第17話 ジェイ・ジェット・ソリア

「ねえ、ジェイ? ジェイってば。ボーッとしてどうしたの?」

 少し舌足らずな幼い声にハッと我に返る。

 足元にすり寄ってこちらを見上げているのは、幼い一角獣クォンタムだ。

「いや。何か夢を見ていたような……」


 長い長い夢からさめたような不思議な感覚に首をかしげる。右手であごを撫でたあと、ゆっくりと周りを見渡す。

 ここはリュシアーナの王宮内にある騎士宿泊所の一つ、ラベスキアの私室だ。たしか考え事をしていたのだが、そのまま居眠りをしていたのだろうか。

 夜とはいえまだ早い時間で、空に輝く二つの月もまだ低い位置にあるのに?


「夢? ジェイ、ずっと目をあいてたよ。目を開けたまま寝てたの?」

 クォンタムは目を丸くして、心底驚いたように俺の顔をのぞき込む。

「俺は、目を開けたままだったか?」

「うん。ずっと遠くの方を見てた。何が見えるのって、さっきから聞いてるのに、ジェイってば全然教えてくれないんだもん」

 人間の子どもだったらぷくっと頬を膨らませているだろうクォンタムに、俺は思わずクスッと笑ってしまう。まだ幼い一角獣は、とても聖獣とは思えない可愛らしさだ。


 この子はなぜか俺の前でしか話さない。いや、本当は言葉が話せることさえ周りには秘密にしている。何か理由があるようなので無理に聞き出しはしないが、他の誰かがクォンタムのこんな姿を見たら、誰だってこの子を愛さずにはいられないだろう。

 そっとクォンタムのあごの下を撫でてやる。

「聞こえてなかったんだ。無視したみたいで悪かったな」

 そう言うと、彼は嬉しそうに目を細めた。


 俺がこの幼い一角獣と出会ったのは二か月ほど前になる。夜明け前に一人で東の森を走っていた時に、ケガをしているのを見つけた。最初は警戒していたものの、手当てをしている間にすっかり懐かれてしまった。今ではすっかり前足の傷はすっかり癒えたくせに、なぜか俺の部屋の居候と化している。


 小さくても聖獣だ。本来であれば王に懐くのではという声がなかったわけではないが、現国王であるアレク自身はまったく気にしていない。むしろ目を輝かせ、

『ジェイが女だったら私の妃にって話が出たんじゃないか? どうだ? 花嫁衣裳を仕立ててみるか』

 などと楽しそうにのたまっていた。

 身内同然のものしかいない場とはいえ、その発言に微妙な空気が流れたのは言うまでもない。それは、団の中でひときわ身長も肩幅もでかい俺の花嫁姿を思い浮かべたわけではないだろう(浮かべた奴がいたら殺す!)。


 むしろ想像するならば、美貌の王と呼ばれるアレクの花嫁姿だろう。

 とはいえ、その伴侶に俺がなるということもあり得ない。感情や立場、状況以前に、同じ母に育てられたものは兄弟であると見なされるこの国で、近親婚は認められていないからだ。


 王が女性であることは、ほんの一部の人間しか知らない。

 俺の育ての母がアレクの乳母だったことから、俺にとっては妹同然であるアレクサンドル。

 少し前に彼女が神託を受け、女神の遣わした花嫁を娶ることになったという。

 最近俺の頭を悩ませているのはそのことだ。


「なあ、クォンタム。アレクの嫁ってどんな人だろうな」

 甘える一角獣を膝に乗せてやると、彼はうっとりと目を細めたあと、面白そうに俺を見上げた。

「女神が選んだなら、きっといい娘さんなんじゃないのかな」

「それは、まあ、そうなんだろうけど」

 ――後継ぎは望めないだろう?

 その言葉を飲み込む。

 これは子どもに言っても仕方がないことだ。それでも……


「おまえはエイゴウを駆けるんだろう? 何も知らないのか?」

 クォンタムの言うエイゴウがなんなのかを俺は知らない。聞いてもよく分からない。

 だが、この一角獣はふらりとここではないどこかを行き来しているのは確かなようで、時々馴染みのない匂いをさせることがあるのだ。


 じっとクォンタムを見つめると、彼は困ったように首を傾げた。

「知らないのかって、例えばどんなこと?」

「例えば、花嫁が実は女性ではない、とか?」

 養母がこっそりこぼした希望を、実は俺も考えていた。

 女神が選んだのは女性にしか見えない男性ではないか、と。

「うーん。たぶん女の子だと思う。ただの勘だけど」

「そうか。まあ、男だったら、それはそれで問題がないわけでもないしな」

 アレクに縁談がなかったわけではない。むしろ国内外から降るように話があった。もちろん相手は女性だ。

 こまったことに、アレクは女性から絶大な人気がある。

 訓練場に立てば、アレクの勇士に女性からの熱い視線と黄色い声で大変なことになるのが常だ。いや、半分はニクスに向けられたものか。

 女性にしては背が高いアレクは、それでも男としては相当細身だし小柄だ。

 それでもそれを補って余りある技術を、天賦の才と努力で身に着けた。

 それでも、アレクがあと何年男として生きればいいのか。一生このままなのか。そんなことを考えるのはおかしなことだろうか。

 実際、後継ぎが生まれなければ、また余計な諍いが起こることもあるだろう。

 そんなことはアレクが一番考えていることだろうが。


「白き宝玉を守れ……か」


 先王が最後に残した言葉は、王宮を指すのか、それとも違うことを意味するのか。

 それが解決の糸口だとアレクは言っていたが、具体的なことは彼女も何もわかっていないように思う。


 やれやれと首を振ると、クォンタムがおもむろに「あっ」と声を漏らした。

「クォン、どうした?」

 最近付けた愛称で呼んでやると、彼は嬉しそうにクフッと笑い、

他人ひとのことよりさ、ジェイには? お嫁さん、来ないの?」

 そう聞いてしっぽをぱさりと揺らした。

 そのいかにも「君はかわいそうな独り身だよね」と言わんばかりの一角獣に、俺はわざと呆れたように目を見開いて見せた。


「おまえ、俺を独身だと思ってるのか?」

 嘘だろ?

 そう言わんばかりの言い方をした俺に、クォンタムがきょとんと首をかしげる。

「あれ? ちがうの?」

 その仕草が可愛くて、俺は彼のあごの下を指でなでてやる。

「二十一歳の健全な男だぞ? 一人のわけがないだろう」

 リュシアーナでは十七・八で結婚しているものが多いのだ。

 アレクが二十歳になっても独身なのは、かなり特殊だと言ってもいい。


 そう言ってもこの聖獣は納得のいかない顔をしたままなので、俺はくすりと笑って、隣の台に置いてあった黒メガネを手にした。


「クォン。これは俺にピッタリなもの、なんだろ?」

 黒メガネを掲げて見せると、クォンタムは「うん」と嬉しそうに頷いた。

「それはジェイに合うもの。必要なものだよ」

「ああ。これはすごくいいものだ。同じものが欲しいってやつもいるしな。いったいどこから持ってきたんだ?」

 ぷらぷらと揺らす黒メガネを目で追っているクォンタムは、「遠く」とだけ答える。

 何度聞いても答えは同じ。

 時々足される彼の言葉を合わせてみるに、クォンタムには何かにぴったりする・・・・・・ものが見えるのだという。自分でもよく分かっていないらしく、ただの勘で動いているらしいが、その為に何らかの道が開くことがあり、この黒メガネは俺のために開いた道の向こうで手に入れたのだそうだ。

 うん。わからん。


「俺に合うものはわかるのに、クォンは俺が独り身だと思うんだなぁ」

「だってぇ」

 からかわれていることにムウッと口を引き結ぶ一角獣がやっぱり可愛くて、目が笑っているのを隠すために黒メガネをかけた。


 瞬間――。




 身体に小さな電気が走ったような錯覚に陥り。




(うそ、だろ?)


 俺はサングラス・・・・・の奥で素早く視線を走らせる。

 上下左右、そして膝の上の一角獣や、逞しい自分の肉体に。


 ありえない。そう思った。


 まさかこれは、ジェイ・ジェット・ソリアの体?

 ここはリュシアーナなのか?


 今までジェイがクォンタムと交わした会話も、今がいつなのかもはっきりわかる。

 なのにさっきまで諒が公園にいたことも、魂だけになったような感覚も、イザーナの元にいた真珠の姿もはっきり覚えている。


 全身に震えが走った。

 夢にしてはあまりにもはっきりしすぎている。

 膝の上の聖獣の温かさも重さもはっきりと感じるのだ。


 ――まさか俺は、過去に……前世に戻っているのか?

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