第21話 甘い夢を見ていた

 俺が前世に戻ることができたのは、ジェイがマリリアート様に出会ってから二日後のことだった。


「くそっ、肝心なところで」


 再びジェイに戻った俺の悪態が聞こえたらしい。小姓が目を丸くするのに気付き、何か言いたそうな彼らに「何でもない、独り言だ」と手を振った。小姓は騎士の身の回りの世話をする少年たちで、だいたい六歳から十四、五歳くらいの騎士見習いだ。今は、俺が訓練場へ行く準備を整えてくれているところだった。


 冷静に考えてみれば、肝心なところといっても、前世の俺に何ができたわけでもないだろう。

 前世の俺と彼女は初対面だし、今の俺のことは――記憶から消された。

 それでも本当に忘れてしまったのか聞いてみたい。もしかしたらすぐに思い出してくれるんじゃないか。そうしたら、俺と共に日本に戻れるんじゃないか。

 そんな期待を捨てられずにいる。


「あ、そうだ」

 ふと閃いて、近くにいた自分ジェイ付きの小姓たちを呼び止めた。

「もし俺がこの黒メガネをかけ忘れたら、かけるよう言ってくれないか」

「その黒メガネを、ですか?」

「ああ。聖獣にもらったものだから、常に身に着けていたほうがいいはずなんだ」

「それは夜でもということでしょうか」

「夜でもだ。頼むよ」

 俺が口の端を上げると、彼らはホッとしたように「わかりました」と頷いた。


 人一倍でかい俺がサングラスをかけていると、相手からはこちらの目が見えないこともあり、かなりガラが悪いことだろう。彼らを威圧しているわけではないので、物腰の柔らかさだけは気を付けておこうと決めた。


    ◆


 はじめてリュシアーナに戻った夜。

 ジェイが何気なくサングラスを外して間もなく、俺は日本に戻っていた。

 いつのまにか公園から家に帰っていたうえ、数日間を普通に生活をしていたんだ。しかもその間、自分が何をしていたのかをきちんと覚えてた。

 しかも公園であの夜何が起こったのか。それを兄貴たちにも促されるまま話してたみたいなんだけど――。


「こんな話、無条件で信じてくれるとかすごすぎるだろ」


 我が兄と幼馴染は、ちょっとどこかズレているのでは?

 むしろそんなことを心配してしまうくらいだ。

 でも二人が言うには、噓を言っていないことは、俺の目や表情が違うから分かるらしい。

 何がどう違うのかはさっぱり分からないが、俺のことを無条件で応援してくれる二人には感謝しかない。きっと二人の話がなければ、俺は長い夢を見ていたのではないかと、自分を疑っていただろうから。


 大人のクォンタムにはもう会うことが出来なかった。気づいたときにはどこにもいなかったのだ。

 それでも「いずれ会える」という声が聞こえた気がした。「だいじょうぶだ」「信じて進め」と。

 だからもう一度リュシアーナに戻れるのかジリジリしても、きっとできると信じ、事実そうなったことでホッとする。

 リュシアーナに戻ればジェイの記憶も完全に自分のものにできるし、自分の意志で動くことも話すこともできのだから。


 でもジェイにはジェイの意思がある。そしてジェイには諒の考えはわからない。自分以外の意思が自分の中にあるなど、夢にも思わないことだろう。事実前世でそんなことを感じたことなどないはずだ。


 一方サングラスをかけている時。

 諒である俺の目からは、ジェイのことは自分のこととして理解できる。

 サングラスを常にかけるようになってからわかってきたことは、これを外してもすぐ繋がりが消えるわけではなく、何分かは大丈夫なようだ。まだどれくらい大丈夫なのか、または法則があるのかはわからないので、できるだけかけておくことにする。


 かなり不可解な状況ではあるけれど、いろいろ考えた結果、この感覚はVRゲームが近いと仮定してみた。過去に起こったことを「基本のシナリオ」と考えると、プレイヤーである諒は過去の自分であるジェイ・ジェットを俺自身アバターとして動かすことができる。

 今は過去をリアルに追体験している状態なのだろう。

 匂いも味も、痛みさえ感じられるというのに。


 しかも時間の流れが日本と違うことも、こちらがすでに過ぎたことだからかもしれない。


 だったら過去に起こったことは変えられない――?


 そのことに気づき、ゾッと鳥肌が立った。

「ちがう。そんなことまだ分からない」

 そう。まだ思い出せていないことはたくさんある。

 あの日。あのついばむような口づけは――、城が水に沈む光景は現実にあったのか。

「いや、これからあるのか、だな」


 水場で顔を洗いながら小さく呟くと、近くにいたアレクに「どうした?」と声をかけられた。

 毎日顔を合わせていながら、三千年近い時を超えて再び会えた王の顔をまじまじと見つめ、

「なんでもない」

 と首を振る。

 そんな俺に、アレクは面白そうにニヤリとした。

「もしかしておまえ、この前助けたとかいう精霊のことが気になってるのか?」


 うわ、鋭いな。

 心の中でイヤ~な顔をしつつ、俺はサングラスをかけ直して何でもない顔をした。

 このころのジェイは、マリリアート様を精霊だと信じていた。

 精霊は時に人のもとに降りてくることがあるし、人と結婚したり子を為すことも稀にあるのだ。

 もし彼女が人里で暮らすことに頷いてくれたなら――。

 もしも結婚してくれるなら――。

 そんな甘い夢を見ていた。


 ジェイは既婚者だ。それが仮初であっても、また、その妻が亡くなっていても関係ない。

 再婚が叶うとすれば、主の命令のみ。

 アレクならきっと祝福してくれるだろうなんて、甘いことを考えていた自分を殴りたくなる。生まれて初めての恋だった。きっと浮かれていた。なんて単純だったんだろう。


「ジェイ! まったく。そんな黒メガネをしていたら、おまえの目が見えないじゃないか。せっかく可愛い目なのに」

 とんでもないことを言うアレクに、今度こそ顔をしかめてしまう。童顔なのは気にしてるんだよ。


 俺の反応に満足したのか、アレクはからからと笑った。

「また会えるといいな。私も会ってみたいよ」

(会えますよ。すぐにね)

 心の中でそう答え、肩をすくめる。


 何も知らないアレク。まだ何も知らないジェイ


 再会まで、あと五日。

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