第18話 結婚式
愕然としながら膝の上のクォンタムを撫でると、彼は
「それで? ねえ、本当は?」
と、答えをねだった。
諒が忘れていたことが、ジェイ・ジェット本人である今は鮮明に浮かび上がる。
俺が独身か否か。そんなことは決まっている。
「俺が結婚したのは十四歳の時だ」
空を見あげてそう告げると、膝の上でクォンタムが首をかしげるのが分かる。
そうだ。俺には妻がいた。
「わあ、ずいぶん早いんだね」
「そうだな。妻は十一歳だったしな。――まあ、一緒に暮らしたこともなかったが」
――トリン……。
もうほとんど顔も覚えていない妻の名を、そっと口の中で転がす。
ジェイ・ジェットの両親は早くに亡くなり、俺は養母リドに育てられた。
十四歳になっていればソリアの家名が継げたが、両親が亡くなったのは俺がまだ物心をつく前のことだ。結果、家名は母方の祖母の姉の夫の弟の子という、遠い親戚に渡された。
結果、アレクの乳母の養い子である俺は、立場的にはかなり危うい位置にいたのだ。
リドは養母であって実母ではない。
リドの夫イオもジェイのことは可愛がってくれていたが、ジェイが十二歳になってすぐに事故で亡くなった。
十四歳まで生きていてくれたら、彼の子として認められたのに。
この国では十三歳までは家名がないのが当たり前で、十四~十五で成人の儀を済ませ、その時に家名を継ぐことで一人前とみなされる。でも俺には家名を与えてくれる父親を幼少期に亡くし、実子のように考えてくれていた養父も亡くした。
つまり、家名を持たない俺はただの平民で、死んだ養父や実の父と同じ騎士になることが絶望的だったのだ。
どれほど鍛錬しようと、アレクと兄弟同然であろうと関係ない。
養母がジェイのために再婚を考えてくれたこともあるが、本人の意に沿わないことをさせることなどできず、縁談にはとことん反対した。彼女が亡くならない限り、ジェイが誰かの養子になることができないことは分かっていた。それでもだ。
今の日本と違い、男でも女でも、一人で生きるのが困難な時代だ。でもリドは幸いアレクの乳母として、安定した生活を約束されていた。それを俺のために捨てさせることはできない。
それに何より、仲睦まじかった養父母。もしリドが新たに夫を迎えるのであれば、それは彼女が本心から望んだ時であってほしかった。
いや。本音を言えば、彼女にイオを忘れてほしくなかったのだろう。
実の親を覚えていない俺にとって、父はイオだけであり、母はリドだけだったのだから。
縁談の話が来たのはそんな時だ。
ソリアの家名を引き受けていた遠い親戚から、娘と結婚してほしいと打診された。ソリアの家名を受け継ぐ予定の娘と。
ただし、それは普通の結婚ではなかった。
生まれつき病弱だったトリンは、当時、医者の予想をはるかに超えて長生きした。それでもたった十一歳。なのに、すでに命が風前の灯火だということは、誰の目にも明らかだった。
リュシアーナには、成人する前に亡くなった者と婚姻を結ぶ習慣がある。
それは、死者の魂により多くの縁を繋ぎ、安らかに死者の国へと旅立たせる意味を持っていた。また、死者と結婚した側も、その婚姻が魔除けになると考えられていた。結婚自体に、家族になること以上の意味があったのだ。
男女のどちらかが大幅にあぶれた僻地になると、大岩や大樹に宿る精霊と婚姻を結んだ人がいるという話もある。
日本人の感覚では笑ってしまうけれど、魔獣や神が身近にいるこの国で、当時は真剣にそう考えられていたのだ。
ジェイ・ジェットはその縁談を受けた。
まだ生きている女の子が相手だが、実際には仮初めの結婚という形になる。男女ともに成人の儀を済ませなければ、本当の結婚はできない。
とはいえ、恋愛結婚自体が珍しい時代だ。
相手がどんな人かもわからないまま、俺は結婚式のために親せき宅に向かい、初めて花嫁になる女の子と対面をした。
寝台に横たわるトリンは年齢よりも幼く、小さく見えた。それでも長いまつ毛に縁どられた目は美しく、子どもながらにハッとしたことは覚えている。健康だったら、さぞや美しい娘に育っていたことだろう。
『あなたが私の夫ですか?』
姿に似合わない大人びた口調。伸ばされた彼女の小さな手を握るとあまりにも冷たくて驚いたが、俺は何でもない顔をして頷いた。
『そうだよ、トリン。ジェイ・ジェットだ』
思い切って『わが妻』と呼べば、彼女は恥ずかしそうに小さく微笑む。その笑顔を見たとき俺は、こんな妹がいたらめちゃくちゃ可愛がっただろうと思ったんだ……。
(自分がデカかったせいか、昔から俺は、小さくて可愛いものに弱かったんだよな)
そんなことを考え、膝の上のクォンタムをなでながら内心苦笑する。妹同然だったアレクとは違う、女の子らしい女の子だったトリン。
ジェイにとってその婚姻は、ただ単にソリアの家名を持つためだった。恋情などありはしない。
それでもジェイはトリンを慈しむ気持ちを持っていたし、出会ったばかりの彼女が一日でも長く生きられるよう祈った。彼女が十五歳になった時に、本物の夫婦になれる日が来ればいいとさえ考えた。
五日後。
リドや親戚に囲まれて婚姻の儀を上げたとき、普段寝たきりだったトリンは花嫁衣裳を着せてもらい、ジェイの隣に座った。でも彼女はただ座るだけでも辛そうなのが分かる。
俺は少し考えて、自分の膝を叩いて見せた。
『トリン、俺の膝においで』
ジェイは当時でも十四歳にしては大きな体だったから、小さな女の子を抱きかかえるくらいわけがない。
恥ずかしそうにしながらも、母親たちに促されたトリンは、俺の膝に座ると安心したようにコテンと頭を俺に預けた。
『私の夫は逞しいですね』
少し誇らし気なトリンの声が嬉しくて、わざと胸を張って『そうだろう?』と言って見せれば、彼女がクスクスと笑う。その軽やかな声が嬉しかったと、後に彼女の両親が教えてくれた。
まもなく結婚式が始まった。
儀式のために呼ばれた町の長が祝詞を旋律に乗せ歌うと、頭上にやわらかな光の塊が現れる。そこから綿毛のような光が生まれ、綿毛のような光がふわふわと俺たちに降り注がれた。それが一度優しく強く光って霧散し、結婚成立だ。
その神聖な光に目を輝かせるトリン。その瞳の輝きだけは、今も印象に残っている。ジェイが彼女の額に小さく口づけを落とすと、真っ赤になって顔を隠してしまったことも。
そしてその夜。トリンは、あっけないほど静かに息を引き取った。
『ジェイ、ありがとう……』
小さくそう言い残して。
あれから七年。トリンを妻にしたことでソリアの家名が与えられた俺は、彼女の両親を自分の両親とし、無事、騎士になることが叶った。
「ジェイの奥さんは今どこにいるの?」
クォンタムの声に、過去の思い出から引き戻される。
「遠いところだよ」
「ふーん。さみしいね?」
今一わかっていないような一角獣の頭を撫で、俺は目を閉じた。
そう。名目だけとはいえ、ジェイ・ジェットには妻がいた。
だから王妃の側にいることが叶ったんだ。
そのことを思い出してハッとした。カレンダーを頭の中でめくり、必死で記憶をたどる。
間違いない。マリリアート様に出会うのは三日後。
迎えに行く予定の日よりも先に、俺が――ジェイ・ジェットが最初に出会うんだ。
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