第231話「銀の鍵 その4」

 目をギラつかせながら質問してくるミハルさん。……これは、彼が満足するまで解放されないだろう。それに、会話を通じてこの修道院についての情報を、こちらが得る機会でもある。そう思って、僕はミハルさんに椅子を勧め、自分は寝台に腰掛けた。


「ええと、どこから来たか、でしたっけ。僕たちはブラウブルク市から来ました」

「ブラウブルク! ノルデンだよな?」

「ええ。ミハルさんはどちらのご出身で?」

「俺はベームだ」


 どこだそれ、とヨハンさんに目配せする。


「ノルデン南方、皇帝直轄領だな。ベーム王国」

「ふむふむ」

「100年ちょい前に、いちばん最初に教皇に反旗を翻した地域でもある。宗教改革の走りみたいなところだな。そうだろ?」


 そう尋ねると、ミハルさんは深く頷いた。


「ああ、あれは……よ」

「ん、んん?」

「反教皇で立ち上がったは良かったんだがねぇ、反教皇派の中で派閥争いが起きてね。おまけに外からは皇帝軍と教皇軍が攻めてくる。まあ、地獄だったよ」


 ミハルさんはまるで、それを自分の目で見てきたかのように語った。ヨハンさんが100年ちょい前に、と言った出来事をだ。


「ええと、ご両親かご祖父母がそう仰っていたんで?」

「うん? ……なあ、そういえば今って何年だったかな?」

「1551年ですが」

「……そうかぁ。で、そっちの傷だらけのあんた」

「なんだ?」


 おや、話題を逸らされたかな。もう一度同じ質問をしようかと思ったが、ミハルさんが先にヨハンさんに話を振ってしまった。


「結局、宗教改革戦争はどの派閥が主導権を握ったんだい? それとも皆教皇軍にやられちまったのか?」

「……? 新教派だが?」

「だから、その中のどの派閥だい?」

「派閥……? まあ、リューテル派ってことになるのかね」


 リューテル。聖典をプリューシュ語訳した人だ。彼の教えに同意した人たちが教皇に反旗を翻し、自分たちで皇帝を擁立し――――つまり現皇帝をだ――――彼と教皇が擁立した皇帝(いわゆる僭称皇帝)との戦争の真っ只中、僕はこの世界に転生してきたのだ。


 しかしミハルさんは首を傾げる。


「はて、聞いたことないな」

「おいおい、そこまで世間知らずってことは……いや、悪い。こんな場所だ、色々事情があるんだろうよ。忘れてくれ」

「良いんだ、実際ここは特殊だからな。……じゃ、俺はこれで失礼するよ。話せて良かった」


 そう言ってミハルさんは部屋を出ていこうとした。まだ聞きたいことがあるぞと彼の肩を掴もうとしたが、彼の表情を見て、僕はその手を止めてしまった。彼の顔には、深い失望と諦念が浮かんでいた。ほんの少しでも揺らしたら崩れてしまうかのような、危うさを感じた。


 ミハルさんを見送って、扉を閉める。彼の足音が遠ざかったのを確認したヨハンさんは、ため息をひとつついた。


「……こんな所に入ってる奴に言うのも失礼だが、妙な奴だったな。100年以上前のことをその目で見てきたかのように語ったかと思えば、最近のことはてんで知らないなんてな」

「あー……そのことについてなんですけど。1つ、嫌な憶測を思いついちゃったんですよね」

「なんだ?」

「まあ、まずこれを読んで下さいよ」


 ヨハンさんに、寝台の下から出てきた警告文を手渡した。彼はそれを読み上げる。読み上げながら、どんどん眉根にシワが寄っていく。


「許してくれ。わしらが一時の安寧を得るには他の方法が見つからなんだ。彼と銀の鍵に頼る他無かった。これを読む者が同胞か、異邦人かは預かり知るところではない。じゃが、もしも来きたる己おのが運命を可よしとせぬのであれば、戸が緩んでいる内に、もと来た道を辿るが良い。……そこは望む場所でも、時でも無かろうが、自由――――そしてかの神の視線だけは得られるじゃろう」

「……さっき読んだ時は僕もぜんっぜん意味がわからなかったんですけどね? そしてこれから言うことも、確証も何もない憶測なんですけどね?」

「聞こう」

「この修道院が崇める神はヨグ・ゾトホート。時間と空間を操る神ですよね」

「そう言っていたな」

「そこに居る時代錯誤の修道士。そして『もと来た道を辿るが良い。……そこは望む場所でも、』って文章。滅茶苦茶嫌な予感しません?」

「同意するが、質問になっちまってるぞ。憶測とやらを聞かせてくれ」

「この修道院、時間が歪んでたりしないかなーと」


 確証はない。確証は全くないのだ。断片的な情報から、嫌な方向に想像力を巡らせた結果生まれた憶測。


「……杞憂であって欲しいよな、うん」

「僕もそう思います。断定するにはあまりにも情報が少なすぎますし、この文章だってイタズラか何かかもしれないですし」

「だが、女子連中にも共有しておいた方が良い情報ではあるよな」

「警戒しておくに越したことはないですからね。……でもどうやって女性陣に知らせましょうか。女子寮ってたぶん、男子禁制ですよね?」

「だろうな。修道士なら、踏み込んだら罰則があるだろうよ。そして俺たちみたいな部外者なら……」


 この世界、基本的に部外者というか「よそ者」に厳しい。「外の人はうちのルール知らないよね、次から気をつけてね」なんて温情が発動することを期待するべきではない。むしろ「知らなかった=配慮が足りなかった粗忽そこつ者」として罪が加算されてもおかしくはないのだ。


「……食事は多分、広間で男女共同ですよね?」

「わからん。だが、厳格な所ならそれすら分けるだろうな」

「なんてこったい……一応確認、してみましょうか」


 僕とヨハンさんは、イザークさんを探しに礼拝堂に向かった。礼拝堂は広間へと繋がる扉と玄関、そして左右に男子居住棟と女子居住棟へと繋がる扉がある。


 イザークさんは丁度ひとりで祈っているところだったが、僕たちの足音に気づいたのか、こちらを振り向いた。


「おや、掃除はもう終わったのですか?」

「いえ、まだですが……その、今晩からの食事を恵んで頂けるよう、お願いするのがまだだったなと」

「……ああ、これは失礼! 言っていませんでしたね、もちろん貴方たちが滞在する間の食事は、全てお出ししますよ」

「ありがとうございます。……ところで、食事というのは男女共同です?」

「いえ、女性は女子寮で食べます」

「そうですか……実はちょっと、妻と話したいなぁと」

「あー……申し訳ありません、先程女性たちも広間に通したのは例外措置でして。基本的に、この修道院内で男女が会うのはご法度なのです。……まあ、例えば洗濯とか野良仕事ですとか、そういうことでやむを得ず会ってしまうことまでは咎めませんが」


 この吹雪ですしねぇ、とイザークさんは窓の外を見た。……なるほど抜け道こそあるが、基本的には男女の生活は完全に分けられているようだ。


「そう、ですか……そうなると、出立の算段だとかはどうやって向こうに伝えれば良いんでしょうか?」

「それは私に申し付けていただければ、私がお伝えしますよ」

「……? 失礼ですが、イザークさんは女子との接触は良いんですか?」

「ははは、まあ口さがない人には"役得だ"と言われますがね。私は修道士であると同時に司祭でもありますので、まあ、そういうことです」


 いやいや、どういうことだよと思っていると、ヨハンさんが割り込んできた。


「すみませんね、コイツ信心深く無い方なんで、教会のことは驚くほど何も知らないんだ! 後で教えておきますんで、勘弁してやってくれ!」

「おやまあ」


 イザークさんは目を丸くした……そして、僕を見た。だがそれだけで何も言ってはこなかった。僕はヨハンさんに肩を抱かれ、部屋へと連れ戻された。


「……あっぶねぇな、あの質問は下手すりゃ相手を怒らせてたぞ」

「ええ……? 結局どういうことなんです?」

「ちょっと思い出してみろ、イザークはヨグ・ゾトホート信仰を『古い公会議で否定され、追放された宗派』だって言っていただろ?」

「はい」

「つまりは宗教改革の影響を受けてない、旧教から派生した宗派だと考えられるわけだ。んで、旧教では女は司祭……新教で言うところの牧師にはなれん」

「そうなんですか!?」

「ああ。だから男女で生活圏を分ける修道院でも、女子のミサには男の司祭を呼ばにゃならないんだ。これが司祭だけは女子に会えるカラクリだな」

「なーるほど。だから『口さがない人は役得と言う』って言ってたんですね。そりゃ本人に説明させたら気分悪くしますね……」


 転生してこのかたずっと新教圏で生きてきたので、そういった情報は全然知らなかった。宗教知識はフリーデさんから仕入れることが多かったが、旧教圏であるレムニア出身のヨハンさんも居てくれて助かった。


「ありがとうございます、助かりました」

「困った時はお互い様だ、仲間だろ」

「信頼してますとも……それにしても、ヨハンさんが僕のことを『信心深くない』って言ったとき。イザークさん、なんか好意的というか……僕に興味ありげな顔してませんでした?」

「してたな。……一般的な信仰、つまりはナイアーラトテップ信仰に興味無い奴ってさ、異端者からすればどう見えると思う?」

「えー……こちら側に引き込みやすそう、とか」

「だよなぁ。……すまん」

「めっちゃ目つけられたじゃないですか!? ……いやまあ、悪感情じゃないからこの場合良いんですかね……?」


 むしろ、これから踏み込んで情報を引き出そうとするなら有利に働くかもしれない。いや、情報を引き出す必要性が出るような状況に陥りたくはないのだが。


「しっかしどうしましょうね、合法的に女性陣に会う方法は無いっぽいですね。明日朝、洗濯を口実に外に出てみます?」

「いや、あの情報は早めに知らせた方が良いだろうよ。潜入するしかない」

「……恩義があるのにルールを破るのは心が痛みますけど、そうも言っていられないですからね」

「ああ。……かといって内部から侵入するのは修道士どもの監視の目があってキツい。外から行ってくるわ」


 そう言ってヨハンさんは鎧戸を開け、外に出ようとした。吹雪はかなり弱まっていたが、まだ視界が悪い。確かに内部から女子寮に行くにはイザークさんが居る礼拝堂を通る他ないので、外を経由しようというのはわかるのだが……


「待って! 1人で行くのは危なくないですか!?」

「もし誰かこの部屋に来た時に、2人とも居なかったら騒ぎになるだろうが。お前はここに残って、俺がどこに行ったか聞かれたら『トイレに行きました』とでも答えてくれ」


 むう、それは合理的なのだが……とても個人的な感情を言えば、僕はイリスに会いたい。不安な時だからそう思うのだろうか。……いや、これは我儘だな。


「わかりました。でもこの視界の悪さですよ、大丈夫ですか?」

「迷路じみた下水道やら森の奥深くに佇むセーフハウスやらに隠れたターゲットを見つけ出し、殺して回ってきた俺だぞ。安心しろ」

「今回めっちゃ遭難しましたが??」

「そこは誰も責めないんじゃなかったか? ……とにかく、行ってくるわ」


 ヨハンさんはそう言って窓から外に出て、鎧戸を閉め――――る直前、小さく呟いた。


「……女の花園、女子修道院。ちょっくら見物してくるわ」

「あんたそれが目的だな!? この退廃欲情魔!!」


 僕の罵倒が聞こえたのか聞こえなかったのか、鎧戸は閉まった。……仕方ない、僕は掃除を続けていよう。



 10分ほど経ったであろうか、掃除を続けていると鎧戸が開いてヨハンさんが帰ってきた。命からがらこの修道院に飛び込んだ時のように、青い顔をしている。凍えたのだろうか。


「どうでした退廃欲情魔さん、女の花園は? 寒さに耐えた甲斐は――――」

「無かった」

「それはそれは」

「違う、んだ。礼拝堂と広間がある本堂、そしてこの男子居住棟。それ以外に建物が見つからない。女子居住棟があるべき場所は、廃墟になっていた」

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