第15話 力を貸してほしい
ギリッと音が鳴る。噛み締めた自分の歯が鳴ったのだと気づき、一度ギュッと目を閉じて深く息を吐いた。
目の前に見えたもの。
それは実際に起こったことで、真珠は異界に攫われたことが間違いないと分かった。理屈ではなく理解した。
彼女が俺を呼ぶ声が耳を木霊する。
これが地球のどこかなら何をしてでも駆けつけるのに、あれはここではないどこかだ。
「くそっ」
自分の犯したミスに絶望で目の前が暗くなるのを必死でこらえた。今そんなことをしても意味がない。
思いもしなかった情報や、突然理解できたあれこれが身の内を渦巻き、思わずうめき声が漏れた。
どうすればいい。
どうすれば彼女の元に行ける。
視線を上げると、一角獣が立ち上がり俺をじっと見つめている。
その視線に、すぅっと苛立ちや焦りのようなものが引いていった。
そんな俺の前で一角獣はふうっと息を吐き、首を左右に振ると、「なるほどな、そういうことか」と言った。
それはあまりにも人間臭いしぐさで、まるで経験を積んだ年配の男性がそこに立っているような錯覚に陥る。
「黒木諒。――いや。ジェイ・ジェット・ソリアの魂を持つもの」
黒曜石のような目でひたと見据えて放たれた言葉に、俺はサックスを握りしめていた手を緩めた。
「なぜそれを?」
一角獣とは、転生した姿までわかるというのだろうか?
そんなことを疑問に思っていると一角獣は音もなく俺の側にやってきて、俺のわき――腰骨あたりに、猫のように頬をこすりつけた。それは一角獣にとって親愛の証で、前世何度もそれをふくらはぎあたりに受けていたことを思い出し、言い知れない感情が湧き上がってくる。
まさかと思っている。
世界を超え、時を超えた世界で再び出逢うことがあるのかと震えが走る。
でもそうなのか? 目の前にいるのは、あの小さかった聖獣なのか?
「クォンタム?」
恐る恐る呼んだ、昔懐いてくれていた聖獣の名に、一角獣は「久しいな」とあっさり頷いた。
「クォンタム、本当におまえなのか?」
聖獣でありながら、ジェイ・ジェットにとっては可愛い弟分でもあった一角獣。
まさかという気持ちを押しのけ、懐かしさと希望の糸が見えたという期待に全身に震えが走った。
何から話せばいいのか分からない俺に、クォンタムはおもむろに
「三千年近くもの時を経たとはいえ、おまえ、ずいぶん変わったな」
と、目を細める。
「ジェイの時に比べて縦も横もずいぶん縮んだが――なんというか、ずいぶんな優男っぷりだ」
前世と今世を横に並べてみたいものだとしみじみ呟いているが、俺はクォンタムの言った三千年という時の長さに唖然とした。
「三千年だって?」
「正確にはまだそこまでは経っていないが、人間にとってはさしたる差はないだろう」
一角獣はなんでもないことのように首をかしげる。
「私はエイゴウを駆けるもの。忘れたのか?」
エイゴウ――それは宇宙、時、世界のすべてを含めたもので、クォンタムは俺がジェイ・ジェットだった頃も、時々あちこちに出かけていたことを思い出す。
不思議な土産を持ち帰ってはマリリアート様を喜ばせていたが、彼女の不思議な私室は、ほぼクォンタムのおかげでできたともいえるのだ。
「クォンタム。おまえも見たと思うが、マリリアート様の生まれ変わりである女性が、ザキに攫われた。助けたいんだ。力を貸してほしい」
無礼を承知で必死で懇願すると、クォンタムはもどかしいほど悠然と首を振った。
「ジェイ。いや、諒。ちがう、そうじゃない」
「何が違うんだ!」
「今見た女性はマリリアートだ」
「だからそう言ってる!」
「いや、分かってない。彼女は生まれ変わりでも何でもない、マリリアート本人だ」
「はっ?」
噛んで含めるような低い声が、突如脳天を貫いた気がした。
「真珠さんが――マリリアート様本人?」
「そうだ」
「そんなわけないだろう。彼女はまだ二十歳だぞ! 本当は三千歳だとでもいうのか⁉」
たしかにマリリアート様との最後の記憶で、彼女から「まこと」という名は教えてもらった記憶はある。彼女の姿もあの頃のままだと言ってもいい。だがどちらも神に愛された魂のなせる業だと思っていた。まことというのが、彼女の
だけどまさか、そんな。
「リュシアーナは、地球、いや、こことは違う世界だよな」
「そうだ。違う次元、こことは異なる世界だ。諒、よく聞け。おまえ、以前サングラスを失くしたことがないか?」
突然変わったどうでもいい話題に俺は顔をしかめたけれど、よく思い出せと促されて頷いた。
「何年か前に失くした。高校生の頃」
それはバイト代で買ったサングラスだった。
ジェイ・ジェットがかけていたようなサングラスで、懐かしくて手に取った。ちょうどバイト代が入ったこともあって即購入したものだ。それがいつの間にかなくなっていた。自分の部屋の中だったので、散々探した後、間違ってごみ箱に落としたか何かしたのだろうと思ったのだが。
「けっこう高かったんだけどな」
普段、家で失くしもの等しないこともありけっこうショックだったのだが、なぜか彼が「悪かった」と頭を下げる。
「そのサングラスは、私――正確には幼かったころの私が持って行った」
はあ?
「意味が分からないし、昔失くしたものなんか今はどうでもいい」
なぜこんな余計な話をしなければならないんだ。
「それがよくないのだ。そうだな、仕方がない。イチかバチかやってみるか」
百聞は一見に如かず――。
なぜかそんなことを呟いたクォンタムは、「諒、私の角を握れ」と言って俺の隣に寄り添ったのでギョッとする。
「角? そこは王族しか触れてはいけないはずだろ?」
かつてリュシアーナでは、魔獣の魔力を生活に利用してきた。
魔獣には必ず角があり、その大きさで力の大きさも分かる。
例外は聖獣だけで、強大な力を収めているにもかかわらず、角はそれほど大きくはない。ただし強大な力を秘めている為、触れることが出来るのはその魔力を受けてもいいだけの器を持つもの。つまり王族だけだったのだ。
「おまえなら大丈夫だ。聖女の口づけを受けたお前なら」
それは真珠にしたものか、それともマリリアート様にされたものかは分からないけれど、俺の姿が変わってしまったとはいえ、この一角獣が害を為すとは考えられない。じっとこちらを見上げる目に、俺は「わかった」と頷き、彼の角を握った。
ふわりと風が湧き上がる。
次の瞬間周りの景色がゆがみ周りの色が消えた。
緊張にこくんと喉が鳴る。
自分の存在さえ曖昧になるなか、左手の角の感触だけを頼りに意識を保つと、やがて星のような光が一つ二つと瞬き始めた。それは徐々に数を増やし、その一つがふわりと膨らむ。
その中に、まるでテレビでも見ているような少し距離を感じる映像が現れた。
それは俺の部屋――いや、レイアウトなどから見て、たぶん高校時代のもの。そこに猫のような大きさの一角獣がひょっこりと現れた。
「えっと、ここだと思うんだよなぁ。う~ん。――あっ、あった。これこれ、うん、間違いない。これがジェイにピッタリの何かだ!」
そう言って棚や引き出しを探っていた一角獣――いや、幼いころのクォンタムが、俺のサングラスを持って行ってしまった。
どういうことだ?
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