第225話「クレッツェ村の戦い 終編」

 クレッツェ村の残敵を掃討し終えたゲッツは、村に残っていた食料を検分した後、村への駐屯を決めた。……そしてその数日後、クレッツェ村にタオベ伯がやって来た。


 簡易的に補修した教会にタオベ伯が入ってくる。老体には厳しい雪中行であったはずだが、彼は従者の手を借りる事なく自力で歩いていた。教会はゲッツの本営と化しており、中央に大テーブルが置かれ、幕僚達がそれを取り囲んでいた。その中心に居たゲッツはタオベ伯を認めると立ち上がった。


、タオベ伯」

「いえいえ、摂政殿御自ら救援に駆けつけて頂いたとあればこれしき」

「さ、かけてくれ。……誰か白湯を持て、あれば蜂蜜でも入れて差し上げろ」


 ――――実際はゲッツがタオベ伯を呼びつけていた。非公式に、ではあるが。


 現在ゲッツが率いる軍は、現在クレッツェ村に駐屯している騎兵中心の部隊の他に、別ルートで進行させていた歩兵中心の部隊がある。これらは既にタオベ伯爵領に進入を果たしていた。クレッツェ村救援のために派遣したものであるが、村に蔓延っていたゴブリンどもは退治され、もはやお役御免ではある。にも関わらず、ゲッツは軍を退かせなかった。


 タオベ伯を詰問するためである。国境線の一端を担うタオベ伯爵領、その軍隊の体たらくを見過ごす訳にはいかなかったし、タオベ伯の手綱を握るチャンスでもあった。


 ゲッツは伯が座ったのを見ると、白湯が運ばれてくるのを待たずに話を始めた。


「まずはご令息の戦死をお悔やみ申し上げる。ゴブリンどもでは体格が合わなかったのが幸いしたようで、彼の甲冑類は村に安置されていた。後でそちらに引き渡そう」

「お心遣いに感謝致します」


 後継者たる嫡男を失った事はタオベ伯にとって大打撃である。しかしタオベ伯は沈痛な表情を浮かべるでもなく、ゲッツを見定めるように真っ直ぐと彼を見つめた。熟練の封建領主としての目であった。ゲッツもまた、目を逸らす事なく話を続ける。


「……要件はだいたい理解している、と踏んでいる。こちらが最大限している事も」


 あくまで非公式に呼び出し、タオベ伯の面子を立てた事。軍を率いてタオベ伯の本拠地に「直接訪問」しに行かなかった事を暗に示す。


「ご配慮はまあ、理解します。しかし要件というのが要領を得ませんな」

「国防体勢についてだ! リーゼロッテから話は聞いているぞ、軍の訓練不足! 矢の備蓄状況! ……民兵の練度が低いのはわかる、傭兵主体の軍なぞ珍しくもねェ。だが最低限の部隊すら集結に手間取るレベルなのは、根本的に戦時への備えが足りていないんじゃねェか、ッてところを問題にしている。貴領はノルデンの国境、その一端を占めているんだぞ?」

「我が領は国境での水際防御を主としており、要塞で稼いだ時間を利用して軍主力を招集する手筈となっております。……まあ今回、それは上手く機能しませんでしたので、その点については改善しましょう。しかし招集が遅れたのは雪のせいもあるとご理解頂きたい」

「矢の備蓄は?」

「リーゼロッテは我が孫娘とはいえ、我が軍の備蓄状況全てを把握している訳はありますまい? さしずめ、資料の一部を見て"不足している" と判断したのでしょうなあ」

「では備蓄状況は万全であると」

「無論」


 タオベ伯は表情を崩さず言い切った。


 嘘だ、とゲッツは言いかけてやめた。この老人なら、今この瞬間にも矢を生産させるなり購入するなりし、ゲッツが検分に向かっても書類なり何なりも全て揃えた上で「万全な備蓄状況」を演出しているであろうと踏んだからだ。そして招集の遅れについても改善すると言った以上、詰めるのはここが限界だ。


 さらに詰めて「お前は領主不適格だから封土取り上げだ」と言い放ちたいところではあるが、それは不可能であった。あくまでゲッツはタオベ伯をその土地の支配者として「認める」立場でしかない。そしてノルデン成立以来数百年、タオベ伯の権利は代々認められてきた。それを無効にするには反逆レベルの大罪を犯して貰わねばならないが、現在タオベ伯が認める非は「招集が遅れた」点だけである。この程度で封土を取り上げては、全てのノルデン貴族が反乱を起こしかねない。


 ゲッツは奥歯を噛む。ゲッツの手にはまだ、全ての貴族反乱を鎮圧するだけの力はない。中央集権は遠く、今はまだ領主達の力を削ぐ段階だ。


「伯、貴殿がそう言うならそうなのだろう」

「はい、信頼して頂けて何よりですな」

「しかし、今回の軍役にかかった費用については補償して貰わにゃ困る。わかるな?」

「無論、補償致しましょう。……しかし初動が遅れたとはいえ、我が軍が完全に結集した状態であれば、ゲッツ殿のお手を煩わせる事も無かったとも思いますな」

「何……? ゴブリンマザーが2体居た事についても報告は行っているよな?」

「勿論」

「それでも勝てたと?」

「腕利きの傭兵団を招集しておりましたので。ああ彼らは現在、ゴブリンの残党がいないか探るためにまだ我が領に駐屯させておりますが」

「…………」


 つまり「君らが来なくても勝てたよ。あと油断ならない軍を手元に呼び寄せたから、ウチに進入してる君の軍もそんなに怖くないよ」と言っているのだ。ゲッツの顔に青筋が浮かんでゆく。幕僚達も怒りの表情を隠そうともしない。しかしタオベ伯は飄々としている。


「おっと、貴殿らの実力を疑ったり、まして流した血を蔑ろにしている訳ではありませぬ、そこはご理解頂きたい。しかし私とて40年に渡って統治者として君臨しているのです、軍を率いた回数にかけてはゲッツ殿、貴殿よりもあると自負しております。その経験から申し上げても、我が軍はがあれば十分戦えたと判断しているのです」

は不要であったと?」


 封建君主に課される義務。「家臣を保護すること」。代わりに家臣は君主に納税や軍役、忠誠を提供する。それが封建制だ。


「そこまでは申しておりませぬ! "多少の助力"と申しておりましょう? こちらは初動で息子が率いる騎兵戦力が壊滅してしまった以上、そちらの騎兵を借りる必要はありました」

「……タオベ伯。結局、何が言いたい?」

「つまるところ、保護は騎兵の援軍だけで足りたのでは、と申しております。であれば、軍事費の補填についてもその騎兵戦力の分だけで十分であると考えております」

「ふざけるなよ!」


 ゲッツはテーブルを叩いて立ち上がった。この場で斬り殺さんばかりの怒気を発しながら。カエサルが止めに入る。


「やめんか! ……タオベ伯。率直に申し上げれば、その物言いと要求は貴殿にとって利があるとは思えない。そちらの手元に兵があり、多少のが出来る事は理解する。その間に他国から援軍を呼び寄せる事が可能であることも。しかしそれは貴殿にとって何の利もありますまい? 領土は荒れ、節約した軍事費すら吹っ飛ぶでしょう」


 神聖レムニア帝国において、領主は。タオベ伯は「今まではノルデン選定侯だけに忠誠誓ってましたが、今日から近くの王国にも仕えますね!」が可能なのである。理論上は、であるが。


 つまりタオベ伯が喉元に軍を突きつけられてなお傲岸不遜に振る舞っているのは「この交渉が決裂して内戦に至っても、他国に介入してもらう算段があるから」である、とカエサルは踏んでいた。しかしそれはタオベ伯にとってメリットの少ない行為であり、ゲッツが金銭の要求だけで済ませているのであるから、それを支払ってしまえば丸く収まる話ではないか、と。


 タオベ伯は頷き、一枚の紙を取り出してゲッツに寄越した。


「落ち着きなされゲッツ殿。……これが、今回お支払いする金額です」


 ゲッツは紙をひったくって読むと片眉を上げた。


「おい、これは……」

「間違ってはおりませぬぞ。そこまで耄碌してはおりませぬ」


 紙面に書かれていたのは、ゲッツが引き連れてきた騎兵戦力どころか、全軍の軍事費に加えて多少の謝礼を含めたような金額であった。それを支払うとタオベ伯は言っているのだ。ここまでの彼の態度とは全く整合性が取れず、ゲッツは困惑した。


 タオベ伯は席を立ち、ゲッツに背を向けた。


「……ゲッツ殿、貴殿は"あのクソジジイ、これを機に手綱を握ってやる" 程度の気持ちだったのでしょうが、私は後継者を喪った老領主である事もご理解頂きたい。これは家の危機であり、そこに君主の軍が大勢で踏み込んできたとあらば、家を守るために他国の力を借りようと考えてもおかしくはありますまい?」


 懲罰にしては「やりすぎ」だった、とタオベ伯は言っているのだ。ゲッツはタオベ伯に最大限の配慮をしたつもりであったが、まだ足りぬと。


「なるほど貴殿の軍事的才覚は素晴らしい。しかしそれに頼りすぎている嫌いがありますな。ま、その辺の匙加減はもう少し学ぶと宜しい。あと短気も宜しくない」

「…………」

「軍も上手く使えずに何を、面の皮が厚い……とお思いでしょうな? しかし私はそうやって手練手管で領地を守って来たのです。……このやり口は、貴殿に知っておいて頂きたかった」

「教育だった、と?」

「そう受け取って下され。勿論恩を売るためではありませぬが」

「ならば何故こんな事を? 率直にこれは、ねェか?」


 君主の方針が気に入らなければ容赦なく裁判に訴え、あるいは即座に反乱を起こすのが封建領主だ。しかしタオベ伯はそのどちらをするでもなく、手管を開示してゲッツに教えた。それは「契約を結んだ主従」であると同時に「利害が一致しなければ即座に敵となる」領主の行動としては不可解であった。


 しかしタオベ伯は答え合わせを避けるように首を横に振った。


「ま、気の迷いというものは誰にでもあるものでしょう……ではこれにて。そこの兵、息子の遺品のところに案内せよ」


 そう言って、タオベ伯は教会を出ていった。残されたゲッツとカエサルは顔を見合わせた。


「……教育、とはなァ。確かに勉強になった、危うく内乱起こすところだったからな。だがわからん、リーゼロッテを俺のところに送り込んで親戚になったにせよ、こういう形でしてくれる奴じゃねェと踏んでいたんだが」

「我々は少々、合理性だけで物事を考えすぎていたのやもしれんな」

「もっと人心を理解しろと?」

「それについては自信があるつもりだったのだがね……」


 ――――タオベ伯に息子コンラートの甲冑を引き渡した兵が、一番最初にタオベ伯の意図に近づく事になった。彼は同僚にこう話した――――「コンラート様の甲冑を見た時、伯は1人の父親の顔をしておられた」と。

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