第19話 出逢い①

 三日後。

 結論から言うと、俺――すなわち諒は、真珠さんでもあるマリリアート様に会うことはできなかった。会えたのはジェイのほうだ。

 なんとジェイがサングラスを外してしまうと、間もなくおれの意識は現代日本に引き戻されてしまったのだ。

 くそっ、嘘だろ。


 どうも前世の自分に戻れたというよりは、前世の俺に憑りついているというほうが正しいような気がする。

 自分に自分が憑りつく?

 そう考えると首をかしげてしまうけど、それが一番近いように思うのだ。


 それでも再びリュシアーナに戻れば、ジェイの記憶もはっきり思い出せる。


 あの日、ジェイ・ジェットである俺はマグアーラにある山にいた。

 この一帯には複数の山があるものの、マグアーラの山と言えば一つの山を指していた。その山の名はイザーナ。火の女神が住まう聖なる山だ。


   ◆


 山頂付近は切り立った岩肌が見え、すそ野に行くにつれ緩やかな勾配になり、緑が深くなる。その様は荒々しくもありながら、同時に高貴な貴婦人がドレスをまとったような姿にも見える。相反するような魅力が同居するその山は近寄りがたく、同時に崇めずにはいられない魅力があった。

 イザーナ山は基本的に立ち入り禁止だ。

 麓には山を管理する部族が生活しているほかは、俺達のような騎士が見回りに来たり、王族の儀式などで訪れる程度なのだ。

 必要以上に入らない。手を入れない。それが決まり。

 その山は神々のもので、人のものではないのだから。


 俺達騎士は少人数の班に分かれ、王の花嫁が降り立つであろう付近の最終確認をしていた。

 アレクの話では、女神は場所については山としか言わなかったという。なので、普段儀式などが行われる広場のことだろうと準備を進めているのだ。


「特に異変はないようだな」

 最後の報告が終わったところで、俺は八人の部下たちに解散を申し渡した。

「俺はクォンタムともう一回りしてから戻る」


 常であれば一緒に戻るのだが、一緒に来ていたクォンタムがソワソワしているのに気付いていた。何か訴えたいのか? だったら俺と二人のほうがいいのだろう。


 俺が目だけで聖獣を指せば、部下たちも何か察したらしくあっさり頷く。

 でも代理を頼んだ副長が、

「あの岩陰あたりがよろしいかと」

 と、去り際に囁いたため思わず噴きそうになり、何でもない顔を保つのに苦労した。うん、まあ、そう思うのも無理はないな。


 天馬に乗った騎士たちの姿が彼方に見えなくなると、クォンタムは途端に不貞腐れたように首を振り、前足でゲシゲシと草地を叩いた。

「ちがうもん。おしっこじゃないよ。失礼な奴」

 ふんっと鼻をならす聖獣に、俺は今度こそ思い切り噴き出してしまった。

「おまえがソワソワしてたからだろう。みんなの前でもそう言えばいいじゃないか」


「嫌だよ。僕は決まった相手としか話さないんだ。そういうものなんだよ」

「そういうものねぇ」

「そういうものなの! ジェイは話しても大丈夫。でも他の人はダメ」


 きっぱりと言い切る聖獣の首を撫でて、俺は「わかったわかった」と彼をなだめた。


「そんなことより、何かあるから皆を帰したんだろ?」

 本題に戻ったことにクォンタムは「そうだった!」と、耳をピンと立てる。

「ジェイ、あっち。変な感じがするんだ」

 駄々っ子のようだったのが嘘のように真剣な声になり、俺も背筋を伸ばし周囲の気配を探る。


「何も感じないが……」

 念のため小声で言うと、クォンタムは木の間のほうへ足音を忍ばせながら歩を進めた。

「うん。でも……行かなきゃ」

 いつもとは違う様子に俺も気を引き締める。そのままクォンタムについていくと、木々の奥に違和感を覚えた。

 俺がほぼ声を出さずに、

「見えない幕があるみたいだ」

 と言えば、クォンタムも同意するように頷く。


「ジェイ。ちょっと苦しくなるかもしれないけれど、僕に着いてきて。この先は神の領域だ」

 ちょっと待て。

 とっさに静止しようと手を伸ばしたが、クォンタムは助走もつけずに木の間へ飛び込んでしまった。小さく舌をうち、俺もその後を追う。


 神の領域だと?

 ただ人の俺が入れるものなのか?


 それでも瞬間的に体が動いていた。


 途端に、何かが俺の体に絡みつくような感覚に息が苦しくなる。地上を走っているはずなのに、マントにくるまれたまま海に放り込まれたみたいだ。

 もがくように必死に進むと、突然海上に顔を出したかのように呼吸ができるようになる。

 狭まっていた視界が一気に開くと、目の前に大きな泉があった。

 初めて来たにもかかわらず、そこが精霊たちが憩うと言われるリュンピアであると分かる。そしてその水辺に、男から逃れようとしている黒髪の少女の姿があった。

 それが目に入った瞬間、俺は考えるよりも先に走り出していた。


「いやっ、離してっ!」

 男に掴まれた腕を勢いよく振りほどいた少女の視線の先には、ぐったりと倒れている二人の女。男の顔に面白そうな色が浮かぶが、少女を背にかばうようにして飛び込んできた俺を目にした瞬間、不快そうにその唇をゆがませた。


 チラリと一瞬だけ背後の少女を確認する。

「娘よ、怪我はないか」

 彼女は少しだけ驚いたように目を丸くした後、急いで頷いた。

「大丈夫です。助けてくれるの?」


 思いのほか力強い声に、思わずニヤリとする。

 こういう時、騎士の制服は便利だな。視覚的に味方だと理解してくれたようだ。


「ああ、もちろん助けるさ。あの男がおまえさんの夫や父親だと言うなら話は別だが」


 逃げた妻や娘を追いかけてきた可能性がないわけではないだろう。

 だが少女とは似たところなどまるでないから、親兄弟である可能性は限りなく低いと思われる。異国風の顔立ちをした少女の目は濃い茶色だし、髪も癖がない黒色だ。


 目の前で不快そうにしているのは、人間離れした美しい男だ。美しいが、女性的な点はまったくと言ってない。

 太陽のような金色の髪は波打つように背中まで流れ、切れ長の目は深い青色。力強い眉にスッと通った鼻筋、肉感的な唇。そして敏捷びんしょうそうな、均整の取れたすらりとした肢体。それらを一瞬で見やる。


 見た目だけで言えば、女どもがこぞって騒ぎ立てるに違いないだろう美丈夫だ。

 どこかで会ったことがあるか?

 奇妙な既視感があるものの、こんな奴、一目見たら忘れない。

 だが目の前の男の、力を抜いているようでありながら隙がない様子。その得体の知れなさに、背中がゾワゾワした。

 


 クォンタムが少女を守るように彼女の隣に立つ。

 少女は完全に落ち着きを取り戻したようだ。


「完全に赤の他人よ! このストーカーっ!」


 謎の単語ストーカーは方言だろう。意味は分からないが、彼女の怒りに満ちた声に、この男が迷惑だと言うことだけは分かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る