第28話 偶然じゃないのか?

 それは写真もない簡単な記事だった。毎日小さく報じられる事故の一つでしかない、そんな感じの。


 その自動車事故で消えてしまったのは、東京都在住の二十歳の会社員、恵理えり萌香もえか

「真珠さんと同じ年なんだな」

 そっか。そうだよな。亜希の同級生の友達だって言ってたもんな。

 真珠が消えたのと同じ日に車ごと消えて、二ヶ月以上行方不明だという彼女は、いったいどんな人なんだろう。これがフェイクではないとするならば、なぜこんな不思議なことに巻き込まれたんだろう。


 真珠の場合、はじめからその存在がなかったかのようになってしまったけれど、この子のことは皆が覚えていている。

 きっと家族や友人、そして恋人も、彼女のことが心配でたまらないはずだ。

 一瞬ザキがこちらも攫ったのではと思ったが、それはないだろうと首を振る。さすがに関係ないと思いたい。ニュースになってしまったのが恥ずかしくて顔を出せない、なんてことだったらいい――。


「ただの偶然だろ」


 実際場所も状況も違う。たまたまだ。そう、ただの偶然。

 自分に言い聞かせるよう何でもないように肩をすくめた俺に、亜希は何か引っかかる風な表情で小さく頷いた。


「まあ、そうなんだろうけど……。実はね、同じ日時の事故がもう一つあって」

「えっ?」


 思わず声を上げると、亜希が兄貴と顔を見合わせた後スマホをいじって、また俺が見えるよう差し出した。


「この事故。――こっちのほうが報道大きかったし有名かな。芸能人も乗ってたバスの事故なんだけど。こっちも麻衣ちゃんの仲のいい先輩が巻き込まれてるらくてね。あの子、かなり落ち込んでるみたい。テレビでは元気だったけど。……さすがプロだよね」


 そう言いながらも、気遣う表情の亜希が差し出した二つめの記事を見る。

 事故にあったバスは、よくある小規模の日帰りツアーのものだった。少し普通と違うのは、そのバスが旅番組の撮影に使われていたことか。一般人に交じって若いタレントが小旅行を体験レポートするものだったらしい。


 一般参加者は小中学生を含む数組の親子と大学生のグループ。

 ツアー参加者の話によると、バスの横から何か大きなものに体当たりをされたようだったというが、現場にそれらしきものはなかったという。事実後ろを走っていた車のドライブレコーダーにもぶつかった何かは映ってなくて、非常に考えにくいことではあるが、強い突風がバスにだけ当たり、それにあおられたのではと結論付けられていた。

 海沿いの道路で横転したバスは、寸でのところで崖からの転落を免れた。しかし乗客の半数以上が、その怪我の大きさに関係なく今も意識不明のままだという。それでも……


「――消えた人はいないね」


 とりあえず記事にそのような記述はないし、真珠と同世代の女の子たちも命に別状はない。意識が戻らない人が多すぎることは気になるけれど、日時が一致すること以外、真珠が消えたことと関係あるとは思えなかった。


「うん。諒ちゃんの彼女みたいに、いなかったことになってるんじゃなければ多分」


 あえて俺が口にしなかったことを言った亜希は、画面を見ていれば何か手がかりがつかめるのではというような表情で、兄貴と一緒にスマホを凝視している。今度はドライブレコーダーの動画を見ているようだ。


 真珠のことを何も覚えていないことにもかかわらず、相変わらず無条件に俺の言うことを信じてくれてる二人に、なんだか泣きたいような叫びだしたいような変な気分になる。

 まずいな。メンタルが豆腐になりかけてるのかも。

 気を抜くとすべてが幻想だった気がして、何か冷たいものが背中を伝う。

 俺も皆みたいに真珠のことを忘れてしまうような気がして、彼女と出会う前の自分に戻る気がして、必死にあらがっている。

 それは、前世の記憶を持ってるだけだった時とはくらべものにならない異質感だった。もしも今クォンタムが姿を見せたなら、現実だと安心できる気がするんだけど……。


 気を取り直そうと頭を振ると不意に、「ジェイ・ジェットに比べて、やっぱり諒は現代っ子だな」――と、大人になったクォンタムに笑われた気がした。

 くそっ。まさかあいつ、どっかで見てるのか?

 あの公園の出来事以来、何かの気配が付きまとう気がするのは、もしかしたら気のせいではないのかもしれない。いるならいっそ姿を見せればいいのに。


「どうせなら可愛かった時のあいつの方に会いたいかも」

 首筋を擦りつけながら甘える聖獣を思い出すと不思議と癒される。そう考えてしまうあたりが、やっぱり現代っ子なのか?

 なんだかジェイに負けたみたいで少しムカつく。いや、どっちも俺なんだけど……。うーん。

「諒ちゃん、何か言った?」

「いや。――俺にもその動画見せて」




 事故の瞬間をとらえた映像は複数あった。


「なんだこれ」


 その軽自動車は、黒い大きな影のようなものに捕まれて忽然と姿を消していた。事故現場に残ったブレーキ痕と粉々に砕けたガラスがなかったら、この事故自体がなかったものと思われるんじゃないだろうか。

 実際この動画が解析された結果、あの影のようなものはカメラの不具合によるものだと言われたらしい。話題にはなったけれど、ニュースがあっさり消えたのはそのせいかもしれない。

 でもこれは――。


「兄貴、でかい画面で見たいからパソコン借して」

 微妙に混乱したまま兄貴の部屋に行き、同じ画像をデスクトップの大きな画面でも見てみる。影の部分をクローズアップして、同じものを何度も見てみた。


「諒ちゃん?」

「諒?」


 黙ったまま画像を見続ける俺の後ろからのぞき込んでくる二人に、俺は体を少しずらして二人に画面を見せた。


「なあ。これ何に見える?」


 車を覆う、ただのノイズにも見える影を俺が示すと、二人は困ったように顔を見合わせた。

「強いて言うなら、黒い、うーん、もや?」

「私はざざっとした影かなぁ」

 なるほど。


「じゃあこっちは?」


 今度はバス事故の映像を見せるが、ますます二人は戸惑ったような顔で首を振った。


「諒には何か見えるのか?」

 見えてるよな? と確信しているような兄貴の問いに、俺は頷いた。


「見えた。軽自動車をつかんだのは大きな竜の手だし、バスにぶつかったのは大きな蛇のようなものだ」

「竜?」

「へび?」

「うん。この車をつかんでるように見える影の部分はほんの一部で、手の部分だけ。それがあの軽をつかんで消えた」

 がしっと右手で何かをつかむように見せる。東洋風ではなく西洋風の羽のついたドラゴンだ。


「それからバスのほうの大きな蛇は、バスをすり抜けて彼方に消えた。蛇に見えたけど、こっちは東洋風の竜かも……」

「まじか……」

 もう一度確認してみるが、バス事故の映像に見えるものはぼんやりとしていてハッキリ見えない。

「ん。竜か……蛇か……。はっきりとは見えないけど、何か色々くわえていったようにも見える」

「くわえるって何を?」

「そこまではちょっと……。ただ口だと思うあたりに違和感があるんだ」


 呆然とする二人にもう一度頷いて、俺はもう一度画面を見直す。

 真珠を連れ去ったのはザキ。異界の神だ。

 俺の目がおかしいのでなければ、他の事故でもこの世界のものとは思えないものがかかわっていた。

 これもザキの仕業? だとしたらこの竜は……。いや。ザキの眷属に竜はいない。リュシアーナに竜はいない。いなかったはず。なのに何かが引っかかる。


「いったいどうなってるんだ?」

 関係ないと思ってたけど、何かかかわりがあったのか?

 俺の目にだけ見えてるのはなぜ?


「偶然じゃないのか?」

 何度見返しても新しい情報は見つけられずますます混乱するばかりで、そんな俺を見かねたのか、兄貴が軽く俺の方を小突いた。


「あんまり考えすぎるなよ、諒。できることがない時はできることをする。できないことばかりを考えていても仕方がないんだ」

「そうだな」

 今俺にできることが何なのか、さっぱりわからないけれど。

「あ、そうだ。諒ちゃん、来週のキャンプの計画でも立てようよ」

「キャンプ?」

 唐突にしか聞こえないそれに俺が目を瞬かせると、亜希は「忘れてた?」とにんまり笑った。

 俺がリュシアーナで過ごしてた間のことは、時々こうして覚えていないことがあるので「またか」くらいの認識だったのだろう。


「うん、キャンプだよ。行こうって予約したじゃない。ほらここ」

 再びスマホを差し出した亜希が見せたのは、栃木県にあるキャンプ場だった。

「えっ?」

「諒ちゃん?」

「亜希、何か覚えてるのか?」

「覚えてるって、何が?」

 そこは以前、みんなで一緒に行こうと約束をしていた――

「真珠さんの実家の近くにあるって言ってたキャンプ場なんだよ」

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