第234話「銀の鍵 その7」

 イザークさんは柔らかい笑みを浮かべたまま、語りを続ける。老人もまた黙々と料理を続け、包丁がまな板を叩く音や鍋をかき混ぜる水音がBGMとなっている。


「――――ナイアーラトテップと教会から逃げるのは容易なことではありませんでした。何せ前者は化身や、他の恩寵受けし者ギフテッドをけしかけ。後者はそもそも巨大な組織です」

「修道士・修道女全員が恩寵受けし者ギフテッドのここで言うのもなんですけど、恩寵受けし者ギフテッドって複数いるんですね……」

「それだけナイアーラトテップが現世に干渉しているということです――――これは憶測ですが、かの神格が特に干渉を強めたい時、恩寵受けし者ギフテッドもまた増えているのではないかと思います。……そして私が表にいた時は、恐らくそういう時代だったのでしょう」

「ナイアーラトテップが干渉を強めたい時……つまり混沌、混乱を起こしたい時?」

「ええ。それはもう、酷い時代でした。世俗も教会も混乱し、戦乱が長く続きました……もっとも、その混乱に加担したのが我々恩寵受けし者ギフテッドなのですが。そんな折でした、私とミハルが出会ったのは」


 ミハルさんは100年以上前の宗教改革戦争に参加していた、と言っていた。つまりはイザークさんもまた、その時代の人ということか。いや、下手したらここに居る全員がそうなのかもしれない。


「見分けはすぐつきましたよ、何せ教会から派遣された監視員、が付きっきりなのですからね」

「それはまあ、目立ちそうですね」


 僕に付きっきりのフリーデさんだって色んな意味で目立っているもの。最初は銭湯にすらついてこようとしてたしな……。


「そしてミハルもまた、私と同じ苦悩を抱えているようでした。自分がナイアーラトテップの意に従えば従うほど人が死ぬ。さりとて逃げることも能わず。……でもね、彼を見て私は希望を見出したのです。人は1人では弱いが、束ねれば強くなれると。同胞がいるという希望は私に勇気を与えました」

「わかります、理解者が1人いるだけで随分と勇気づけられますからね」

「ええ。そうして勇気づけられた私は、手始めに監視の戦闘司祭を殺しました。いかに強くとも、奇襲を受ければ脆いものです」

「――――へ?」

「皮肉にも自分たちの所業のお陰で時代は混乱期。人が1人消えようが誰も気に留めません。続いて私はミハルの監視員も殺害し、彼を誘って出奔しました。教会からの追撃はありましたが、これまた教会も宗教改革戦争で混乱していたのでさほど戦力を割けず、かわすのは容易でした。しかも恩寵受けし者ギフテッド2人ですからね」


 まあ確かに、能力フルで使って良いなら僕にもフリーデさんを完封する自信はあるが――――イザークさんが尚も笑みを崩さないのが、恐ろしく感じてきた。彼と彼の監視員の関係は、僕とフリーデさんのそれとは違ったのだろうか。それにしても修道士という聖職者が、笑いながら殺人歴を語るというのは気味が悪かった。


「この時点ではナイアーラトテップは私とミハルに干渉してきませんでした。まあ特にかの神格を攻撃しているわけではないですし、恩寵受けし者ギフテッドが複数集まればもっと大きな混乱が起こせるぞ、などと考えていたのかもしれません――――それを逆手に取り、私達は恩寵受けし者ギフテッドを探し出し、仲間に引き入れていきました」

「ちょ、ちょっと待って下さい。ここの修道院の構成員は24人って言ってましたよね。24人も恩寵受けし者ギフテッドを集めたんですか?」

「ああ、それは少し語弊のある言い方でしたね。正確には私を含む修道士3人、修道女3人が正式な構成員です。残りの18人はですね」

「の、農奴……?」

「まあそれは一旦置いておくとして、私は今は亡きアランを含め7人の恩寵受けし者ギフテッドを集めることに成功しました。……しかし『何をしでかすかわからない恩寵受けし者ギフテッド』が7人です、流石に教会も本腰を入れて我々を討伐しにかかりました。そしてナイアーラトテップもこの段になって干渉してきました」

「というと……?」

「『お前たち7人で教皇を暗殺しろ。従わないなら殺す』と。……ええ、特殊能力を持った7人の恩寵受けし者ギフテッドです、やってやれないことは無かったでしょう。しかし教会から討伐隊が送り込まれてくるなか、教会の中枢に突貫して教皇を暗殺するとなれば、いかな我々とて無事では済みません。幾人か死ぬ……いえ、下手すれば刺し違えての全滅すらあり得る。到底、受けられるものではありませんでした」


 教皇暗殺。イザークさんたちがどのような能力を授かったのかはわからないが、例えば僕でも『意識の可視化』を使えば待ち伏せをすり抜けたり、警備の隙を突くようなことは出来そうだ。


 だが、それだけだ。僕自身は結局は1人の人間でしかないので、軍隊に数押しされたら死ぬ。そして教皇ともなれば警備兵の数が少ないはずもないし、しかも後ろからは討伐隊がやってくるとなれば、それはもう自殺行為にしか思えない。


 ――――自殺しろと言われて、出来るわけがない。イザークさんの言葉に深く頷く。


「……そこで私たちは考えました、どうにかして世俗から、そしてナイアーラトテップの目から逃れねば死あるのみと。人里知れぬ山奥に逃げる、程度ではダメなのです。本気になった教会は虱潰しに探しに来るでしょうし、ナイアーラトテップは恩寵受けし者ギフテッドの居場所を把握しているでしょうから、化身経由で世俗に漏れたらそこでおしまいです」

「でもイザークさんたちは今、ここにこうして隠れ住んでいますよね」

「ええ。我々は……いえ、正確にはアランはこう考えたのです。『』と」

「――――」


 それは、事実上ここの修道院が元いた世界から隔絶されていることの告白だ。だというのにイザークさんは笑みを絶やさない。


「ふふ、その様子だとお気づきのようですね。いや、あるいは部屋の窓から外に出てみましたか? ここが異常な空間だと理解されていますね?」

「……あっさりと喋られて、拍子抜けしました」

「こちらに探りを入れているのが見えていましたからね、何かに気づいたのだろうなと思いまして」

「だとしても何故教えてくれるんです?」

「『ここから出られない』と受け入れて頂きたかったからですよ。……我々には2つの選択肢があります。1つは、貴方たちをもと来た道に帰すこと。もう1つは、ここに住んで頂くこと」

「当然前者を選びますが?」

「それがですね、出来ないのですよ。いえ、正確には修道院の領域から出ること自体は可能です。ですがどの時代、どの地域に出るかは選べないのです。あなた達が居た時代、地域に帰れる保証は無い」


 あのメモの内容――――『もしも来る己が運命を可しとせぬのであれば、戸が緩んでいる内に、もと来た道を辿るが良い。……そこは望む場所でも、時でも無かろうが』――――を裏付けた形だ。


「それでも出ると言ったら?」

「それは許可出来ません。というのも、この修道院はいま致命的に人手が足りていないのです。隔絶されたこの世界、人口は減るばかりです。増やすとしたら、こうしてたまに紛れ込んでくる人を留め置くしかありません」

「質問が2つあります。1つ、聖職者的には許されないことかもしれませんが、修道女とまぐわえば良いのでは? もう1つ、何故隔絶されているのに僕たちはここに紛れ込んだんです?」

「前者。修道女たちは既に子を為せる身体ではありません。年齢であったり、戦で傷ついたからと理由は様々ですけれどね。そして後者。修道院を世界から完全に切り離すのに失敗したからです。時折境界が緩み、外と繋がってしまう。

 ……このように、我々ですらこの領域を制御出来ていないのです。あなた達の部屋の窓が別の時間に繋がっているように、この領域を正常に保つことにすら難儀している有様です」


 ……詰んでないかこれ? なんとか元いた時代と場所に戻る方法を探っていたが、彼らですら制御出来ていないとあれば、それはもうどうしようも無いのではないか。絶望感が臓腑を冷やしていくのを感じる。


「おわかり頂けたでしょうか? ここからは逃げられない。……ああ、これを理解出来なかった人たちの末路をお話しましょうか。紛れ込んできた方の中には、不服として戦いを挑んできた方もいました。恩寵受けし者ギフテッド相手なのです、全員敗れましたけどね……その成れの果てが、外で暮らす農奴たちの幾人かです」

「幾人か……?」

「ああ、農奴の大半はこの修道院のたちですよ。アランはこう考えました、『ヨグ・ゾトホートの秘技を使えば世界から隔絶された領域を作り出せるのでは?』と。そして我々は運良くヨグ・ゾトホートの修道院を見つけ出し、襲撃し、秘技を奪いました。そして修道士の生き残りは農奴になった、と」


 この段に至ってもイザークさんは微笑んでいた。隠れ住んでいた修道士たちを襲撃し、殺し、奴隷にしたというのに。


 ――――わかった。この人、もうんだ。恩寵受けし者ギフテッドが最終的に発狂し、致命的な事態を引き起こすのは本当だったんだ。もうこの人は発狂していて、「致命的な事態」とはこの隔絶された修道院そのものなんだ。


「……じゃあ、僕たちへの要求は。無駄な抵抗はよして農奴になれ、と?」

「はっきり言ってしまえばそうなりますね。それとも恩寵受けし者ギフテッドと戦いたいですか? 戦乱の時代を生き残った恩寵受けし者ギフテッドと?」


 とん、と包丁がまな板を叩く音が止んだ。老人が、陰鬱な目で僕をじっと見つめている。もちろん手には包丁。イザークさんは無手だが、2人ともどんな能力を授かっているかわからない。そして僕は銃は部屋に置いてきてしまった。武器は鍋だけで、特殊能力は封じられている。


 ――――ん? そうだ、僕はナイアーラトテップから授かった特殊能力は封じられている。理屈はわからないが……いや、ナイアーラトテップ由来の力だから、ナイアーラトテップと切り離されたこの空間では使えないのか?


 だとすれば彼らも特殊能力は使えないのではないか。……その可能性はある。だが今は純粋に2対1で分が悪い――――ああ、何故彼が僕を話に誘ったのか今わかった。この修道院に入った時、僕はフル装備だった。全身を甲冑で固めた重戦士の姿だった。そしてヨハンさんは革鎧の軽装。戦闘能力の高そうなほうを選んで、分断したのだ。となれば次は――――


「さぁクルトさん、納得して頂けたなら外に行きましょうか。空いている農業小屋があります、そこが貴方の新しい住まいです」


 別所に切り離し、ヨハンさんとの接触を断つ。老人はいつの間にか足枷を持っていた。あれを付けられて隔離されてしまえば、ヨハンさんは1人で修道士3人を倒さねばならなくなる。


 反乱を起こすとしたら今しかないが、相手の戦闘能力が不明瞭な上に、懸念が1つあった。


「……最後に1つだけ聞かせてください、イリスたちは無事なんですか?」

「無事ですとも、大切なですからね。もちろん貴方が妙な真似をすれば、彼女たちの命はありません」


 やっぱりそうなるか。……くそっ、やはり戦闘を仕掛けるのはまずい。詰んでしまっている。


 ……どこで、しくじったのだろう。この状況にならないようにするには、修道院に入って即襲撃をかけるしかなかったように思える。もちろん、まともな感性の持ち主ならそんなことはしないし、出来ない。


 そうだ、その時点で負けていたんだ。最初から害意を持って行動していた側が、いつだって先手を取れるんだ。



 一方その頃、女子寮では。


 イザークがクルトにしたのと同じ話が、修道女からルルに対してされていた。少しだけ内容は違ったが。


「――――というわけです。あなた達はここで一生暮らす他ないのです。ですがご安心ください、もうのですから。。ずっとずっと平穏に暮らせますよ。素晴らしいでしょう?」

「は、はい!」


 ルルは流されるままに頷いたが、何も理解してはいなかった。


 本当に、何も理解出来なかった。というのも、修道女はルル・イリス・フリーデの3人組を「冒険者=傭兵か山賊まがいの奴ら――――に無理やり従わせられている性奴隷」だと思っていたからだ。


 いや、より正確にはクルトの妻だというイリスだけは違うと思っていた。彼女はクルトの妻として、はずだと。ルルとフリーデが武装しているのは、イリスの護衛としてこき使われているからであろうと。


 つまりイリスに無理やり従わせられているルルとフリーデを絆してしまえば、イリスは孤立し権力を失い、反乱の芽を摘めるはずだ――――そう、考えていた。


「理解して頂けて嬉しいですよ。もう貴女は男たちに酷いことをされることも、イリスさんの命令に従う必要も無いのです。確かにここは狭いですが、自由があります」

「は、はい」


 ルルは何も理解していないが流れで頷いておいた。


 認識が食い違っているがゆえに、そしてそもそも話が長すぎるが故に理解出来なかったそれを、理解したかのように振る舞った。修道女は満足げに頷いた。


「では部屋に戻って、次はフリーデさんを呼んできてください。くれぐれも今の話、イリスさんにはしないようにね」

「わかりました……」


 何もわかっていない女が、部屋に戻っていった。

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