第5話 なんだか男らしいわ

 多分、いや間違いなくこの頃の俺は浮かれていたのだろう。

 生れる前から恋焦がれてきた女性が目の前にいるんだ。必死に隠しても、心は羽が生えたかのようにふわふわと浮かんでいる。

 だから見逃した――。

 大事なことを思い出しそびれたんだ。


   ◆


 ライブの後のランチは亜希が気に入っている店に行った。女の子が好みそうな小洒落たレストランで混雑していたが、タイミングよく席につけた。

 そこでは主に亜希と真珠がおしゃべりをし、俺と兄貴は主に聞き役に回る。

 亜希の策略だろう。色々さりげなく聞き出してくれた情報を、俺は心の中に次々にメモしていった。


 真珠は三人兄弟の末っ子で、一回り以上離れた兄が二人いること。

 親戚一同男の子ばかり生れる中で初の女の子だったため、小さいころはお姫様みたいに育てられたという。

「じゃあ真珠さん、東京で就職なんて反対されたんじゃない?」

 兄貴がそう聞くと、真珠はいたずらっぽく笑って手を振った。

「今はいとこにも女の子が何人かいるんですよ。それにうちの両親もお兄ちゃんも、大兄ちゃん、あ、一番上の兄の娘たちに夢中ですから!」


 一番上の兄は今三十四歳らしく、娘が二人いるらしい。

 真珠の実家は兼業農家らしく、その兄家族は敷地内に家を建てて住んでいるそうだ。二番目の兄は三十二歳で去年の末に結婚したらしく、隣の市とはいえ、車で一時間もかからないところに新居を構えたそうだ。


 その為か、東京での就職は特に反対もされなかったらしい。

 むしろ若いときにできることをすればいいと、父親が背中を押してくれたのだと言う。まだ三月だが二週間前に入社式も終わり、すでに社会人だそうだ。


「でも一人暮らしだと、自炊とかも大変そうだよね。まこちゃん、料理苦手じゃなかったっけ?」

「亜希ちゃん! 日本にはね、鍋という素晴らしい料理があるのよ! 野菜と肉を放り込めば栄養もばっちりじゃない!」

 自慢げに胸を張る真珠に思わず吹き出しそうになるが、亜希は小さく拍手の真似をした。

「おお、まこちゃん、なんだか男らしいわ」

「伊達に男ばかりのうちで育ってないもの」

 そうは言いつつも、実は彼女の母親はもちろん、お兄さんは二人とも料理上手らしい。真珠の食生活を心配した兄達が〇〇の素の類をたくさん持たせてくれたと聞いたときには、腹筋が鍛えられて大変だった。


「潤さんと諒さんは、お料理はされるんですか?」

 無邪気に尋ねられ、多少は作れると答えると、亜希が代わりに俺の得意料理をあげ連ねる。目をキラキラさせた真珠に「いいお婿さんになりますね!」と褒められ、今度こそ笑いが止まらなくなった。


 まいったな。この子めちゃくちゃ可愛い。

 たぶん俺に前世の記憶がなくても、気になって仕方なくなっただろうな。

 とどのつまり、生まれ変わろうがなんだろうがどうでもいいくらい、すごく好みなんだ。


 そう思うとストンと自分の中で何かが落ちたような錯覚に落ち、同時にギュッと胸の奥を握りつぶされたような痛みが走る。


 彼女の雰囲気から、多分前世の記憶はないだろうと感じる。

 見た目も聖女の印もそのままなのに、共有できる記憶は何一つないのだろう。

 それでも出会えたことが嬉しくて、何か大きなものへの感謝でいっぱいになった。



 その後、真珠をマンションまで送っていくことになった。

 真珠の就職先は東京だが、住んでいるところは埼玉だ。とはいえ本当に県境あたりで、うちの最寄り駅と同じ沿線上だということに少し縁を感じたのは内緒だ。


「自転車で十分くらいの差なのに、家賃が全然違うんだよ!」

 そう言って笑う真珠の住まいは、大きな通りから少し奥まっている静かな住宅街にあった。少し古いが落ち着いた雰囲気で、女性単身者専用だというマンションはオートロック付き。駅まで徒歩十分という利便のよさだが、たしかに家賃は少し安い。


 真珠からお茶でも飲んでいってと言われ、慌てて辞退しようとする俺をよそに、亜希が嬉々として話を進めてしまう。途中のコンビニで楽しそうに菓子などを買い込む真珠たちの姿に、思わずめまいがした。

「女の子の部屋だぞ」

 こそっと抗議した俺をチラッと見た亜希は、

「私の部屋は気にしないくせに」

 と、いたずらっぽく笑うが、俺が最後に入ったのは小学生の時だし実家だろう!


 わかってる。たぶん俺が気にしすぎなんだ。

 亜希も兄貴もいるから、彼女も気軽に誘ってくれたのだろう。

 でも、恋人でも何でもない初対面の女の子の部屋というだけでも怖気づくのは、真珠相手だからだろうか。亜紀のおかげで、まるで十年来の友人のように俺にも気安く接してくれるから、かえって恐縮してしまう。

 それに一番困るのは、兄貴と亜希の目があきらかに面白がっていることだ。彼女に不審に思われたらどうするんだ。


 余計なことをするなって言ったのに。ほんと、勘弁してくれ。

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