第16話 女神の約束

 場面が切り替わる。


 それはリュシアーナの城内にあるジェイ・ジェットの部屋だった。開いた窓から音もなく部屋に入った幼いクォンタムが、前世の俺に今の俺のサングラスを渡した。

 二言三言言葉を交わし、後にトレードマークになるサングラスをジェイがかける。今の俺とは違う筋骨隆々で少し童顔の男が、目を隠しただけで余裕のある男に見えるようになった。



「あれは、俺のサングラスだったのか」

 怪我が治ったクォンタムが礼だと言って持ってきたそれを、ジェイは不思議な品だと思っていた。黒いのにちゃんと透けて見える。昼間天馬で空を翔けても眩しくなくて重宝した。

 体の一部のようなものだった。

 視線の向いているほうが分からないという点も重宝した。

 同じものを作れないかと工房に頼んだ仲間もいたけれど、あのサングラスのようにはいかなかったんだよな。そうか、少し納得だ。


 なぜあれをジェイに渡したのかクォンタムに聞こうとしたけれど、またグニャリと世界が変わる。無理な力がかかったのか吐きそうなほど気持ちが悪くなり、ぐっと奥歯を噛み締めた。

「うまくつなげたようだ。諒にはつらいだろうが、我慢しろ。声も出すなよ。声を出したらすべて消える」

 クォンタムのささやきに、見えないだろうが小さく頷く。同じ過ちを繰り返すものか。

 きっとさっきの部屋が見えると思っていた俺は、目の前に現れたのが美しい野原で驚いた。春の花が咲き乱れた美しい泉のほとり。そこに白いドレスをまとって真珠が立っていた。

 まさか婚礼かと思い、それでも声を出さないよう奥歯を噛み締める。

 何人かの女が彼女の世話をしていた。真珠の髪をすき簡単にまとめると、誰かに一礼して下がる。そちらの方から一人の女性がゆったりと歩いてきた。


(火の女神イザーナ!)


 そこに存在していないはずの俺でさえ、その空気に圧倒されて思わず心の中でひざをついた。実際に出来ているか分からないけれど、瞬間的に敬意を表せずにはいられなかった。

 激しい情熱を体現したような燃えるような赤い髪、なまめかしい肢体。


 ザキの妻であるイザーナはリュシアーナの守り神だ。

 嫉妬深い女神とも言われているが、ジェイ・ジェット――いや、マリリアート様を守ってくれた女神。

(ああ。本当に真珠さんがマリリアート様……)

 それを実感し、泣きたいような気持ちと、やっぱりとどこかで納得する気持ちが入り混じる。

 自分が空気に溶け込んだかのような状態の中、ふわふわと二人の周りを漂うとイザーナが手を上げ、俺の肩を撫でるようにスッと動かした。

 偶然かと思ったが、突如目の前とは別の光景が見えてくる。



「我の前でほかの男を呼ぶなど不快極まりないわ」

 それはさっき見ていた光景だ。

 ザキがまなじりを上げ、殴り掛かるかのように右手を振り上げると、真珠がギュッと目をつむってうずくまる。

 彼女をかばうように間に入ったものの、実際の俺はそこにいないのでザキの手はあっさりすり抜けてしまった。その手がそのまま真珠の髪を掴んで無理やり立たせると、彼女の目をのぞき込んだ。

消去ヨ・オフシャーヌ


 何かのまじないをかけられた真珠は一瞬びくりとすると、力なくズルズルと座り込む。

 ザキは残忍な笑みを浮かべたが、何かに気づいたようにびくりと振り返り、次の瞬間光り輝くような満面の笑みになった。

「おお、わが妻よ!」

 背後に花嫁にしようとした真珠がいるにもかかわらず、ザキはいつのまにか後ろに立っていたイザーナに向かって両手を広げた。

「イザーナ。今日もなんて美しいんだ。ああ、その瞳をよく見せ……ぐふっ」

「その娘は何かな?」

 ザキの腹にきれいなボディブローを決めたイザーナは、壮絶なほど美しい笑みを見せる。

「あ、ああ。そなたはやはり美しい」

戯言ざれごとはいい。私の質問に答えよ」


 炎と猛吹雪が同時に渦巻くような気に圧倒されるが、ザキはそんな妻の姿をうっとり見つめて恍惚としている。はっきり言って気色悪い。


「この娘は我の新たな花嫁だ。いいだろう? この輝き」


 新しいおもちゃを自慢するようなザキに吐き気がするが、その妻であるイザーナは冷たい目で夫を一瞥すると真珠のそばに跪いた。


「ふん。なるほど、こやつだったか」

 面白そうに口の端を上げる妻に、ザキが延々と真珠の自慢を始める。

 いかに輝きが素晴らしいか、彼女の舞いは一見の価値があるとか、

「この娘が産む子はさぞかし可愛かろう」

 そう言って、妻に褒めてと言わんばかりのザキ。

 この神は、あちこちで子をなしては妻に自慢すると聞いていたが真実らしい。


 真珠を守るように俺が彼女を抱きしめると、イザーナは嫣然えんぜんとした笑みを浮かべたので、なぜかザキまでがニッコリ笑う。

 しかし次の瞬間、妻から肘鉄を鳩尾にめり込ませられ膝をついたザキに、イザーナはふんっと鼻で笑った。


「気に入った。この娘は私がもらう。文句はないな」

「え、でも」

「も ん く は な い な?」

「はい」


 ザキの返事を合図にイザーナが真珠に触れると、場面はさっきの泉に戻った。


 声はないけれど、イザーナが真珠に語りかけるのが聞こえる。それは夫に対するのとは全く違う、慈愛にあふれたものだった。

 真珠が記憶の一部をザキに奪われたこと。

 元の世界にすぐ帰すことが叶わないこと。

 その二つを真珠に詫びる。


 神が人に謝るのを見て呆然としたが、目が覚めた真珠はイザーナに優しく微笑んだ。

 そんな彼女に女神はいくつかの約束をした。


 だんだん声が遠くなる。

 不思議な雑音が混じり、女神の約束が何なのかわからない。

 ただその為に、本当の名前を秘匿するよう真珠に告げたイザーナは、かわりにマリリアートという名前を彼女に授けた。

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