第239話「銀の鍵 エピローグ」

 結局シェルターで一晩を明かすことになった僕たちは、「修道院に迷い込んで正解だったのでは……?」と震えた。諸々の野営道具を荷馬車に置いた状態で遭難していたわけで、全くのゼロの状態からシェルターを作り上げるのは無理であっただろう。


 翌朝、吹雪が治まったので閣下の軍隊と合流するために歩きだした。幸いにも小一時間ほどで「周囲に木々が無いのでおそらく道であろう」という場所を発見し、それを遡上していくと軍と合流出来た。


 最初に出会ったのは、隊列の最後尾を進んでいたという負傷者・落伍者を乗せた馬車の一隊だった。ヨハンさんはため息をつく。


「……軍の最後尾にたどり着いたってことは、どうやら俺たちは本隊の行軍速度より遥かに遅い足で進んでいたってことになるな」

「僕たち、道を外れての側面警戒任務の最中でしたからね……悪路で相当足が鈍ってたんでしょうね」

「悪天候っつー条件はあったとはいえ、まあそもそも歩兵がやるにはリスクが高い任務だったんじゃないかね。騎兵連中ならこうはならなかっただろうよ」


 側面警戒は騎兵に任せようだとか、歩兵にやらせるなら悪天候時はもっと部隊間の距離を詰めてはぐれるリスクを軽減しようだとか、改善案とも愚痴とも言えないことを話し合いながら歩いていると、やがて閣下直率の本隊にたどり着いた。


 ……やたらと閣下とカエサルさんが歓迎・労ってくれたが、相当心配してくれていたのかな?


 ともあれ僕たちが遭遇した諸々の状況を話すと、「お前ら呪われてるんじゃねェのか?」とのお言葉を賜った。僕もそう思います。なんで次から次へとこういう事態に巻き込まれるんだ……どうにも今回、化身が手引きした感じでもないし。


 そして銀の鍵については「実用的な使用法が無い上に、見つめると狂いかねない呪物なんざ管理したくねェーよ。教会に預けるかお前らで管理してくれ」と言われた。……領民に実害が及ばない限り、神格関連のものに関与するのは避けるスタンスのようだ。まあそういうことなら、ひとまずブラウブルク市に帰るまでは僕が管理しておこう。


 冒険者ギルドの隊列に復帰すると、「遭難してたんじゃ疲れてるだろ、俺たちの後ろについてきな」とヴィルヘルムさんの【鷹の目】のすぐ後ろに配置された。彼らが踏み固めた雪の上を歩けるので、随分と楽に進める。配慮がありがたい。


 そうして比較的楽な行軍をしていると、やっと人の心配をする余裕が出来てきた。イリスと雑談に興じる。


「そういえばミハルさん、今頃は過去のアランさんの説得に成功している頃かなぁ」

「未来のアランさんも一緒だし、大丈夫でしょ。……それで修道院襲撃はなくなる」

「そうだね……でも、その後はどうするんだろう。元々は決死の教皇暗殺を、化身から命じられていたんだよね」

「腹を決めて教皇暗殺に乗り出すか……あるいは」


 イリスは僕を指さした。


「あんたの事例を知ったミハルさんは、化身に戦いを挑むかもしれないわね」

「どっちにせよ血塗られた道になりそうだなぁ。でも、勝ってくれることを祈るよ。……もう、それしか出来ないし」


 ミハルさんたち。修道院に残された人たち。ほんの少しの手助けしか出来なかったり、全く助けられなかった人たちに対して出来るのは、祈ることだけだ。


 僕には全てを救う力なんて無い。全てをなげうってまで助けたいと思うのは、イリスだけだ。それ以外の人たちは、究極的には切り捨てることになるだろう。


 でも、そういう状況に陥った時に。ミハルさんは「他人を踏みにじる」ことを拒否したのだ。なげうつのは自分の命までで、他人の命を踏み台にすることは拒否した。……高潔な人だと思う。僕に真似出来るかは怪しい。


 でも、だからこそ、そういう人が爪痕を残せることを祈りたい。僕たちからはもう観測出来ないけど、そういう人が居たんだと信じたい。そう信じることで、自分を含めた誰かが、「あの高潔な人を倣って」正しい行動を歩めるかもしれないから。


 宗教や祈りの意味が、少しだけわかった気がした。



◆◆◆



 ミハルは、自分が思った通りの時と場所に移動することに成功していた。クルトたちから見て100余年前、戦火渦巻く故郷。イザークに組織された恩寵受けし者ギフテッドたちが、教会から派遣された討伐隊から逃げながら放浪し、ひと晩の野営地に選んだ森の中。


 春風の心地よい、月夜の晩。アランがナイアーラトテップに銀の鍵の在り処を尋ねることになる、その前日の晩だ。ミハルはイザークたちの野営地のすぐそばに降り立っていた。


「……感謝するよ、クルト。私は本懐を遂げる」


 そう独りごちるミハルは、野営地に向け歩きだした。記憶が正しければこの晩、アランは歩哨に立っていたはずだ。――――果たしてミハルは、思索に耽りながら立つアランの姿を見出した。


 いつも仲間のことを思い、その知恵で幾度も仲間を救ってくれたアランが、そこにいた。彼に全てを話せば、修道院襲撃はなくなる。クルトのことも話せば、彼と同様に化身と渡り合う方法も、なんとか考え出してくれるかもしれない。


 希望と祈りを胸に、ミハルは1歩踏み出した――――その足が、膝から崩れた。


「……!?」


 驚愕の叫びも出なかった。喉からは、ひゅるひゅると空気が漏れ出す音が響くのみ。――――喉を掻き切られたと気づく頃には、ミハルは地面に倒れ伏していた。


 うつ伏せに倒れるミハルの背後から、声が響く。


「感謝するよ、クルト」


 ――――それは、アランの声だった。前方に見える、思索に耽るアランはこちらに気づいた様子はなく、位置も変わっていない。だというのに、背後からアランの声がする。


 修道院襲撃を経たアランが追ってきた。ミハルはそこまでは理解出来た。しかし何故、彼が自分を殺すのか、それがわからなかった。


「……ヨグ・ゾトホートの信者たちはいくつか勘違いをしている。確かに過去や未来を変えれば世界は分岐する。しかしいかなアツァトホートでも、無限に増え続ける世界を演算するほどの能力はない。……過去や未来に行った者が帰ってこないのはね、ミハル。時間旅行者が丁寧に丁寧に、殺されているからなのだよ」


 アランはゆっくりとミハルに近づく。


「私たちが望むのは、1だ。勝手に枝葉を増やされては困る。増えた枝葉に栄養が分散し、花が咲かなくなるのは困るのだ。……ご覧、ミハル。あそこに私がいる。未だ自身がナイアーラトテップだと気づかぬ私が。君が増やそうとした枝葉の先で、どのような花を咲かせたのかは気になるところだが……私が見たい花は、違うのだ」


 アランはミハルの顔を覗き込んだ。……既に、事切れていた。


。……さて、あと100余年をどう過ごそうか」


 アランは己の権能を理解していた。自身に寿命が無いこと、見た目を自由に変えられることを。彼の興味は目下、自身を目覚めさせたクルトを弄ぶことにあった。彼とどのような形で再会しようか、考えるだけでも愉快であった。


 アランは愉悦に満ちた笑みを浮かべながら、闇の中に消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る