は飲むたびに涙目になっていたものですが」
子どもにとっては、苦い薬以外のなにものでもなかったしね・・・。
「ふふ、そうですね。昔は菓子目当てでお稽古をしていたような気がいたします」
「楓子さんも?」
「もちろんです。菓子がなかったら今頃はお茶なんてやっておりません」
「まあ、ふふっ・・・そうですね」
外見からは思いもかけない言葉で、私は笑ってしまう。
「先日お会いした折から、伊澄お姉様とはもう一度お話したいと思っておりました」
「あら、どうして?」
特に、変わった会話をしたわけでもなかったと思うけど。
「やはり伊澄お姉様はわたくしと色々よく似ております」
似ている・・・?そうかな・・・。
「私には楓子さんみたいな落ち着きはありませんけどね」
「お褒め頂けるのは嬉しいのですが、わたくしはそんなに可愛げのある女ではないのです」
楓子さんはちょっと苦笑いをしながら自嘲気味に言葉をこぼす。
そんなフレーズに、ふと彼女の活けた生け花を思い出す。
厳格な生け花の様式から外れ、はみ出そうとするような形と色彩。もしかしたら、今見えている彼女の姿は本当の姿ではないのかもしれない。
「なるほど。きっと楓子さんには楓子さんなりの野望があるのね」
「野望・・・そうですね。そうかもしれません」
心から楽しそうな楓子さんの声。ワクワクを隠せないような、そんな感じ。
「・・・わたくしのことをそんな風に思って頂けた方は初めてです!」
その瞬間、楓子さんの表情が一変した。
今までの落ち着いた表情が消え、まるで悪戯好きの子供みたいに目を輝かせていた。
「わたくし、伊澄お姉様とお友達になりたいのです」
・・・とてもしおらしい女の子に見えていたのに。そう思うと噴き出しそう・・・というのも少し違う。なんていうか、思わず笑ってしまいそうになった。
「あらあら、面白いわね楓子は・・・でも駄目よ」
「えっ・・・」
今は不思議と、さん付けが似合わないような気がしたからそれをやめた。
私を見るその目がまるで子供みたいだったからだ。
「・・・だって、私達はもうお友達じゃない」
「あっ・・・はい!」
不思議とスッキリとした顔で彼女は私を見つめていた。
「・・・やっと分かったような気がいたします」
「え、何がかしら?」
「伊澄お姉様に楓子と呼ばれて、初めてわたくしは自分がお姉様をお茶にお招きした理由を理解したような気がして・・・不思議なものですね」
自分でもわかっていなかったのか。
「もしかしたら甘える相手が欲しかったのかもしれないわね。もっとも、それが私に適任かはわからないけれど」
同級生からの尊敬を一身に背負う彼女には、息をつける場所もなかったのかもしれない。
「・・・やっぱり不思議です。伊澄お姉様はわたくしが言葉にできないことを何でも簡単に言葉になさって下さいますね。本当に不思議です」
「似ている・・・。そう、似ているのかもね。私達は」
「伊澄お姉様・・・わたくし、お姉様に甘えさせて頂いても、宜しいのでしょうか?」
理解できたら、今度は直球でせめてくる・・・少し上気した頬に、こちらがドキリとさせられる。
・・・でも、それは僕にじゃない。『女性』としての伊澄に対してのものだ。
「可愛い妹ができるのは歓迎よ。でも、私が貴女の期待に添えるかは自信がないわね」
「構いません・・・だって、今まで甘えることができる人などいないと、そう思っていたのですから」
「そう・・・」
「ありがとうございます・・・伊澄、お姉様」
楓子は私の手を取ると、そっとそこに自分の頬を押し当てた。
そして、私達は修身室を出た。
「またいつでもいらしてくださいね、伊澄お姉様」
「もちろんよ。じゃあ、ごきげんよう・・・楓子」
「ごきげんよう、伊澄お姉様」
そして楓子は去って行った。
(・・・今、お前は何をしてきた・・・伊澄!『あらあら』って何だよ、『あらあら』って!・・・いやいや、『宮村伊澄』的には間違ったことはしていないんだから・・・はっ!?)
でも、思わず笑っちゃったはずなのに『まぁ』とか頭につけてたよな、僕・・・。
「あぁ・・・僕、やっぱりもう駄目かも・・・」
性別の境界線がかなり危うくなってきている気がする。
「あ、伊澄ちゃんおかえり」
寮に帰ると、ちょうどエリカに会った。
「ずいぶんと遅かったじゃない」
「ええ。ちょっと楓子にお茶に誘われて」
「・・・何、御前を呼び捨てなの?お安くないわね」
「ええと、まあ・・・成り行きで」
こうして私は『御前』と呼ばれる楓子と少し仲良くなったのだった。
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