第13話 竜笛の音
夜十時を過ぎてるにもかかわらず、犬の散歩やウォーキング、スケボーの練習など、公園には意外なほど人がいた。
いつもライブをしている場所の周囲も決して無人ではなかったけれど、あの日と同じ場所に立ち、同じ歌を歌うことにした。
一応サックスを持ってきていたが、公園自体が広く、住宅からも離れていることから吹いても大丈夫そうだ。事実遠くからトランペットなどの音色も聞こえている。
「じゃあ始めるか」
兄貴が少し緊張した面持ちで合図をする。亜希が踊るのは前回と同じ三曲目からということにしたので、とりあえずは彼女が客役だ。
ただ純粋に、この音が真珠に届いてほしい。――そんな気持ちでサックスを吹く。
兄貴の歌声もいつもより深みがあり、胸を抉るような切なさがある。そのためか、途中で亜希がこっそり涙をぬぐうのが見えた。
ちらほらと観客が遠巻きに集まるけれど、俺はただ見えない月に向かって演奏を続ける。
リュシアーナには二つの月があった。
地球から見えるのとは違う月。こことは違う世界。
今夜みたいに、新月だから月が見えないなんてことがない世界。その光景が妙にはっきりと脳裏に浮かびあがる。奇妙なほどあの世界を肌に感じ、その感覚を逃すまいと神経を研ぎ澄ませる。
真珠さん。どこにいるんだ。戻ってきてくれ。自分で帰れないなら迎えに行く。呼んでくれ。俺を呼んでくれ!
すべての曲が終わって、遠くからぱらぱらと拍手が聞こえた。
「――何も起こらなかったな」
周りをと見渡したあと、ブレスレットに触れながら天を仰いでギュッと目を閉じる。あの時聞こえた声のようなものが聞こえないか耳を澄ましてみた。しばらく全方位に意識を集中させたものの、特に変化はない。
だめか――。
「もしかしたら、満月の日を狙ったほうがよかったのかな」
なんとなく呟くと、兄貴が首をかしげ、難しい顔のままこちらを見る。
いつの間にか周囲から人の気配も消え、公園が知らない場所のような雰囲気になっているのに、ひんやりとした風が吹くと不思議と懐かしい感じがした。
「満月に何かあるのか?」
「いや。ただ、リュシアーナ――前世の世界には月が二つあって、必ずどちらかが空にあるんだ。月には魔力があったからって――。まあ、なんとなくそう思っただけ」
我ながらめちゃくちゃなことを言ってるな。
こんなことにまで付き合ってくれる二人には感謝しかない。本当に俺は恵まれているんだ……。
「兄貴、亜紀。ありがとな」
「諒」「諒ちゃん」
二人が俺を呼びながらも、それ以上言葉が続かなくて沈黙が落ちる。
体の中が石化したかのように、重く気だるい。自分がすべきことが分からないとき、己がなんてちっぽけで無力なのかと痛感する。
このまま彼女と二度と会えないのでは。そう思うと恐怖でどうにかなりそうだったけれど、耳の奥に残る兄貴の歌声や、訴えかけるような亜希の踊りが俺の心を現実に引き留めていた。それはいつものライブとは違うなにかで、奇妙な懐かしい気持ちに胸の奥が引き絞られるように痛んだが、ふいに懐かしい旋律を思い出した。
同時に心のずっと奥から、前世の自分――ジェイ・ジェットの声が聞こえる。
「よう、俺。ずいぶん腑抜けてるじゃないか」
そのいかにも呆れたような声に、俺は思わず天を仰いで息を吐いた。
アレクの呆れたような顔や、ニクスが額に手を当てて首を振るさままでがありありと浮かんで恥ずかしくなってくる。
ああ、本当だな。今の俺は腑抜けすぎだ。
そうだ。不可思議な状況とはいえ、まだ何もできていない。あきらめるには早すぎる。俺よりも真珠のほうがつらいはずなんだ。腑抜けてる暇なんてない。
「兄貴、亜希。悪いんだけどさ、少しだけ一人にしてくれないかな。なんなら先に帰ってても」
「いや。車で待ってるよ」
「うん。待ってるからね」
かぶせ気味に二人から待っていると言われ、思わずクスッと笑った。過保護な二人の姿に、不思議なくらい肩の力が抜ける。
「ありがとう。――実は一人で吹きたい曲があるんだ。さっき思い出してさ。十五分か、長くても三十分くらいで戻るよ。いい?」
二人は一瞬ためらいを見せた後、「わかった」と言って駐車場に戻っていった。
「真珠……マリリアート様」
空を見上げてその名を呼ぶ。木々の間から星がちらほらと見え、俺はその一つをじっと見つめた。
リュシアーナでは神々の怒りや暴走、そんなものから起こる災害を抑えたり人々を救助するのが、リュシアーナの王家や騎士の仕事だった。
魔獣の魔力を人々の役に立つよう利用したりもしていたけれど、どうしても駆除しなければいけない魔獣もいた。
かつてその討伐のために遠征した先で、マリリアートを含む数名で野営をすることになったことがある。その時彼女のために即興で吹いた曲が、なぜかさっきから頭の中で流れていた。
自分とマリリアートと、いつもそばをついて回っていた聖獣である一角獣。
一角獣はまだ子どもで、成猫より少し大きいくらいの大きさだった。足にけがをしていたところをジェイ・ジェットが保護したためか、王族でもないのにやたらと懐かれていた。
その愛らしい姿が甦り、思わず頬が緩む。
二人と一頭で焚火を囲んだその光景が奇妙なほどはっきりと脳裏に浮かび、俺はその場にいるような気持ちでサックスを吹き始めた。
それはゆったりとした牧歌的な旋律で、あの日、ジェイ・ジェットは王妃の心が安らぐよう心を込めて曲を奏でたのだ。
マリリアートが穏やかな表情で一角獣の背をゆったりと撫で、一角獣はうっとりと目を閉じている。
そんな姿が実際に目の前にあるような――そんな気持ちになった時だ。
ふわりと風が舞った。
先ほどまでとは違う生暖かい風が、俺の周りを巡るように吹いた。
その懐かしい感じに思わずぶるっと身震いすると、マリリアート達がいるような気がしたその場所に、やわらかな光の輪が現れる。そしてそれは徐々に大きくなると、その中から一角獣が現れたのだ!
(まさか)
心の中で呟き、ごくりと喉が鳴る。
その一角獣は馬に比べたらかなり小さい。それでも四つ足で立っているだけでも頭が俺の腰当たりに来そうな大きさで、角を無視したシルエットだけなら大型犬だと思ったかもしれない。
これは幻か? 日本に一角獣がいるはずがない。小さな馬だったとしても、都内の公園をひとりで散歩しているわけがないだろう?
額に黒っぽい一本の角をもつ一角獣は周囲をゆっくりと見渡した後、俺にひたと目を留めた。ジッと見つめ合っているとそれは不思議そうに首をかしげる。
「おまえ、私が見えるのか?」
(しゃべった!)
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