第232話「銀の鍵 その5」
「女子寮それ自体が無かったんだ。礼拝堂と広間がある本堂、そしてこの男子居住棟。それ以外に建物が見つからない。女子居住棟があるべき場所は、廃墟になっていた」
ヨハンさんは困惑と焦燥が入り混じった表情でそう言った。しかしである、直前に女子寮を覗くのが副次目標かのように茶化していた男の言葉だ。信用するに足りない――――と切り捨てるには、あまりにも真に迫っていた。
「冗談ではない……んですよね?」
「流石にこの状況でその冗談は言わねえよ」
「廃墟になっていた、というのは具体的にどういうことです?」
「そのまんまだ。到底人が住める状態じゃないくらいに壊れてたし、実際人も居なかった」
ならイリスたちはどこに消えたのだろう。何故イザークさんはそれを黙っているのだろう。幾つか疑問が湧き上がってくる。それを尋ねようとしたが、ヨハンさんは首を横に振った。
「俺は異常事態を発見して、その時点で引き換えしてきたから詳しいことはわからねぇよ。ひとまず第一報を、ってヤツだ。あれ以上踏み込んで何かヤバいモンに遭遇しちまったらコトだしな。俺は生き物相手なら気配や痕跡も察知出来るが、こりゃ明らかに超常現象の類だ。イザークが女子連中をどこか遠くの離れにでも隠した、とかそういう詐術でも使ってない限りはな。だろ?」
「……確かに。つまりこれは……」
神格案件かなぁ。ヨハンさんと顔を見合わせ、2人して眉根を寄せてしまう。
「とりあえず、次は僕が見てきて良いですか? 僕なら魂の可視化なり意識の可視化なりで何かわかるかもしれませんし」
「ああ、そうしてくれ。安全のため俺もついていきたいが……」
「修道士たちにバレるほうがマズそうです、留守番お願いします」
「わかった、無理はするなよ」
そういう訳で今度は僕が女子寮に行くことになった。マントを羽織って鎧戸から男子寮を抜け出すと、雪混じりの冷風が頬を撫ぜた。しかし視界は比較的クリアで、白一面ではあるが見通しは良い。遠くに農園が見えるくらいだ。
とはいえ途中で吹雪が強くなったらコトなので、壁に左手をついて、反時計回りに修道院を回り込んでいくことにした。これなら視界を失っても帰ってこれるという寸法だ。
だがそうしていると、すぐに異変に気がついた。
「女子寮どころか、男子寮まで廃墟っぽくなってない……?」
左手をつけている男子寮の石壁、それがやけに古く見えた。それに鎧戸も僕が出てきたところ以外はガタついているし、屋根は長年手入れされていないかのようにボロボロに見えた。……最初に修道院に駆け込んだときは、こんなにボロボロだっただろうか? 切羽詰まっていて思い出せないが、違和感を感じる。
気味悪さを感じながら進んでいくと、本堂に達した。先程までイザークさんが中で祈りを捧げていた礼拝堂もここにあるし、暖炉のある広間もここだ。……そのはずなのだが、鎧戸の幾つかがやはりボロボロになっており、広間のそれには穴が空いていた。そこから中を覗いてみたが……
「火が、消えている」
中は薄暗く、ほんの数十分前にヨハンさんが藁を炙ったはずの暖炉の火も落ちていた。着火魔法という便利なものはあるにせよ、人が暖まれる程度にまで薪を燃やすのには時間がかかる。就寝時でもなければ、冬場にわざわざ火を落とすことは考えにくい。
そもそも、広間の鎧戸にこんな穴が空いていたか?
空いていなかったはずだ。こんな穴が空いていれば、暖を取っている時にひどい隙間風に悩まされていたはずだ。これは、いよいよおかしい。そう思いながら歩みを勧めていくと、女子寮があるはずの場所に辿り着いた。
なるほど建物自体はあった。
しかしそれは見事に廃墟になっていて、ヨハンさんの言う通り人が住める状態ではなかった。屋根や壁に空いた大穴。焼け落ちたような区画もある。
崩れた壁から中に侵入してみると、やはりひと気は無かった。そしてあることに気づいた。
「……なんだこれ、風化している感じだけど……それ以前に戦闘があったような……?」
ところどころに蜘蛛の巣が張っていたり、雪が吹き込んでいたり、木材が朽ちていたりはするけれども。そうなる以前に、人為的に破壊されたような印象を受けた。
重量物を叩きつけられたかのようにひしゃげたテーブル。深い刀傷が残る木の柱。そして焼け落ちた区画。激しい戦闘が起きたか、あるいは手荒な山賊団に略奪を受けたかのような……とにかく、手酷い暴力に晒されたような痕跡が幾つもあった。
「クソッ、嫌な予感がするな……!」
時空を司る神、ヨグ・ゾトホートが絡んでいるのだとすれば、修道院の時空が歪んでいるかもしれないという推測は出来る。だが問題は、『なら今ここは、一体どの時空なのだ』ということだ。修道院の過去の姿なのか、それとも未来の姿なのか。はたまた全く別世界なのか。
「……考えても仕方ない、もう少し調べて情報を集めよう」
イリスたちへの心配が募るが、立ち止まって考えていても事態は好転しない。意を決して調査を続行する――――目に入ったのは、本堂へと続く扉だ。
それは、やはり暴力に晒されたかのように破壊されていた。蝶番はねじ曲がり、扉は吹き飛んでいた。中に入ってみると、やはり本堂も廃墟になっていた。人の気配は無いし、ところどころに戦闘の痕が残されている。……だが、目ぼしい情報はそれだけだ。
男子寮のほうにも行ってみたが、そちらには戦闘の痕は無かった。ただ単純に風化していただけ。
「んんー、ヨハンさんならもっと物理的な情報を読み取れるのかもしれないけど……仕方ない、とりあえず僕が出来ることをやってみよう」
人の気配が無いのなら、意識の可視化は無意味だろう――――あるいはヨグ・ゾトホートの意思が視えてしまう可能性はあるが、どうなるかわからないのでやめておく――――となると、残る選択肢は魂の可視化だ。
誰かの魂がここに残っていれば、その外見から何か判断出来るかもしれない。試みたことはないが、話しかけてみても良いだろう。そう思い、鍋の中の魂を1つ消費し、魂の可視化を発動しようとしたが――――
「ん? あれっ?」
鍋から魂が抜けていかない。そして視界に変化もない。何度試みても、同じ。ならばと意識の可視化もやってみたが、結果は同じだった。不発。原因は不明だが特殊能力使用不能。つまり。
「今の僕って特殊能力を封じられた、鍋持っただけの男じゃん」
特殊能力を封じる力を持っている存在がいるかもしれない所に、鍋を持っただけの男が飛び込んだら――――頭から血の気が退くと同時に、僕は走り出していた。
◆
結局、何事もなく男子寮――――僕たちに充てがわれた部屋まで戻ってこれた。荒い息をつきながら、ヨハンさんに情報を伝えた。
「と、いうわけです」
「参ったな、お前の飛び道具に期待してたんだが……」
「面目無い……っていうかこんなの初めてですよ、ナイアーラトテップ由来の力が使えないなんて」
「……なあ、それってどういう原理なんだろうな。神から授かった力があって、燃料も申し分ないわけだろ?」
「ええ、鍋にはゴブリンどもの魂が大量に蓄えられてますし――――それどころかナイアーラトテップの化身その人の魂まで入ってるんですから」
「例えば魔法ならよ、呪文を知っているし発音出来る状況にあって、しかも魔力量も十分にある。なのに魔法が撃てないってコトだろ。そりゃおかしくねぇか、どこに干渉すればそうなるんだ?」
言われてみればそうだ。ナイアーラトテップから授かった力は感覚的に行使していて、呪文を唱えるのとは違うけども。それでも行使出来ないのはどういうことだろう。
「魔法で考えてみましょう、ざっくり思いつくのは
1. 魔力の消費が妨げられている
2. 呪文が間違っている
……この2つじゃないですかね?」
「1ならどうしようもないが、2はどういうことだ?」
「……例えばですけど、認識が捻じ曲げられていたとしたら? 全く関係ない文字列を『正しい呪文だ』と誤認させられていたら? ナイアーラトテップ由来の力は感覚で行使してますけど、その感覚が捻じ曲げられていたら……」
「それもまたどうしようもない話だが……あり得なくもなさそうなのが嫌だな。ここの時空がねじ曲がっているとして、俺たちの頭の中まで捻じ曲げられていない、とは断言出来ねえからな」
「まあそうなると自分の感覚も見てきたものも、何も信じられなくなっちゃうんですけどね」
「笑えねえ話だな」
「デスネー」
HAHAHAHAHA! と二人でから笑いした。……そうでもしないと、気がおかしくなりそうだったからだ。
何が起きているのか、何を信じて良いのかもわからない状態というのは恐ろしいのだ。例えば「目の前のヨハンさんはヨハンさんではなく、別の誰かを彼だと誤認しているのでは」なんてことも考えられてしまう。
まあそれを考えたら最後、正常な精神状態ではいられなくなってしまうだろう。だから無理にでも笑う。
「……前向きに考えましょう。とにかく自分たちの認識は『真』として、調査を進めましょう」
「ああ、それが健全だ。とにかく情報を集めるとしよう……とはいえ、あと出来そうなことと言えば、俺がもう一度外から女子寮を偵察してくるか、それともどうにかして中から侵入するか。あるいは人から聞くか、だが」
ヨハンさんがそう言った瞬間、部屋の扉がノックされた。ギクリとしたのも束の間、イザークさんの声が聞こえてきた。
「掃除は終わりましたか?」
「え、ええ。殆ど終わりました」
「でしたら如何でしょう。夕食までまだ時間がありますし、少しお話しませんか?」
ヨハンさんと顔を見合わせるが、これは願ったり叶ったりだ。人から聞き出すのがいちばん安全度が高く、得られる情報も多い……はずだ。
了承しようと思ったそのとき、イザークさんの言葉が続けられた。
「神様に興味はありませんか?」
めっちゃ宗教勧誘の文句じゃん。しかも扉を隔てているというのに、それは僕の方を向いてかけた言葉かのような印象を受けた。
ヨハンさんがグッと親指を立て、小声で囁いた。
「良かったなクルト、気に入られてて」
「貴方のせいですが??」
「うむ、詫びとして俺は少し危険度の高い調査をやっておくよ。話はお前が聞いてこい、俺がいたら警戒されちまうからな」
「ねえヨハンさん、厄介事押し付けてません?」
ヨハンさんはにっこり笑った。
「おおーいイザークさんよ、俺はちと疲れたからひと眠りするが、クルトは喜んで話聞きたいってさ!」
「おやおや、では広間に行きましょう」
貴様ァー!? と叫ぼうとしたが、ヨハンさんに口を押さえられながら部屋の外に放り出されてしまった。ニコニコ顔のイザークさんを前に、僕は無理やり笑顔を作る。……2人で広間へと向かいながら恨めしげに背後を振り向くと、ヨハンさんは無言で口を動かしていた。
『時間 稼げ』
……唇の動きはそう読めた。何か策があるのだろうか。無かったら本気でブン殴るが。
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