第12話 君だけが消えた世界
近江
文字通りこの世界から彼女の存在が消え去った。
俺のスマホにあった彼女の連絡先も、たくさん交わしたメッセージも消えてしまった。亜希のスマホに彼女の写真も連絡先もない。
彼女のマンションにも行ってみたけれど、そこは空き部屋になっていた。
何が起こっているかわからなくて気が狂いそうだった。
懸命に冷静になろうと思っても、一分おきに叫びたくなる。
それでもそうせずにいられたのは、俺の腕に彼女が作ってくれたブレスレットが残っていたからだ。俺の誓いに彼女がこれをくれ、許すと言ってくれた、その証拠が!
あの人は確かにいた。いたんだ!
この一週間、探せる場所は全部探し、調べられることは全て調べた。表向きは何事もないよう普通にふるまえてたはずだけど、今日は家に帰ると電池が切れたように動けなくなった。
夕日の差し込む自室でぼんやりしていると、亜紀が開けっ放しのドアから顔だけをのぞかせた。
「諒ちゃん、ごめんね?」
「……なんで亜希が謝るんだ?」
「だって諒ちゃん泣いてる」
「泣いてないよ」
涙なんか出てこない。
ただ空っぽだった。気力が何も湧いてこないだけだ。
上も下も分からない空間に取り残されたような気分で、自分が進むべき方向がまるで分らない。
あの日、真珠が消えたことで半狂乱になってる俺を、兄貴と亜紀は少しの間不思議そうに見ていた。それでもただ事ではないと思ったのだろう。兄貴から順を追って説明するように言われた。
当然それどころではないから振り切ってあちこちを走り回り、疲れ果てて帰ったのは夜明け近い時間だった。なのに兄貴は起きて待っていて、亜紀も自分の部屋で待機していたらしく、すぐに飛んできた。
二人とも仕事や学校があるのにだ。
そこでやっと、ぽつぽつと話をすることが出来た。
三月に亜希に見せられた写真にいた、王妃そっくりの少女のこと。彼女に公園で会ったこと。その日までにあったことを少しずつ丁寧に掘り出すよう話した。そうしないと、話した瞬間すべてが消えてしまうのではないかと怖かった。
消えたのは真珠じゃなくて、俺のほうが彼女のいない違う次元に来てしまったのじゃないかとさえ思ったのだ。
でもその時ふと、二人の手首にもブレスレットがあるのに気付き、思わず兄貴の手を掴んでしまった。
「兄貴これ! これも真珠さんが作ってくれたものだ!」
亜希と兄貴はペアになるデザインで、俺のよりシンプルな造りの細いものだ。小さなパールが一つついていることだけが共通している。ライブの前に真珠が二人に渡していたことを、その時初めて思い出した。
二人はそれをいつからしているのか、どこで手に入れたのかさえ覚えていなかったけれど、不思議なことに俺の話を信じてくれた。前世のことを信じてくれたように。
兄貴と亜紀はいつだって俺の味方なのだと、いつだって疑うことなく俺を信じてくれるのだと胸がいっぱいになった。
だから苦しくても、迷子のような気持ちでも、表向きは普通にふるまうことが出来た。もしふらりと真珠が戻ってくるようなことがあった時、ボロボロの俺を見せるわけにはいかないという気持ちにもなれた。
それでもふとした瞬間、すべての気力が削げ落ちてしまう自分の弱さに自嘲的な笑いが漏れる。
今もそーっと入ってきて隣に座った亜希は、コトンとアイスコーヒーの入ったグラスを二つ置いて、「お茶にしよう」と小さく微笑んだ。
「近江さんの実家とか思い出せるといいんだけど」
亜希と兄貴は俺の話を聞いた後、何度もそれぞれのスマホを見直し、パソコンのフォルダやアルバムもめくって真珠のことを探してくれた。
彼女の実家が栃木県だということは覚えていたし、俺が覚えていた彼女のユニフォームのデザインから出身高校も割り出せた。そこから亜希が旧友にそれとなく探りを入れてくれたが、やはり初めから近江真珠という女性は存在しなかったかのようになっていた。
「あのね、諒ちゃん。潤ちゃんと色々話してたんだけど」
「うん?」
首をかしげて亜希を見ると、彼女はどう話そうか迷うように視線を上に上げ眉を寄せて、少しの間考え込むように沈黙する。それから手首のブレスレットをひと撫ですると、意を決したように小さく頷いた。
「諒ちゃんって、前世の記憶があるじゃない」
「ああ、そうだな」
今となっては、これが本当に記憶なのか怪しく感じるけれど。歴史的に地球の人間だった記憶ならともかく、全く違う世界の記憶だ。これが妄想の産物じゃないと誰が言える?
そう独り言ちた俺に、亜紀は首を振って「記憶だよ」と断言した。
「私ね、色々考えたの。近江さんが視線を感じるとか声が聞こえるって言ったこと。最初はストーカーだと思ってたの。でもね、潤ちゃんと話を整理していくうちに、あれっ? ってなったのよ」
俺が首をかしげると、亜紀は真剣な顔で俺を見た。
「諒ちゃんの王妃様の話は、子どものころから聞いて知ってる。まるで私も知っている人に思えるくらいには馴染みがある」
「うん」
「近江真珠さんは、王妃様そっくりだったんだよね?」
「ああ。顔立ちも声も、いつもしている真珠のピアスやペンダントも同じだった。ライブで踊ってくれた姿も……」
そこではたと言葉が止まる。
「マリリアート様の舞いは……神を呼ぶ特別な力を秘めていた」
自分の言葉に血の気が引いていく。超常現象としか思えないこの出来事。あの時聞こえた声のような声じゃないような呼びかけ。何か思い出しそうなのに何も掴むことが出来なく、てぎりっと歯ぎしりをする。
なんだ? 何が引っかかってるんだ?
俺は何かを忘れているのか?
もどかしい思いに顔をゆがませる俺の肩に亜希が手を置いて、まっすぐに目をのぞき込んだ。
「うん。バカバカしいかもしれないけれど、引っかかったのはそこ。この出来事にはもしかしたら、その異世界の神様に関係しているのかもしれない。何も覚えていない近江さんが、無意識に神様を呼んじゃったとか、ストーカーの正体が神様だったとか。――よくわからないけど、私と近江さんは、あの日一緒に踊ったんだよね?」
小さく頷いて肯定すると、亜紀は不敵ともいえるような笑みを見せた。
「ねえ、今夜もう一回公園に行ってみない? サックスは吹けないだろうけど、潤ちゃん歌うって言ってるし、私も躍ってみる。同じ場所で誰もいないほうが何か思い出せるかもしれない、なんだかそんな気がするの」
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