第236話「銀の鍵 その9」

「用済み! 改宗パンチ!」

「じゃあ暴力の時間だ!」


 クルトとフリーデの剣呑な叫びを聞いて、ヨハンは部屋を飛び出した。ミハルの部屋を、である。ミハルもまたヨハンに続いて部屋から出てくる。


 ヨハンはクルトに時間を稼がせている間、こちら側から女子寮に行けないことを確認した後、ミハルの説得を試みていた。ミハルが最初、半狂乱で修道院を出ようとしていたことから、修道院に何かしらの不満を抱いていると踏んでのことである――――そしてその予測は的中し、ミハルを味方に引き入れることに成功していた。


 しかし今この瞬間、この努力の大半が無駄になったことを悟った。礼拝堂に駆けつけたヨハンは、女子寮から完全武装で飛び出してくるイリス・ルル・フリーデの3人組、イザークと戦闘しているクルト、そして床に落ちた包丁を拾おうとしている老人を見た。


「よくわからんが」


 ヨハンはナイフを投げた。老人に向けて。


「暴力の時間なら仕方ねぇな、うん」


 ナイフは老人の首筋に突き立った。『吸魂』を授かり、修道士一党が使う特殊能力の燃料庫として働いたマロシュは、致命傷を負い倒れ伏した。



 鍋を抜く動作のついでに肘打ちを繰り出し、老人が持つ包丁を弾いた僕は、その姿勢のまま後ろ蹴りを放った。老人を突き飛ばす。そしてその反動で前に一歩踏み出しイザークさん、否、イザークに躍りかかる。


 彼は扉の横に置いたロングソードへと手を伸ばしていた。刃が下に向いた状態のあのロングソードが脅威になるまでには、柄を掴んでから刃を振り上げるまで2動作を要する。対する僕は、既に鍋を振り上げているのであとは「振り下ろす」の1動作で攻撃が完了する。絶対に僕の方が早い。


「暴力!! ――――ぐえっ!?」


 鍋を振り下ろそうとした次の瞬間、額に強い衝撃を受けていた。ロングソードの柄頭が目前にあった。イザークは刃を振り上げるのは間に合わないと判断し、手に取った柄をそのまま僕にぶつけてきたのだ。


 僕に柄頭をぶつけた反動で柄を肩に寄せたイザークは、そのままロングソードを振り下ろしてくる。鍋で何とか打ち払うが、凄まじい連撃に防戦一方を強いられる。鍋の方が取り回しが良いはずなのに、『打ち払って踏み込む』ことが不可能な速度で連撃を繰り出してくるのだ。


「こいつ……純粋に強い!?」

「話を聞いていなかったのですか? 司祭だと言ったでしょう」

「何の関係があるんだよ!?」


 結局僕は、ルルとフリーデさんが介入してきたことでイザークの猛攻から逃れられた。しかしイザークは2人の攻撃もやすやすと受け流している。イリスが一時後退を命じ、【鍋と炎】とイザークは3mの距離を置いて睨み合った。


 男子寮側から駆け寄ってきたヨハンさんが言う。


「100年前に司祭になれるのはほぼ貴族だけだ。こいつは手強いぞ!」

「そういうの先に教えてくれませんかね!」


 貴族。幼少期から武術を叩き込まれた人たち。しかもイザークの場合、戦乱の世を生き残ったという実績がある。道理で特殊能力なしでもやたらと強いわけだ。


「ミハルさんは?」

「抱き込んだ」

「……なら、イザークさん。状況は5対1です。いくら貴方が強くても勝ち目がないことくらいはわかるでしょう? 降伏してください」

「ふむ。確かに分が悪い」


 そう言いながらも彼は、ロングソードを油断なく構えたまま僕たちをぐるりと見回した。


「しかし勝ち目が無いわけではない」

「何を――――」


 瞬間、イザークは懐に右手を突っ込んだ。何をするつもりかわからないが、ここで秘策を発動させてやるほど僕たちも馬鹿ではない。一斉に襲いかかる。


 ヨハンさんの投げナイフとイリスのファイアボール。ロングソードで弾かれる。ルルの槍。首の動きだけで回避。フリーデさんのメイス。ロングソードで弾こうとしたが逆に弾かれ、ロングソードが床を転がる。僕の鍋。フリーになった左腕で受け止められたが、骨を折った感触。


 普通ならもう詰んでいる。次の一斉攻撃で絶対に仕留められる。


 しかしイザークは右手を守り通した。懐から抜き放ったその手には、銀色の大きな鍵が握られていた。


「死にゆく哀れなマロシュよ。その魂、貰い受ける」


 銀色の鍵が光を放つ。老人の身体からもやのようなものが鍵へと吸い込まれた。


「くそっ!」


 直感的に第2撃が間に合わないと感じる。鍋を振り上げながら、ダメ元で『幽体の剃刀』の発動を試みる。やはり不発。そのまま鍋を振り下ろしたが、それは宙を切った。


 イザークは避けた。僕の鍋を。それどころか【鍋と炎】の第2撃、その全てを。しかもだ。


 確かにイザークは歩いていた。散歩でもするかのように、気楽に――――ただし映像を早送りしたような速さで。


「時間を――――」


 自分だけ時間の歩みを早くしたのか。この修道院ではナイアーラトテップ由来の特殊能力は使えない。しかしヨグ・ゾトホート由来なら話は別ということか!


「――――」


 イザークは何か言っているようだが、速すぎて聞き取れない。彼は悠々と歩いてロングソードを拾い、僕の前に立った。僕が鍋を引き戻すより早く、ロングソードは振り下ろされるだろう。甲冑の守りも無い今、受ければ一撃で死ぬ。


 せっかくイリスたちが機転を利かせて助けに来てくれたのに。ただ一手足りなかったがために、ここで死ぬのだ。



 イザークはクルトの前に立ち、残った右腕だけでロングソードを振り上げた。片腕では扱いづらいが、刃のついた1kg超えの鉄である、刃筋さえ立っていれば人は斬れる。


 【鍋と炎】の女子連中の行動は全くの予想外であった。反乱の可能性は考慮していたが、これほどまで早いとは思っていなかった。そして彼女たちがこれほどまでに戦闘力が高いとも思っていなかった。修道女たちは男性に劣るとはいえ、戦乱の世を生き抜いた強者たちだったはずだ。


「そして私も、この程度の連中に腕一本持っていかれるとは……流石に鈍ってますねぇ」


 そうひとりごち、かぶりを振った。物思いに耽っている場合ではない、自分だけ時間の歩みを早めれば、そのぶんだけ相対的に自分の寿命が短くなるのだから。


 男は殺し、女は足の腱を切って人口増産用に生かしておこう。そう考え、まずはクルトに向けてロングソードを振り下ろした。


 ――――振り下ろせなかった。


 右手首を、掴まれたから。


「アラン。何故……」


 この修道院を襲撃することを提案し。それでいてそのことを一番悔やみ、耐えきれずに虚空へと身を投げた、アランがそこに居た。一瞬前までは居なかったはずなのに。イザークは困惑した。


「どうやって戻ってきたのです? 何故、今? ……いえ、今はそんなことはどうでも良い。手を離してください」


 アランは手を離さない。彼は膂力に優れた男ではなかったとイザークは記憶しているが、どうしてもその手を振りほどけなかった。まるで格闘の達人に手を掴まれたかのように、こちらの動き出しを尽く潰され、最小限の力で抑え込まれているのだ。


「止めないでください、彼らは私を殺そうとしているのですよ。マロシュも、イゾルデも、アーリアも、バルボラも殺されました。苦楽を共にした仲間たちが! 仇を討って何が悪いというのですか!」


 アランは手を離さない。彼の姿は、イザークが記憶している「最後の姿」と同じだった――――その目を除いては。その目は、イザークを見ていないかのようだった。


「――――ああ、わかりました。そうでした、私だけ時間の歩みを早めているのでした。こちらの言葉は聞き取れませんね。かといって術を解くわけにもいきませんので、失礼」


 イザークはアランを蹴り飛ばそうとした。しかしアランは、空いている手を用いて蹴り足を止めた。


「何故、私と同じ時間を……! いえ、冷静に考えてみれば、私を止めたのです。貴方も同じ時間を歩んでいなければ出来ませんね。虚空の中で時間の秘技を得たのですか? ねえアラン、教えてくださいよ。何よりまず、この手を離してください」


 イザークは焦っていた。【鍋と炎】が再度攻撃の体勢を整えていたからだ。時を止めたわけではなく、あくまで自分だけ時間の歩みを早めただけなのだから当然であった。【鍋と炎】はアランの出現に驚いているようだったが、イザークへの攻撃を決断したようだ。


 しかしアランは手を離さなかった。真っ黒な瞳で、ただイザークをじっと見つめていた。イザークは気づいた。彼の瞳から、真っ黒なその瞳から、底の無い深淵のような印象を受けることに。得体の知れない恐怖が背筋を駆け抜け、イザークは半狂乱に叫ぶ。


「アラン! アラン! 手を離してください! 私が死んでしまいます! 貴方がいなくなった後、私はずっとこの修道院を守り通して来たのです! その私が死んでしまいます! 貴方が危惧していた人口減少も、どうにかして食い止めてきました! 不安定なマロシュとミハルの面倒もずっと見てきました! その私が何故、死なないといけないのですか!」

「彼に、呼ばれたから」


 アランはクルトを指さした。イザークは心底、困惑した。


「彼が? いつ? いえ、そんなことはどうでも良い。何故、ぽっと出の部外者を助けようとするのですか。虚空の中で忘れてしまったのですか? 私たちはナイアーラトテップに弄ばれる運命から共に逃れた仲ではないですか――――」

「私が、ナイアーラトテップだったのだ」

「――――は?」

「虚空の中は飢えや乾きも、老いも無かった。私以外は何も、無かった。時間だけがそこにあった。狂ってしまうには十分過ぎるほどの時間だった。……狂って、気づいたのだ。と」

「何を、言っているのかわかりません」


 認めたくない、理解したくないと思った。だがイザークは思い出した。ナイアーラトテップの化身の目を。あの、深淵を覗き込んでしまったかのような恐怖を感じる目を。アランは、それと同じ目をしていた。


「アラン――――」

「そして彼に呼ばれたのだ。『使と。私にはその異能を行使する力は無かったが、彼の請願を辿ってここに戻ってくることが出来た」

「アラン、いやナイアーラトテップの化身よ! そんなことは良い! 手を、手を離してください!」


 イザークは【鍋と炎】の一斉攻撃を、体捌きと足技だけで凌いでいた。しかし右腕を拘束された状態では限界がある、1発、2発と攻撃を貰ってしまう。


 自分だけ時間の歩みを早めた結果、【鍋と炎】の攻撃は残酷なものになっていた。槍や杖、ナイフの切っ先がゆっくりと肌と肉を斬り裂く。鍋やメイスがゆっくりと筋繊維を潰し、骨を砕く。


「アランンンンンンン!!!」


 イザークは半狂乱でアランに攻撃を仕掛けた。しかしそれらは全て捌かれ、その間に【鍋と炎】の攻撃がイザークを切り刻んでゆく。


 かといって時間の歩みを元に戻すことは出来ない。そうしてしまえば【鍋と炎】の攻撃を全く回避出来なくなり、一瞬でイザークの命を刈り取ってしまうから。イザークの唯一の勝ち筋は、アランを説得することだけであった。


「アラン。いえ、信じましょう、ナイアーラトテップの化身よ。貴方たちの御前から逃げたことはお詫び致します。今後は二度と逆らわず、御身に服従を誓います。我が身尽きるその時まで、御身に人々の魂を捧げます。だからどうか、赦してください……!」

「イザーク」

「……!」


 イザークは目を見開いた。アランの声色が、かつて仲間にかけた時のような、優しいものだったからだ。温和で、思慮深く、心優しいアランがそこにいた。


「アラン……!」

「――――人が惑い、助けを求める姿を眺めるのは、こんなにも愉しいことだったのだな。化身たちが望んだ景色が何だったのか、理解出来たよ」


 イザークは絶望した。



 イザークは死んだ。謎の男に拘束されてなお僕たちの攻撃を避け続けていたが、全てを回避することは出来なかった。小さな傷を負わせ続け、10回目の一斉攻撃でやっと、僕の鍋が彼の頭を砕いたのだ。


「あっ、消えた……!?」


 そしてイザークの手を掴み、僕を助けてくれた男性は消えてしまった。その背後に突如真っ黒な空間が開いたと思うと、彼はその中に入っていってしまったのだ。その空間は現れた時と同じように、一瞬にして消えてしまった。


「よくわからないけど……いや本当に今回わからないことだらけだな……とにかく、情報を共有しましょうか?」


【鍋と炎】の面々は頷いた。そしていつの間にか礼拝堂に入ってきていたミハルさんは、呆然としていた。彼にも詳しく話を聞く必要があるだろう。

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