第230話「銀の鍵 その3」

 イザークさんに掃除用具を渡された僕たちは、あてがわれた部屋を掃除していた。テーブルと椅子が1セット、ベッド、それに水盆が1つあるだけの質素な部屋だ。物がそれだけなうえに散らかっている訳でもなく、必要な掃除はせいぜい、埃を取り払うことくらいなので肩透かしを食らった気分だ。


 ……なお、掃除している「僕たち」というのは僕とヨハンさんのことである。


「女子は別室なんですねぇ」

「修道院だからなぁ」

「やっぱりその……風紀的な意味で?」

「そういうこと」


 そう、女性陣は「別棟が女子寮になっているので、貴女がたはそちらに」と連れて行かれてしまったのだ。部屋が2つある場合、1つは僕とイリス。もう1つがヨハンさんとルルとフリーデさん、という分け方になることが多い。つまり今までヨハンさんは女子に囲まれる宿暮らしを満喫していたわけで、今はやや不満げだ。


「まあ、わかるよ。聖典に従って身を清めようと決意して修道士・修道女になったとしてな、そこに異性がいれば間違いだって起こるだろうさ。人間だからな」

「人間ですもんねぇ」

「だから生活圏を分けておこう、というのもわかる。一番簡単な解決法だもんな」

「ですねぇ」

「……なんか返事が適当じゃないか?」

「そんなこと無いですよ? それよりほら、真面目に掃除しましょうよ。一飯一宿の恩義ぶんは働かないと」

「……そうだな」


 まあ、返事がやや適当だったのは、僕も少し不満だからだ。久々にイリスとゆっくり出来ると思っていたのに。とはいえ我欲を押し通して良い場面でもないし、飲み込んだが。


 僕はベッドのシーツをはがし、はたいて埃を落とした。……そしてシーツの下に敷いてあった藁を見てぎょっとした。


「うげっ、ノミがわいてる!」

「あー……長らく干してなかったんだろうな。暖炉でちょいと炙るしかないか」

「じゃあ、そうしてきます」

「待て。それは俺が行こう」

「え? いやいや良いですよ、力仕事は年下の僕が受け持ちましょう」

「珍しく殊勝じゃないかクルト」

「そんなこと無いですよ?」


 僕とヨハンさんは睨み合った。どちらが藁を干しに暖炉の元に行くか――――そう、この部屋は寒いのである。


 鎧戸は締め切ってあるとはいえ隙間風はあるし、レンガ造りの壁もこれまた冷気を発している。おそらく火を焚いてレンガを温めてやれば、レンガが熱を蓄えて暖かくなるのだろう――――しかしこの部屋に暖炉は無い。冷え切ったレンガが、僕たちが発する僅かな熱気すら奪い去っていくのだ。


 ヨハンさんは目を瞑り、申し訳無さそうに頭を振る。


「なるほど道を見失い、この修道院にたどり着いてしまったのは俺の不手際だ」

「そこは誰も責めませんよ」

「まあ聞け、お前たちはそう言ってくれるだろうさ。しかしだな、迷路じみた下水道やら森の奥深くに佇むセーフハウスやらに隠れたターゲットを見つけ出し、殺して回ってきた俺だ」

「だいぶ不穏ですが、続けてください」

「暗殺者として、そして今は冒険者の盗賊として、道を見つけることに関してはそれなりの自負心があったわけだ。……そしてその自負は今回、無惨にも打ち砕かれてしまった。俺のプライドは、心はズタズタなんだよ」

「ふむ……」

「殊勝なクルトならお気づきかと思うが、俺には心の傷を癒やす"暖かい何か"が必要なんだ。わかるだろ?」

「わか……いや、無理筋では?? それが暖炉だと??」

「そうだ、暖炉だ! あるいはルルのバストだが、それは今手元にない」

「うっわ最低!」

「うるせえ! ここが修道院にも関わらず、どうせ夫婦で若い性欲を発散しようとしていたんだろうよ! そんな退廃欲情魔に最低と言われたくねえ! こいつは俺が貰っていく! あばよ!」


 ヨハンさんは暗殺者としての恐るべき素早さを発揮し一瞬で藁束を抱えると、部屋を飛び出していってしまった。


「あっ畜生、無駄に長い話だなと思ったら油断を誘ってたな!?」

「まだまだ甘いなクルトォ! ――――グワーッ、ノミが!」


 廊下からノミにたかられるヨハンさんの悲鳴が聞こえたが、それも遠ざかっていった。……寒い部屋にぽつんと取り残された僕は、仕方なく掃除を再開しようとした。


 ――――しかしその時、あるものを見つけた。藁が取り払われた寝台に、1枚の紙が落ちていた。


「なんだこれ?」


 拾い上げてみると、その紙は僕たちが普段使う「木から作った紙」ではなく、羊皮紙であった。そしてそこには文章が記されていたが……恐ろしく読みづらい。


 僕が覚えている文字体系は「プリューシュ語訳された聖典のプリューシュ語」のものだ。しかし紙に書かれている文章は、それとはだいぶ違ったスペリングがされていた。アルファベットに置き換えるなら、母音を伸ばすhが抜けていたり、bと綴るべきところをpと綴っていたり……なんとなくだが田舎臭いというか……古臭い感じだ。


 そしてイリスのひいお婆さんが使うような、少し古臭い言い回しが使われているように思えた。僕は目を細めながら、文章を読み上げてみた。


「許してくれ。わしらが一時の安寧を得るには他の方法が見つからなんだ。に頼る他無かった。これを読む者が同胞か、異邦人かは預かり知るところではない。じゃが、もしもきたおのが運命をしとせぬのであれば、戸が緩んでいる内に、もと来た道を辿るが良い。……そこは望む場所でも、時でも無かろうが、自由――――そしてかの神の視線だけは得られるじゃろう」


 ……そう、書かれていた。


「……? …………????」


 なにも、わからない。


 警告文らしきことはわかるが、意図的なのだろう、固有名詞を書くことを徹底して避けている。唯一出てきた固有名詞は『銀の鍵』であるが、それが何を指しているのかわからない。


「でも、『かの神』っていうのが不穏だなぁ……」


 この世界の神格の中には、その名を呼んだり書き記したりするだけで殺しに来る奴も居るという。故に「あの神格」「かの神」だとかいう言い回しになるのだが――――つまりこれを書いた人は、何らかの神格の目を気にする必要があり、その上でこれを書き記したことになる。


「ろ、ろくでもないもの見つけちゃったなぁ……」


 神格絡みは本当にろくなことがない。ナイアーラトテップ然り、チャウグナル・ファウグン然り。出来ればお関わり合いになりたくない。


 しかしこの紙を見つけてしまった以上、僕は1つ選択しなければならない。この紙を「イザークさんに報告するか」「報告しないか」だ。彼には一飯一宿の恩があるが、なんせ異端の修道士だ。何がタブーなのかわからない。


 仮にこの紙を見せて「見てしまったね、では消えてもらおう」と言われる可能性が無いわけではないのだ。……いや、考え過ぎだろうか? そう思った時。


「銀の鍵って聞こえたぞ」

「ヒッ」


 急に声をかけられたので驚いて振り向くと、僕の背後に1人の男性――――先程錯乱しながら吹雪の中に飛び出そうとして、イザークさんに気絶させられた人だ――――が立っていた。目がギラギラと輝いている。


「あっ、えっ、えっと、ミハルさん……でしたっけ!? 目が覚めたんですね!?」

「銀の鍵って言ったか?」

「言ってない! 言ってないです!」


 僕は動揺していたせいで咄嗟に紙を背後に隠し、嘘をついてしまった。……ミハルさんは僕の顔を舐め回すように見ると、急に笑顔になった。


「……そうだよな! 異邦人が知ってる訳ないよな! 悪かった悪かった! アハハハハー」


 そう言って彼は奇妙に甲高い笑いを上げながら、部屋を出ていった。……それと入れ違いに、藁を抱えたヨハンさんが帰ってきた。


「……なんだ? あいつとなんか話してたのか?」

「え、ええ、ちょっと。……少し、話しましょうか」


 今ミハルさんと話して確信した。「この警告文のことは、この修道院の人たちに言わないほうが良い」と。それをヨハンさんと共有すべく、廊下へと続く扉を閉めようとしたのだが――――ぬっ、と笑顔のミハルさんが扉の前に出てきた。


「ヒッ!?」

「なぁあんたら! 一体どこから来たんだい!」


 僕が後ずさると、彼はずかずかと部屋の中に入ってきて、扉を閉めてしまった。


「外から来たんだよな!? そうだよな、そう言ってたよな!?」


 ミハルさんの目は危険なほどにギラついていた。

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