第235話「銀の鍵 その8」

 イリスとフリーデが待つ部屋に戻ったルルは、とりあえず修道女に言われたことを実行することにした。


「次はフリーデさんとお話したいから、呼んできてとのことですー」

「それは構いませんが、結局何の話だったのです?」

「ええと……」


 ルルは修道女の話を思い出そうとする。「イリスには秘密」と言っていたので、とりあえずフリーデの耳に口元を近づける。ルルはひとまず言われた時系列の新しいものから順に思い出そうとする。


「クルトさんとヨハンさん、農奴になったそうです」

「は?」

「で、ここの修道士と修道女の方々、元々の修道士たちを殺したり農奴にしてるらしいです」

「はぁ??」

「あっ、その前にも人いっぱい殺したらしいです」

「……なるほど」


 修道女が語った「同情すべき理由」は話が長すぎるために忘却された。修道女がルルたちを「冒険者=傭兵くずれに引き回される性奴隷」だと誤解したために発生した同情と慈愛の心も、噛み合わず理解出来なかったために省かれた。ルルはギリギリ脳みそに残っていた、劇的な事柄だけを喋った。


 結果的に、ある意味で完璧な要約になった。そしてプレゼンテーションのやり方としてもある意味完璧であった。


 フリーデはプレゼンテーションをこう解釈する。


「つまり、今まさにクルトさんとヨハンさんが危機的状況にあり、早急に助ける必要があると」

「多分そうです」

「そしてここの修道士と修道女は慈悲をかける理由も見当たらないクズであると」

「そういうこと……なんですかね?」

「しかもそれを私だけに、牧師たる私だけに伝えるということは――――これは挑発ですね??」

「そういうこと……なんですかねー?」

「今すぐ殺さない理由がない」


 フリーデは激怒した。必ず、かの暴智暴虐の修道士・修道女どもを除かねばならぬと決意した。フリーデには詳しい事情は(ルルのせいで)わからぬ。故に攻撃を躊躇うという選択肢が無かった。


「というわけでイリスさん、喧嘩を売られたので買ってきます」

「ちょっと待ちなさい」


 フリーデが解釈した内容を聞いたイリスは逡巡する。彼女にも詳しい事情は(ルルのせいで)わからぬ。彼女は今や歴戦の戦闘指揮官パーティーリーダーである。ゆえに敵の意図に対しては、人一倍敏感であった。


「フリーデさんだけ狙い撃ちで挑発したってことは、多分貴女1人に対しては迎撃対策が出来ているってことだと思うわ。つまり相手が狙っているのは各個撃破よ」

「一理ありますね」

「つまり全員で襲撃すれば相手の思惑を崩せる」

「三理くらいありますね」


 もしルルが「相手は全員恩寵受けし者ギフテッド」であると伝えていれば、イリスは相手の戦力調査が必要と判断し、即座の行動は取りやめたであろう。残念ながらその判断に必要な情報はルルの脳細胞からは抜け落ちていたが。故に全力での先手必勝いますぐころすが最善手と判断する。


「というわけで総員武装」

「ちょ、ちょっと待ってください。彼女たち、そんなに悪そうなイメージは無かったんですけど……」


 ルルは引き止め、自身が感じた印象を語るが。


「ルル、悪党が悪人面しているようでは二流よ。人の夫を、を勝手に奴隷化する大悪党が、悪人面しているものかしら」

「そういう……ものなんですかねー?」

「そういうものよ」


 ルルには詳しい事情が(自身のせいで)わからぬ。しかし食糧事情に対しては、人一倍敏感であった。


「でもご飯くれる人ヨハンさんが居なくなるのは困りますね! やりましょう!」

「ヨシ!」


 かくして3人の女たちは手早く武装を済ませ、篭絡担当の修道女のもとに向かった。フリーデが扉を蹴破りエントリーする。


「なになになになに!?」


 修道女は狼狽した。性奴隷の身から救ってやったはずの女たちが、完全武装で乗り込んできたからだ。感謝されることはあっても、武器を向けられるとは思っていなかった。何故こうなったのか。思い浮かぶ理由は1つであった。


「イリスさん、2人を支配するのはおやめなさい! 2人ももう彼女に従う理由はないのです! 彼女の夫、クルトさんはもう今頃農奴化されています。ルルさんとフリーデさんが彼の暴力に晒されることは、もう無いのです! 貴女たちは自由なのです!」

「……何言ってるのコイツ? ねえ、私たちのことなんだと思っているの?」

「冒険者を名乗る乱暴者の妻と、乱暴者の性奴隷兼妻の護衛でしょう? ……そうだイリスさん。貴女だってクルトさんに暴力で支配され、無理やり妻にされたのでしょう? もうそんな境遇に甘んじる必要はないのよ?」


 話が全く噛み合っていなかった。修道女が生きた100余年前、戦乱の時代では、冒険者や傭兵が引き連れる女とは性奴隷か、良くても懇意になった娼婦しかいなかったからだ。故にイリスの立場を見誤る。


「私がこのパーティーのリーダーで、男たちを含めたメンバー全員の支配者だけど??」

「えっ」

「あとむしろ性奴隷なのはクルトのほうよ」

「えっ?」


 修道女は自身が致命的な誤認をしていたことに気づいた。立て直す手を考える。しかし次の瞬間にはフリーデの致命的なメイスが飛んできて、思考の中断を強いられる。ギリギリで避けたメイスは机にぶち当たり、それを粉々に砕いた。


「待って! ひどい誤解をしていたわ、じっくり話し合いましょう!」

「酌量の余地も無いクズと話す理由がない」

「ルルさん、一体どんな話し方をしたの!? フリーデさん、直接私の話を聞いて! 私達には酌むべき事情が――――」

「釈明は神の御前でしなさい。改宗パンチ!」


 修道女は光り輝く拳に意識と命を刈り取られた。ナイアーラトテップの恩寵受けし者ギフテッドとして『意識の可視化』を授かり、修道士一党の目として活躍したイゾルデは死んだ。


「まずは一人」


 フリーデが拳を拭う中、騒ぎを聞きつけた2人の修道女が駆けつけてきて、扉の前で驚愕に目を見開いた。流石に戦乱の時代を生き残った女たちである、異常事態を察した彼女らは片やクロスボウ、片や片刃剣を持ってきていた。


「何事かアバーッ!?」

「ファイアボール。2人目」


 クロスボウを持っていた修道女にファイアボールが直撃した。火の付いた彼女の身体は反対側の部屋に飛び込み、部屋を燃やし始めた。かくして『幽体の剃刀』の能力を授かり、教会からの討伐隊の指揮官を狙撃し追撃の手を鈍らせていたアーリアは死んだ。投射武器を持っているがゆえに危険度が高いと判断されたのだ。


「貴様らーッ!」


 残った修道女は片刃剣を手にイリスに斬りかかるが、ルルが割って入り、甲冑で刃を反らした。刃は柱に深い刀傷をつけた。


「あのー、なんかこう、すごい誤解があるみたいなので殺すのは気が引けるんですけど……」


 誤解の元となったルルはそう言いつつも、残った修道女を蹴飛ばした。修道女は体勢を立て直し廊下を走ると、本堂へと続く扉の前に立ちふさがった。


 とはいえ状況はすでに3対1。『不可視の腕』を授かり、女の身にありながら近接戦闘に長けていたバルボラは、能力が使えない自身にはもはや勝ち目が無いことは理解出来ていた。故に彼女は交渉を試みる。


「待ちなさい、ここで私を殺しても無意味よ。この扉の先はどこにも繋がっていない。特殊な呪文を唱えるか、イザークが開けない限りは本堂と繋がらないのよ」


 バルボラが扉を開けると、確かにその先には真っ暗闇が広がっていた。彼女は扉を閉め、涙を浮かべ命乞いをする。


「私はその呪文を知らないの、殺さないで……!」

「こちらには拷問のプロが居るのよ、その言葉が本当かどうかインタヴューしましょう」

「何故そのような非道が出来るの!? ねえ貴女たち、ルルさんは酷い誤解をしているわ。貴女たちは間違った情報を得たがために暴挙に出ているだけ。私の話を聞いて。無辜の修道女を拷問したくはないでしょう……?」


 流石にこれにはイリスとフリーデも顔を見合わせ、躊躇した。……修道女はイザークの助けが来るまで時間を稼ぐ心積もりであった。



 足かせを手に近づいてくる老人を、僕は手で制した。イザークさんが眉をひそめる。


「待って下さい。最後にイリスたちの無事を確認させてください」

「会わせた瞬間に一緒に逃げるつもりでしょう?」

「流石にこの平服で雪中逃避行は無茶ですよ。……ただ、彼女たちの無事が確認出来ないのなら、僕にとって人質として機能しないですよね? もし死んでいたら……」


 その場合はもはや生きている理由が無い、即座に戦闘に移る。相手はナイアーラトテップ由来の能力をダシに脅してきているが、それらが使えないことは割れている。数的には不利ではあるが、刺し違えてでも殺す。


 そしてもしイリスたちが無事であるなら。……その場合、それとなく危機的状況にあることを伝えよう。女子寮側から反乱を起こしてもらい、彼女たちの助けを待つしかない。……情けないことだが、それが最善策に思えた。


 イザークさんは逡巡した後、頷いた。


「一理ありますね。宜しい、女子寮をお見せしましょう。ただし条件は2つ、何も喋らないこと、足かせは今つけること。呑めますか?」

「足かせがついていたら、僕の状況が向こうに伝わるのでは?」

「…………ではそれとなく、後ろから刃を突きつけておくに留めましょう。妙な真似をしたら即座に殺します」


 老人が僕の背中に包丁を突きつけた。そしてイザークさんはどこへやら向かったと思うと、手にロングソードを持って戻ってきた。……完全に警戒されている。


「では、こちらにどうぞ」


 彼に案内されるまま礼拝堂へと向かい、女子寮へと続く扉の前に立たされた。イザークさんは扉の横にロングソードを置くと、僕の方を振り返った。


「ちなみにこの扉は、特殊な呪文を唱えるか、私が開けるかしない限りは虚空にしか繋がっていません。どうぞ、試してみてください」


 促されるまま扉を開けてみると、その先は真っ暗闇が広がっていた。まるで扉の先に黒一面の壁があるかのようだ。


「ここに入ると二度と戻れないので注意してくださいね。……アランは行ってしまいましたが。まあ良いです、では女子寮に繋げましょう」


 イザークさんは扉を閉めた。そして彼がドアノブを握って数瞬すると、微かだが扉が銀色の光を帯びた。――――銀色。銀の鍵。そうだ、あのメモにあった単語だ。それが恐らく、イザークさんだけが特別な地位と能力を得ている理由なのだろう。


 そんな事を考えているうちに、彼は扉を開けた。


「ちょっと失礼、イリスさんたちを呼んで頂けますか――――」


 扉の先は、今度は虚空ではなかった。


 そこには修道女の背があった。その先に、何故か完全武装のイリス・ルル・フリーデさんの姿も。


「えっ?」


 イザークさんが驚いたのも束の間、フリーデさんが拳を光らせながら踏み出した。


「用済み! 改宗パンチ!」

「あああああああああああ!?」


 修道女はイザークさんが急いで閉めようとした扉にぶち当たり、扉を破壊しながら礼拝堂の中に転がり込んだ。内臓をぶち撒けながら。


 ……よくわからないけど、これは。


「救援?」

「救援よ」


 イリスが頷くと同時、僕は右に身体を捻りながら鍋を抜き、その動作のついでに肘打ちを背後に放った。老人が僕の背中に突きつけていた包丁が吹き飛ぶ。


「じゃあ暴力の時間だ!!」


 戦闘が始まった。

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