第229話「銀の鍵 その2」

 じんわりと指先が温まってきた頃。イザークさんと、1人の老人が広間にやってきた。老人はいくつかのお椀を載せたプレートを持っていて、僕たち全員にそれを配ってくれた。


「ありがとうございます」


 そうお礼を言ったのだが、老人は僕の目すら見ず無反応。全員にお椀を渡すと、広間から出ていってしまった。イザークさんが苦笑する。


「すみません、彼は少々……陰気なタチでして。お気になさらないでください」

「あ、はい……」

「それより、冷めないうちに召し上がってください。野菜くずを煮込んだだけの粗末なものですが、内側から身体を温めるには丁度良いかと思いまして」

「ありがとうございます、助かります」


 お椀の中身はスープで、くたくたになるまで煮込んだキャベツの芯などが入っていた。元はザウアークラウトにしたキャベツだったのか、酸味と塩気が薄っすらと感じられた。普段なら「美味しい」とは思わなかったかもしれないが、口が、喉が、そして胃が内側から温められる感覚に思わず頬が緩む。


「すみません、暖炉をお借りするだけじゃなく、こんなお気遣いまで……」

「いえいえ、困った時はお互い様ですから」

「生憎と戦闘装備なので、お返しに渡せるような品物が無いのですが。後で薪代とスープ代くらいは支払わせてください」

「あー……いえ、お金は結構ですよ。というのもこの修道院は外部との交流が殆どありませんで、お金を頂いても使い道がないのです。可能なら物納か、或いは労働……そうですね、掃除などいかがでしょう?」

「掃除?」

「ええ、使っていない部屋があるので、そちらを掃除して頂けると助かります。……どうせこの吹雪です、止むのを待っていたら夜になってしまいます。泊まっていく必要があるでしょう……そのための部屋を自分たちで清める、というのはいかがでしょう? こちらとしても、手が回っていなかった掃除が為されるというのなら有り難いので」


【鍋と炎】の5人で顔を見合わせる。これは相当に寛大な申し出で、そのまま受け入れるのはやや気が引ける。帰ったら何か不足している物資でも届けようかと思っていると、フリーデさんがイザークさんに話しかけた。


「それは有り難いお申し出なのですが、本当にそれで宜しいのですか? 差し出がましいですが、修道院の維持が楽ではないことは存じています。今は軍役中ゆえ難しいですが、不足しているものを教えて頂ければ後々お届けしますよ」

「ふむ……ちなみに皆さんはどちらからいらしたので?」

「ブラウブルク市です」

「であれば、後々物資を届けるというのは困難でしょう。何せここは行商人すら寄り付かない陸の孤島です、誰かに依頼するのも難しいですし、皆さんが直々にというのも手間だ」


 このオストロフ修道院というのは、そういう場所なのか。しかし僕たちは街道からそう外れたとも思えない、行商人くらい来ても良さそうなものだが……と思って首を捻っていると、イザークさんが目を伏せた。


「……誰も、寄り付かないのですよ。ここにはね」

「それは一体……?」

「ふむ、まあ一晩……あるいは吹雪が止むまで同じ屋根の下で暮らすのです、知っておいたほうがスッキリするかもしれませんね。良いでしょう、この修道院の由来と歩みをお話します――――そちらのの方はどうか、気を悪くせずに聞いていただきたいのですが」


 イザークさんはフリーデさんを見ながらそう言った。女性聖職者に対してSchwesterシスターという単語を使ったのは、僕が出会った限りでイザークさんが初めてだ。マルティナさんもフリーデさんも、初見の人でもPfarrerinぼくしと呼ばれていたからだ。フリーデさんも少し片眉を上げたが、何も言わずにイザークさんに続きを促した。


「……もうお気づきかもしれませんが、このオストロフ修道院は精神病患者のために建てられた施設です。自発的に入る者もいれば、他者から強制的に放り込まれた者もいます。そんな場所柄だからでしょうか、気味悪がって誰も近づかないのです――――精神病は伝染る、と信じている人が多いのでしょうね」

「ええ……?」

「心を病むのは悪魔の影響を受けたからだ、近づけば自分も悪魔に目を付けられる。そういう信仰が、あるのですよ」


 そうか、医学が未発達だとそういう解釈になるのか。だがそれだと1つの疑問が生じる。


「それじゃ、皆さんどうやって生活して来たんですか? 行商人すら寄り付かないんじゃ、食料とか……」

「それは自給自足ですよ。今は吹雪で見通せないでしょうが、修道院の周辺には畑が広がっています。修道士・修道女でそれを耕しているのです。服もそうですね、亜麻を栽培して紡ぎ、全て自作です」

「それは……凄いですね」

「ふふ、自分で言うのも何ですが、苦労はしていますよ。この修道院の構成員24人を自活させるには圧倒的に人手が足りない。そして冬の今は紡績で手一杯です……それこそ掃除に手が回らなくなる程度には」

「なるほど、それで掃除を、と」

「ええ。さて話が逸れましたね、ともあれここは、精神病患者専門の修道院であるがゆえに人が寄り付かない。……しかし、それだけではないのです」


 イザークさんは一呼吸し、【鍋と炎】全員の目を見てから、意を決したように言葉を紡いだ。


「ここはなのです。異端を奉じる修道院なのです」

「異端……?」

「ええ。正統な信仰では主アツァトホート、精霊ヨグ・ゾトホート、そして子ナイアーラトテップ。この三位一体……特に救世主としてナイアーラトテップを信仰しますよね。しかしこの修道院では、ヨグ・ゾトホートを崇めます」


 ヨグ・ゾトホート。時間と空間を司る神。この世界はアツァトホートが紡ぎ出す夢であり、ヨグ・ゾトホートが空間(地域)を分割・統合し、時間を進める。しかしこの2柱は世界の「機能」そのもののようなものであり、意思を持たない。そこに意思もつナイアーラトテップが仲立ちして、人を救う。


 ――――と、何度か真面目に聞いた礼拝ではそう教わった記憶がある。


「時間と空間を崇めるなど妙な信仰だと思うでしょう? ……でもね、私は思うのですよ。心を病んだ者に必要なのは、外の喧騒から切り離された空間。そして何より長い時間だ、とね」

「それは……何となくわかる気がします」


 僕が地中に埋る魂の群れを見て、人狼事件でナイアーラトテップの悪意を直に受けた時。フリーデさんと告解してもなお、完全に立ち直るまではそれなりの時間が必要だった。人の心を治すには時間がかかるのだ。


「故に我々はヨグ・ゾトホートに祈るのです、安らかな空間を。そして立ち直る猶予をください、と」

「なるほど……」

「ま、異端ですがね。古い公会議で否定され、追放された宗派です。それがこうして、辺境の地でひっそりと暮らしている……正直、外に知られたくはないのです。存在がバレたら、それこそ迫害されかねません。ですので皆さん、どうかこのことは内密にして頂きたい」


 そう言ってイザークさんは頭を下げた。……彼は別に、ヨグ・ゾトホートを信仰していることは喋らなくても良かったはずだ。しかし態々教えてくれたのは、僕たちがここに泊まっている間にそのことに気づいて、外に漏らしてしまうことを警戒してのことだろうか。


 一宿一飯の恩とともに真実を話しておき、礼を受ける代わりに口止めを頼んでいる。――――僕はそう解釈した。そして彼の願いを反故にする気もさらさらない。隔絶された土地で、誰がどう生きていようが僕には関係ないし、親切にしてくれた人を裏切る気もないからだ。


「わかりました。ここのことは口外しません」

「ありがとうございます。……さて、もう少し温まっていてください。私は掃除用具を持ってきますので」


 そう言ってイザークさんは広間を出ていった。扉が閉まるのを確認してから、ちらとフリーデさんを見る。


「フリーデさん……」

「言わんとしていることはお察しします。……大丈夫ですよ、口外したりしません」

「よかった」

「いや正直この修道院まるっと改宗してしまいたい気持ちはあるのですが」

「ちょっと!?」

「……ですが、恩義を仇で返すのは様の教えに反するでしょう。私はそう信じ、目をつむります」


 正直、かなりホッとした。イザークさんがヨグ・ゾトホート信仰のことを話し始めた時は、いつフリーデさんが暴走しだすか気が気でなかったのだが。彼女も段々と柔軟性が出てきたようだ。……ナイアーラトテップの実態を知ってしまったから、というのもあるのだろうけど。


 それからしばらくして、イザークさんが掃除用具を持って戻ってきた。おそらくは今夜と明日の食事は恵んでもらうことになるし、それに見合った掃除をしなければ。そう思って僕は、温かい暖炉の魔力を振り切るようにして立ち上がった。

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