妻子持ち冒険者は夫婦仲を憂う

江戸エド

第1話

 たぶん、今年の春で31になる。つまり、日本からこの世界へ瞬き一つで転移していた俺の人生は、今年で十六年目を迎えたということだ。

 「終わったの?」

 「え、あー、うん」

 「なら、ぼーっとしてないでさっさと戻って来なさいよ。せっかく作った朝食が冷めちゃうじゃない。まったく、もう」

 「あー、うん。ごめん」

 日本で過ごした時間よりも異世界で過ごした時間の方が長くなってしまった事に思いを馳せる事が多くなった俺は、最近よく妻の機嫌を損ねている。

 「もおー、遅いよ父ちゃん。何やってたんだよ」

 今年7歳になる息子は最近生意気な口を利くようになった。

 「さ、食事にしましょ。あなた、お祈りをして」

 妻に、言わなくても分かっている事をあれこれと指図されるようになったのはいつからだろう。

 「家族がこうして食卓を囲える幸福を主と聖霊に感謝申し上げます。私達家族はこれからも神々と聖霊の教えに従い生きて参りますので、どうかその大いなる慈悲によって私達家族の平穏をお守りください。食事を用意してくれたシアもありがとう」

 「母ちゃん、ありがとう」

 「まんま、ありあとう」

 もうすぐ二歳になる娘の舌っ足らずな喋り声に、妻と俺の顔に自然と笑みが浮かんだ。

 「兄さんが今日も畑を耕すのを手伝って欲しいって」

 「え、今日も?今日はうちの畑を耕すって、昨日お兄さんには言ったと思うんだけど……」

 「別にうちの畑が遅れたって問題ないでしょ?どうせうちの畑には牧草しか生えないんだから」

 息子が生活に困らないように畑が欲しいという妻の要望を聞いた俺は、それもそうだなと思い、村の一番外側にある未開拓の土地を村の合意を得た上で開拓した。二年かけて一人ぐらいならどうにか食べていけるだけの小さな畑を。

 しかし開拓をしたはいいが、妻の親戚の畑や領主の畑の世話、俺の仕事の都合などもあって、俺が心身をすり減らして開墾した畑は、未だに牧草以外の作物を育てた事が無い。

 俺はその事に不満を感じたことは無いが、農家出身の妻からすると、畑を持っているのに何の作物を育てていないというのは、肩身が狭い思いをする恥ずかしい事らしく、事ある度にちくちくと文句を言われる。だから、

 「今年は芋を育ててみようと思ってたんだけど。君も牧草以外のものを育てて欲しいって言ってただろ?」

 「去年もそう言って結局何もやらなかったじゃない」

 「いや、だから……」今年はやろうと思ったんだけど、なんて言っても無駄だよな。やると言ってやった事なんて一度も無いんだから。

 「そうだな。どうせ牧草を植えることになるなら、お兄さんの畑を手伝った方が良いよな」

 今年こそはと意気込んでいた気持ちをないがしろにされて苛立った俺の声は刺々しかった。

 「何なの、その言い方」

 妻の顔には口答えをする子供を叱るような表情が浮かんでいた。

 「……ごめん。今のは俺が悪かった」

 「嫌なら別に手伝わなくてもいいのよ」

 「嫌だなんて言ってないよ。自分の畑を耕すつもりだったと言っただけで……お兄さんの畑仕事を手伝う事が嫌だなんて一度だって思ったことは無いよ。お兄さんには色々とお世話になっているし」

 妻と結婚して4年。倦怠期と言う奴なのだろう。俺と妻はちょっとした事で揉める事が多くなった。

 「他にやりたいことがあるなら無理して兄さんの仕事を手伝わなくても良いのよ。兄さんは手が空いているなら手伝って欲しいと思っているだけなんだから」

 玄関を出ようとしていた俺の背に妻が言った。

 「分かってる。無理はしてないよ。手伝いたいから手伝うんだ。じゃあ、行ってくる」


 俺が暮らしているミンク村は標高の低い山と平地と大小幾筋もの河川が混在する日本の故郷に良く似た地形と気候をした場所にあり、遠くに見える山脈の山頂付近にはまだ雪が積もっているのが見えた。

 「おーい、ハルさーん。お客さんだよー」 

 降り積もっていた雪が溶けてぬかるんだ妻のお兄さんの畑で、馬が引くすきを泥だらけになりながら操作して耕していた俺は、犂を引く馬を誘導していたお兄さんと顔を見合わせて目で言葉を交わした。

 (すみません。俺に客が来たみたいです)

 (みたいだね)

 泥に塗れた村人とは対照的な垢ぬけた小綺麗な格好をした四十過ぎの男が、目の合った俺に向かって、軽く手を上げた。

 俺はそれを見て静かにため息を吐くと、馬を労わる様に馬の首を撫でているお兄さんへ顔を向けた。

 「仕事か?」

 嫌そうな顔をしていた俺の顔がおかしかったのだろう。お兄さんは面白そうに笑って言った。

 「……ええ。たぶん、受ける事になるでしょう。少し話をしてきます」

 「そんな嫌そうな顔をするなよ、ハルさん。わざわざこんな所まで仕事を持って来てくれたのにさぁ」

 俺はお兄さんの問いに肩を竦めて答えた。

 ギルドはわざわざこんな所まで人を寄こすほどお人好しでもなければ、そんな事に人手を割けるほど余裕がある訳でもない。

 「こんにちは。渡り鳥のハルさん」

 「こんにちは。止まり木のグラントさん」

 ギルドとギルドの所属する冒険者が交わすお決まりの挨拶を終えた俺達は、事前に示し合わせた様に人気の無い村の外れに向かって歩き出した。

 「去年もその前の年もその前の前の年も言いましたよね?」

 「私も言いましたよ。去年もその前の年もその前の前の年も。他に頼める人がいないんです、と」 

 「なら前もって他所から人を連れて来ておけばいいじゃないですか、と俺はもう何年も前からずっと言ってますよね?」

 「誰だって作らなくてもいい借りは作りたくありませんし、払わなくてもいい余計なお金は払いたくないんですよ。と去年も言いましたよね?」

 俺は顔をしかめ、グラントさんはご不満はおありでしょうがご理解くださいとでも言うようなかしこまった表情を浮かべた。

 「若い娘さんが一人と若い男が三人。探し出して来てください」

 グラントさんは肩から下げていた革鞄から、それぞれの似顔絵と個人情報が書かれた紙を取り出して俺に差し出した。俺はそれを受け取って言った。

 「連れて帰るかは俺の判断で決めますよ?」

 「依頼人は絶対に連れ帰って来て欲しいと望んでいますが、状況によっては見つからない方が幸せな事もあるでしょう」

 俺はグラントさんから受け取った似顔絵が描かれた紙へ視線を落とした。

 「連れさらわれた可能性のある子はいますか?」 

 「いえ、おそらくは全員自分の意志で出て行ったと思われます」

 グラントさんは肩から下げている革鞄に手を入れて小さな布袋を取り出した。

 「前金の12ゴートです。お確かめ下さい」

 俺は布袋の中を覗いてゴート銀貨が十二枚入っているのは確かめてベストの内ポケットにしまった。

 「畜産ギルドが言うには、最近取引をしたのはアスタットとフリングから来た牧童たちとのことです」

 俺はグラントさんに質問をした。その牧童たちが何処から来て何処へ行くつもりだと言っていたのか。連れている家畜は何でどれだけの数が残っているのか。その牧童たちが町にどれだけの日数滞在して何を買って行ったのか。

 「期限は十日で構いませんか?」

 俺は頭に地図を浮かべ、捜索に掛かるだろう日数を数えた。

 「そうですね。それ以上は足が出ますし」

 俺とグラントさんは村の外に向かっていた足を止めて踵を返すと、互いに無言で村の中に向かって歩き出した。

 「今回の件とは関係のない話なのですが」

 俺がこの後の予定についてある程度の道筋をつけたのを察知したのか見計らったのかは分からないが、俺が話を聞くには丁度いいタイミングでグラントさんは話し始めた。

 「弟子を取る気はありませんか?」

 随分と脈絡のない唐突な話をする。

 「いいえ。そんな事は考えたこともありません。今は家族と過ごす時間を大切にしたいですから。それはグラントさんもお気づきでしょう?」

 「はい。ハルさんは断るだろうなと思っておりました。なので、駄目元でお声がけをさせて頂きました」

 「そうですか。無理やり弟子を取らされるのかと思って冷や冷やしましたよ」

 と俺は胸を撫で下ろし安堵の息を吐く振りをした。

 「そんな事はしませんよ。そんな事をしても誰も得をしませんからね」

 「そうですよね。そんな事をしても、誰も得をしませんよね」

 「もしそんな事したら、ハルさんはギルドを辞めてしまうかもしれませんからねぇ」

 「あ、アハハハハ」

 グラントさんに図星を突かれた俺は笑って誤魔化した。

 

 

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