3)現代日本

第27話 もう1つの神隠し

 日本に引き戻された俺は、その後、なかなかリュシアーナに戻ることができなかった。

 ジェイはサングラスをかけているはずだ。それは間違いない。なのに戻ることができない。

「過去の自分に憑依できる条件が他にもあるのか?」

 そう思い当たって色々考えてみるものの、特に何も思い浮かばない。


 過去を見られたところで、何も変えられないことは分かっている。

「それでもやっぱり、側にいたいじゃないか」

 本音を言えば、万が一の可能性だって捨ててはいない。


 ため息をついて、真珠の痕跡が何も残っていないスマホを指先でつついた。こうして見ていれば、彼女からの連絡が入るんじゃないか。つい、そんなことを考えてしまう。

 やばい、女々しい。


「くそっ、あのエロおやじのせいで!」


 脳裏に浮かんだザキに悪態をつく。

 見た目は青年だったけど、おやじで充分だ! 思い出すだけでも腹が立つ。

 向こうでは神でも、日本には全く関係ないだろうが。干渉してくるなよ!


 夕飯の支度をしながら小さく悪態をついているのが聞こえたのか、兄貴がのそっとキッチンに入ってきて「指は切るなよ」と、呆れたような声で注意した。

「切るほど間抜けじゃない」

「おお、不機嫌そうだな」

「別に」

 ぼそっと答え、そういえばと兄貴のほうを見る。

「亜希も飯食いに来るんだったよな?」


 今夜はうちの親たちは残業予定で飯はいらない。

 亜希は友達に頼まれてバイトのピンチヒッターに行ってるらしく、この後兄貴が迎えに行くと言っていたはずだ。


「ああ。さっき連絡があったから、あと五分くらいしたら出てくる。まっすぐ帰って来るからあとよろしくな」

「別に寄り道してきてもいいぞ」

「亜希がおまえの作るパエリアをスルーするわけないだろ。可能な限り早く帰れってせかされるわ」

 下ごしらえがほぼ終わった作業台を見て、兄貴がニヤッとした。

「亜希がサラダは買ったって言ってたから、あとはスープを頼むわ。デザートも買ってくるか?」


 亜希のバイト先の近所にある店のスイーツを次々に上げる兄貴は、実は酒よりもパフェやケーキが好物だ。黙ってればキリッとしたイケメンだから、そのあたりのギャップで昔から女子がうるさかったっけ。隣に亜希がいるから大きな声ではなかったけれど。


「まかせるよ。兄貴が選ぶならハズレはないだろ」

 昔から俺の好みは熟知してるんだから。

 兄貴はニヤッと笑って親指を立てた。

「了解。任せとけ」


   ◆


 兄貴たちは飯の支度が終わったのを見計らったかのように、タイミングよく帰ってきた。当たり前のように「ただいま」とまっすぐリビングに入ってきた亜希は、すんすんと鼻を鳴らすと大きく息を吸ってにっこりと微笑んだ。


「いい匂い。諒ちゃんのパエリア久々だから楽しみにしてたんだぁ。あっ、今日はホットプレートで作ったんだね。パーティーみたい」

 食いしん坊な顔をしているときの亜希は、普段より子供っぽい。そんな彼女の後から入ってきた兄貴も、同じように大きく笑った。

「ジェラート買ってきたぞ。冷凍庫に入れておくな」

「オッケー。じゃあ飯にするか」


 三人でわいわいと夕飯を食べながら、亜希が見たいテレビがあると言ってリモコンをとる。うちは普段親父たちが朝時計代わりにニュースをつけるくらいだから、この時間にテレビがついているのは珍しい。

 子供のころ見てたアニメがちょっとだけ映り、亜希が目的のチャンネルに変えると、タレントがガヤガヤとキャンプ場でアウトドアクッキングをしている場面だった。

 亜希の目的はこのバラエティに出演している女優、木之元麻衣らしい。


「麻衣ちゃん、今日もかわいいよねぇ」


 亜希がニコニコと幸せそうに画面を見つめる。

 木之元麻衣は亜希と同い年で、デビュー時からのファンだ。というか、友達らしい。高二でデビューするまで同じクラスだったそうだ。


 しばらくテレビにくぎ付けになっていた亜希が、ふと思い出したように「あっ」と小さくつぶやいた。

「どうした亜希。殻でも噛んだか?」

 とっさにティッシュの箱をつかんだ兄貴に、亜希がプルプルと首を振った。

「ううん、違う。ちょっと思い出したことがあって……」

 そう言うと少し考えるような仕草をした後、気を取り直すようにテレビに目を戻し、

「キャンプいいよねぇ」

 と言った。


 そのまま思い出した何かについては口にしないので、そのまま食事を終え、兄貴の買ってきたジェラートを食べる。亜希が思い出した何かについて口を開いたのは、後片付けまですべて終えた後のことだった。


「あのね、潤ちゃん、諒ちゃん」


 改まった様子の亜希に、俺と兄貴は何事かと目くばせし合う。

 そんな俺たちの前で亜希はスマホをいじって何かを確認すると、再び顔を上げた。


「諒ちゃんの彼女が消えた日、なんだけど……」

 言いにくそうな亜希の言葉にドキッとする。何か思い出したのか?


「えっと、春にネットで話題になったニュース覚えてるかな。東京で事故にあった車が消えたやつ」


 亜希がぜんぜん予想もしなかったことを言うので戸惑いつつ、俺たちはあいまいに頷いた。

 確かドライブレコーダーに映ってた映像のことだろう。軽自動車が事故を起こし、ふっと消えた事件だ。神隠しとか言われていると誰かから聞いた覚えがある。でも俺はそれどころじゃなかったし興味もなかったから、今の今まで忘れていた。


「どうせフェイクニュースだろ?」

 そう言った俺に、亜希が眉根を寄せて首を振った。

「それがさ、今日友達経由でたまたま聞いたんだけど、その車に乗ってたのって、麻衣ちゃんの中学の時の友達らしいんだ」

「「えっ?」」

 俺と兄貴が同時に声を漏らすと、彼女は重々しく頷く。

「びっくりだよね。騒ぎが大きくならないようにみんなで気を付けたりしてるらしいけど、その子、今も行方が分からないらしいの」

 そして見ていたスマホの画面を俺たちのほうに差し出した。


「ここ見て。事故のあった日時」

 亜希の指先を見て、俺は自分の血がスッと引くのが分かった。

「――真珠さんが消えたのと、ほぼ同じ?」


 いや。もしかしたら本当に同時かもしれない。

 距離は離れてるけど、同じ東京で同じ日、同じ時間に、こんな偶然があるのか?


「やっぱりそうだよね。――ねえ、この神隠しと諒ちゃんの彼女が消えた出来事って、何か関係があるのかな」

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