第4話 実に無邪気

 幼稚園児というのは実に無邪気なものである。だが、彼らには「邪気」が無いのではない。「邪気」を「邪気」と捉えていないのである。

 例えば、あそこにいるやつは三谷先生の尻を執拗に触りまくっている。セクハラだ。

「もー、おしり触っちゃダメだよ。」

 三谷先生はそう言って軽く流すが、それはいけない。ヤツの将来を思ってここは私が怒ってやらなくては。

 握り拳を一発。ゴッ。

「三谷先生が嫌がってるだろ。やめろよ。」

「……ぅぅうえーん。せんせー!まさやくんがたたいたー!」

「なっ!お前が三谷先生に――!」

 そう言いかけて再び右手を振り上げると、先生にその右手を止められた。

「こらこら、喧嘩しちゃダメでしょー?」

「だってこいつが……。」

「ありがとうね。正也君は先生を守ってくれようとしたんだもんね。」

 なだめられた私は少し冷静になり、小さくうなずく。

 いかんな。体が子供であるということは脳のつくりも子供ということである。それ故に理性を司る部分も子供レベル。感情が優先して手が出てしまった。

 断っておくが、この行動は先生が言う通り、先生を守るため、そして、ヤツの将来を思って故のものである。決して先生の尻を好き放題に触るのが羨ましかったなどということではない……。

 幼稚園児というのは本当に無邪気だ。



 「邪気」を「邪気」と扱わない者がいる一方で、本当に「邪気」のない行動をしてくる者もいる。さえちゃんである。

 どうやら彼女は私に好意があるようだ。ままごとのときには必ず私をさえちゃんの旦那役にするし、どこか行くにしても大体手を繋いでくる。おそらく私の両親はそのような二人が一緒にいる姿を見て、「私がさえちゃんを好き」であると勘違いしたのだろう。

 そんなさえちゃんの無邪気は今日は格別だった。

「ねーねー、まさやくん、こっちきて。」

「どこー?」

「こっちー!」

 そう言うと、さえちゃんは私を遊具の陰に連れて行った。

「こんなとこに連れてきてどうしたの?」

「まさやくんって『チュー』って知ってる……?」

 ……チュー!?どこでそんな言葉覚えてくるんだ!さえちゃん……なかなかのおませさんである。

「う、うん。知ってるよ。」

「あのね、私まさやくんとチューしたい。」

 いやいやいや、私には妻がいるのだ。というか5歳でチューってどうなんだ?早すぎるよな?普通なのか?

「さえちゃん、あのね、チューは好きな人同士でしかしちゃダメなんだよ。」

 ここは大人らしく諭してあげるのが正解であるはず。

「あのね、私はまさやくんのこと好きだよ。」

「え……あ、ありがとう。」

「私はね、まさやくんのこと、サッカーやるのも、絵本たくさん読めるのも、かっこいいと思ってるよ。まさやくんは、私じゃいや……?」

 ああ……まずいな。これは恋に落ちるよ。大人になったら自分の気持ちをこんなに素直に伝えることはできなくなる。

 でも、キスはまずいよな。

「あのね、ちがうんだ。さえちゃんが嫌じゃなくて、チューは子供がしちゃいけないんだよ。だから、俺はさえちゃんとチューできない。」

「……わかった。じゃあ!私に絵本読んで!」

「……もちろん、いいよ。何読んでほしい?」

「シンデレラか人魚姫がいいなぁ。」

 なんとか……なった。やはり1周目でもさえちゃんのことが好きだったのかもしれない。

 でも、さえちゃんは私の「サッカーするところ」と「絵本を読めるところ」が好きと言っていたが、どちらも1周目ではやっていなかったことだ。では何故さえちゃんはそれでも私のことを好きになってくれたのだろうか?もしかすると、1周目では私がさえちゃんに片思いしていたのか?答えは見つからない。

 5歳の女の子にこんなにも悶々とさせられる。

 幼稚園児というのは本当に無邪気だ。

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