第23話 公衆浴場

 その後聞いた話によると、アレクサンドル陛下とマリリアート様は、女神のもとで三日間を過ごしていたらしい。我々が待っていたのは一分程度だったことを聞いたアレクは、面白そうにニヤリとした。


「神々の世界は、私たちには計り知れないものがあるね」


 アレクはそこでマリリアート様といくつかの地を巡り、イザーナとも話し合いをしたというが、詳しい内容を語ることはなかった。ただ、神が人と対等に話してくれるということ自体があり得ないことで、そういった点でも、マリリアート様が聖女であること、その伴侶に選ばれたアレクサンドル陛下が特別であるということを確信させるのに十分だということになる。

 しかも聖女の身に着けている真珠しんじゅのアクセサリーが、この国ではほぼ見ることのできないきれいな球体であることも、それに拍車をかけたようだ。


 うん。

 たしかに初めて見たときは驚いた。しかも一粒二粒じゃないんだからな。

 この世界で、あれは奇跡以外の何物でもない。


 そんなことを、改めて日本人の頭で考える。



 あの金縛りにも似た状況を打破するべく、俺はあえて諒の意識を少しだけジェイから引き離してみた。何度ももがき試行錯誤したけれど、うまくいったらしい。そのおかげか、今はもう、あまり前世の強い感情には引きずられていないようだ。

 同じ魂でも、同じ人間でも、やっぱり違う人生を歩んでいれば色々違うのだろうな。



 例えばこの国における騎士は、主の妻を愛することが普通だ。その女性を妻のように母のように、愛し敬うのが当たり前。だから恋情は抑えても、愛すること自体は問題ない。むしろ推奨される。

 だからこそ、彼女の護衛は既婚者限定だった。


 でもな。どうもそのあたりが、現代日本人である自分の感覚と乖離かいりしてしまう。

 おかしいよな。前世の記憶として覚えているだけだったら、深く考えることなく受け入れてたのに。



 ジェイの心から距離をとった諒の目からは、アレクと真珠は、女の子同士がいちゃついているように見えることにほっと息をつく。

 神の世界での三日間で何があったかはわからないけれど、二人が仲よさそうなのはいいことだと素直に思えたし、微笑ましいとさえ感じられた。真珠のためにも、そしてアレクのためにも。真珠はアレクの孤独に寄り添う存在だったのではと、突然雷が落ちたみたいに気づいたのだ。

 真珠からもアレクが男に見えているなんてことはないはずだ。なんとなくそれだけは確信があった。

 それでも、神の世界に行った後の男装アレクが、前にもまして無駄にイケメンであることにちょっとだけモヤっとする。



真珠まことさんが宝塚ファンだった――なんてことはないよな?」


 いや、そうであってもいいんだけど……。問題はないんだけど……。

 うーん。


   ◆


「ジェイ・ジェット様、マリリアート様の騎士に志願したって本当ですか?」


 公衆浴場で汗を流した後、俺の髪を拭いていたトーアがおずおずとそんなことを尋ねてきた。トーアはこの浴場の従業員の一人で、薄茶色の髪をした女の子だ。

 リュシアーナには公衆浴場がたくさんあって、娯楽施設も兼ねている。

 交流をしたり、マッサージをしてもらったり、ビリヤードに似たゲームなどもできる施設だ。そこで働く従業員は主に外国からの移民で、顔立ちも少し違っている。

 トーアは遠い北のグラン出身で、青みがかったような白い肌が特徴だ。

 たしか十六歳くらいだっただろうか。


 本来それくらいの年になれば、こんな髪拭きではなく女性の爪磨きや髪を巻くほうへ回されるのだが、不器用なためなかなか許されないとぼやいていた。

 ドライヤーがないので、髪を拭いてくれることさえ仕事になるのも面白い話だけど、彼らの貴重な収入源になるため断る選択肢はない。


 サングラス越しにじっとそんなことを思い出していると、彼女は居心地が悪そうにもじもじしだしたので、慌てて軽く咳払いをする。

 やばい、威圧感があったか?


「ああ、志願した。よく知ってるな」

 つとめて穏やかな声でそう言うと、彼女はなぜかばつが悪そうに少しだけ目をそらした。

「ええ。まぁ」

「ま、ここは噂話が嫌でも耳に入るからな」


 なんでもない会話を拾い、それを教えてくれる彼らは貴重な情報源でもある。

 本人たちは、客が退屈しないよう当たり障りのないおしゃべりをしていると思っているだろうが。


「そうなんですけど、そうではなくて、ですね?」


 珍しく歯切れが悪いトーアは、俺の背中に回って髪をくしけずりながらしばらく言葉を探すように沈黙した。何か聞きたいことでもあるのだろうか?

 そのまま俺が黙ってまっていると、やがて思い切ったように顔を上げたのが気配で分かった。


「あの。聖女様の騎士は既婚者だけ、なんですよね?」

「そうだな」

 それが? と首をかしげると、トーアは前に回り込んで俺のほうへずいっと身を乗り出した。

「……ジェイ・ジェット様、結婚なさるんですか?」

「はっ?」

「私たちの間で噂になってるんです。聖女様の騎士になるために、ジェイ・ジェット様が花嫁を探しているって」


 間抜けなことに、俺はしばしポカンとして言葉が出てこなくなった。

 花嫁を探す? 俺が?


「みんなの話だと、急いで年頃の娘を吟味してるんじゃないかって」


 真っ赤になっているトーアの言葉に、俺は吹き出してしまった。


「ああ、悪い、トーア。お前を笑ったわけじゃない。ただ思いがけない話につい、な」

 抑えても肩が揺れてしまう俺のほうを、きょとんとして見つめるトーアが小動物のように見えて、ついにんまりと口が大きく弧を描く。

 今は子供っぽい娘だけど、あと五年もすれば大化けるだろう。そう考え、ジェイの記憶にそれがないことに俺は心の中で肩をすくめた。


「思いがけない、ですか?」

 小首をかしげるトーアに、俺は笑いを抑えて頷いた。


「ああ。俺は嫁探しはしてないよ」

「では聖女様の騎士には?」

「志願してる」


 その答えに混乱しているような様子に、俺はようやく彼女の疑問を理解した。


「トーア」

「はっ、はい!」

「俺は既婚者だぞ? 嫁を探す必要はないんだ」

「え……?」

 絶句したトーアが、スッと青ざめる。何か失態をしたと勘違いしたのだろうと思ったジェイがフォローする間もなく、

「あの、その、失礼をいたしました」

 口の中でごにょごにょと早口で謝罪を述べたトーアは、途中だった仕事を電光石火で終わらせ、一礼して素早く去っていってしまった。


 その様子を、いつのまにか近くにいたらしいニクスが見送り、やれやれというように首を振る。


「ジェイ。若い娘を泣かすな」

「なっ! 人聞きの悪いことを言うなよ。俺がいつ、だれを泣かせたというんだ」


 俺が乱暴で卑怯な男みたいじゃないか。いや、やっぱり威圧感があったか? おれのこの図体のでかさでサングラスは、やっぱり女子供は怖いのか?

 いやいや。ついさっきまでトーアは普通に接してくれたわけだし、やっぱり何かほかに理由が……。


 内心オロオロしているのを目ざとく察したらしいニクスは、呆れたようにわざとらしくため息をついてみせる。


「そういう意味じゃないが――――ま、いい」

「いいのかよ!」

「ああ。まずは聖女の騎士任命が決まったことを教えておくよ。発表は明朝だが、どうせアレクあたりがばらすだろうからな」

 ほかのやつに聞こえないよう、俺たちは特殊な話し方で会話を交わす。

「そうか。教えてくれて感謝する」

 勢い込んで礼を述べると、ニクスはおろしたままの銀髪をかき上げた。

「ジェイ、いいのか?」

「いいって、今度は何だ?」

「…………いや、いいならいいんだ」


 珍しく歯切れの悪い兄貴分に、俺は少しだけ不思議に思いつつも気にしないことにする。ニクスが言わないなら、無理に聞こうとしても無駄だからだ。

 それに、マリリアート様のそばにいられる。彼女を守る立場に立てる。そのことへの喜びのほうが今は大きかった。



 王たちの婚礼は一年ほど先だ。

 衣装を作るのにも時間がかかるし、それ以外にも婚礼前にしなくてはならないこともたくさんある。


 そばにいられるだけでいいと思うジェイの心に、俺は心の中で(そうだな)と頷いた。

 いまはそれでいい。

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