第22話 聖女降臨
――前世の事とはいえ、どうしてマリリアート様が現れた日のことを忘れることができたのだろう。
その光景を目に焼き付けながら、俺はそう思っていた――。
◆
女神のもとへ王の花嫁を迎えに行く日。
夜明け前に出発し、俺たち騎士は、あらかじめ場を整えておいた広場に降り立った。
この場には王を含め、ほとんどが騎士だ。
花嫁のために侍女を用意すべきではという案もあったが、天馬に乗ることができるものは限られている。ある意味デリケートな性格である天馬に乗るには、ある程度の資質が必要とされていて、普通の女性ではまず近づくこともできない。
ただ、ごく小数ではあるけれど女騎士もいるため、城に戻るまでは彼女達が侍女の役割を担うことになった。
「なかなか華やかなものだな」
「ああ。あいつらのしとやかな姿なんて初めて見たわ」
俺の近くで準備をしていた男たちが、ちらちらと女騎士を見つつそんな話をしている。
たしかに普段きっちりまとめている髪をおろして花を挿し、騎士のみ着用を認められているズボンの上からトロリアと呼ばれる長い布を巻いてワンピースのようにした彼女らは、ずいぶんと雰囲気が違う。今日という日に気合が入ってるのだろう。
ふとアレクと、その隣にいるニクス・ブラードが目に入る。
アレクは普段通り落ち着いた姿だ。一見水も滴るような長身のいい男に見えるが、ニクスの横にいるとやはり、男にしては小柄だ。
女としては長身だし、鍛えているうえに服にも工夫を凝らしている分がっちりして見える。堂々とした佇まいのせいで普段は大きく見えるが、こうして客観的に見れば、やっぱり女だなと思うのだ。
いや。
事実を知らないものには男に見えているんだろうが。女だなんて、疑いもしないものは多いはずだが。
次に俺同様アレクの秘密を知る男、ニクスの姿をサングラス越しにまじまじと見つめた。
ジェイの幼馴染で兄貴分でもあるニクスは、
風になびく肩まで届くまっすぐな銀色の髪に、秀でた額とすっと通った鼻筋の整った顔立ち。その唇に甘い笑みを浮かばせようものなら、まわりのご令嬢がバタバタと倒れていくという逸話付きの色男だ。ただし、幸か不幸か普段その口元に笑みが浮かぶことはなく、冬の空を思わせる青い目と相まって厳しい雰囲気のほうが際立って見えた。
うん。もし現代にいたらスカウトの嵐だろうな。
そんなニクスは、人目には俺と対極にあるように映るらしい。
いかにも武骨な筋肉だるまのジェイと、抜身の剣のような雰囲気を持つ怜悧なニクス。俺の赤い髪と夏の森を思わせる緑の目と、ニクスの静けさを思わせる髪と目。客観的に考えてみれば、なんで気が合うのかわからないくらい対照的な二人に見えているんだろうなと、心の中で頷いた。
ニクスは昨日まで北のオーグリで起きた災害の後処理に出ていたため、ジェイとまといもに顔を合わせるのは十日ぶりだった。帰ってきても互い忙しく、まだまともに言葉も交わしていない。
でも、俺と同じように複雑な思いを抱えていることだろう。アレクのそばで俺以上に彼女の秘密を守るため気を付けてきたのだ。
やがて三つの班に分かれた騎士は、大きな円を描くように自分の位置についた。
この班は、それぞれが演奏班、舞踏班、歌唱班と言えばわかりやすいだろうか。
神々に音楽と舞をささげる国リュシアーナでは、儀式の大小、また身分に関係なく、大体こんな班を作る。
その中でも王家の騎士は別格だ。
音楽と舞が始まれば風の色さえ変わるといわれているのだ。
二つの月が消えて朝日が昇ると、薄い雲が階段のように連なっていた。
中央にアレクが立つと、俺の隣に立っていたクォンタムがぶるりと大きくい体を震わせ、空を見上げた。
「クォン?」
小さく呼びかけると、彼は俺を一瞬ちらりと見る。
クォンタムは、わくわくとしたように目を輝かせ、もう一度体を震わせると「行くよ」とでも言うように小さくうなずく。そして大地をけると一気に飛び上がった。
聖獣はそのまま雲の階段を駆け上がるように天へのぼり、ぐるっと弧を描いて戻ってくる。翼もいないのに飛べる一角獣の駆ける姿は優美で、その慶事にふさわしい姿を皆うっとりと眺めていた。
クォンタムが地上に戻り、頭を一振りする。
それを合図にアレクが天に向かって手を上げた。
俺が竜笛を一小節吹くと、合流するように演奏隊の楽器が一つ二つと増えていく。
ニクスが祈りの歌を歌い、歌唱班がそれに続く。
アレクが女神へささげる舞を踊り始めると、王を中心に輪を描くように舞踏班が舞い始めた。
「女神イザーナよ」
アレクの呼びかけに答えるように、天から光の帯が下りてくる。その帯に小さく人影が見えると、エスカレーターに乗っているかのようにして一人の女性が下りてきた。
(真珠さん……いや、マリリアート様)
真珠は白いドレスのような服を着ていた。それが花嫁衣装に見えて、胸の奥が握りつぶされたかのように痛む。少し離れて、彼女に付き従うように五人の侍女らしき姿も見えてくるが、ジェイの目には映らない。
ただ、このときにすべてを理解していた。
真珠が地上に降り立つと、アレクに一礼して舞を舞い始めた。今でいうバレエだろうか。それともジャズダンス?
すっと上げた足に、ボリュームのあるスカートがふわりと上がる。たっぷりしたスカートのひだが、波のようにさらさらと揺れた。
彼女を囲むように五人の侍女も舞い始めるけれど、真珠の指先まで神経が行き届いた舞の前にはかすんでしまう。息をのむ音があちこちから聞こえてきた。
目を引く。
大勢の中にいても、同じ踊りを踊ったとしても、きっと人は彼女にくぎ付けになる。
全体とのバランスを取りながら踊るのとはまた違う、ただ一人の舞。
ジェイがその後何度も目にすることになる、女神へささげる祈りだ。
やがてその舞が終わると、真珠はふわりと両手をついて空を見上げた。天から下りていた光の帯が粒子に変わってキラキラと弾ける。その先に、半透明に見える巨大な女神、イザーナの姿があった。
目に映るのが上半身だけとはいえ、空を覆うようなイザーナが両手を差し出すと、アレクと真珠がすっぽりと隠される。
声のような、そうでないような声が聞こえるのは、女神が二人に何か話しているからなのだろう。
時間にすれば一分もないその間に、何が起こっていたのかはわからない。
ただ、女神が消えた後、アレクの姿が変わっていた。
「女神より、花嫁に聖女を賜ったぞ」
にやりと笑って真珠を横抱きにするアレク。
一瞬驚いたような顔をした後、にっこり微笑んだ真珠は、ぐるりと周囲を見回した。ほんの一瞬だけジェイと目が合ったような気がしたのは気のせいだろう。
(ああ、だからだったのか)
アレクは男の姿に変わっていた。
体が一回り大きくなり、声も幾分低くなっている。男装しているのとは明らかに違うその姿。
――そう。ジェイにはそう見えていた。
そして、みんなにも。
その奥に本当のアレクが見えるのは、きっと
でも前世の俺のなかで、「王は男だ」と記憶が書き換えられたことを感じた。
そして最敬礼を取りながら、心の奥で膨れようとする恋情を抑え込んだことも。
ジェイの中に不思議なほど嫉妬は感じなかった。王と聖女。それは、あまりにもしっくりする姿だったのだ。胸が痛むほど美しい二人だった。
(真珠さん……)
心の中で諒が彼女を呼ぶ。気づいてほしいと声を出したいのに、彼女に手を伸ばしたいのに、体は全く動かない。
二つの心で相反する思いに、身の内が粉々に砕けそうな気がした。
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