第224話「クレッツェ村の戦い その4」

 教会から出撃してきたゴブリンマザーは一瞬で無力化され、護衛の通常種ゴブリンどもに逆襲突撃を仕掛けていた時。教会から、1体のゴブリンが逃げ出すのが見えた。通常種とホブの中間くらい、つまり殆ど人間の成人男性と同じくらいの背丈だ。群れで行動することが多いゴブリンの中で、単独行動をする個体は目立つ――――ヴィルヘルムさんも気づいたのか、逃すまいと矢を射掛ける。しかしその個体は、背中に射掛けられた矢をノールックで避けた。


「化身じゃないかなアレ」


 ナイアーラトテップから授かった「意識の可視化」で、僕が相手の攻撃の意図を感知出来るように。ナイアーラトテップの化身もまた、同じ能力を持っていてもおかしくない。自分に害悪の触肢が伸びた瞬間に回避行動を取れば、ああいったノールック回避も出来るはずだ。


 そう推測していると、イリスが興奮気味に尋ねてきた。


「あれなら撃っても味方巻き込まないわよね!?」


 もう酸素マシマシファイアボールを撃ちたくてたまらないのだろう。自分で作り上げた新作魔法を試したくてたまらないし、その大火力に魅せられてしまっているのだ。しかしヴィルヘルムさんに禁止されているように、乱戦中に爆風が吹き荒れたら余計な損害が出かねない。


「やめときなって!! 化身殺したいのは山々だけどさぁ!!」

「セックスより我慢するの難しいのよ!!!!」


 ダメだこの娘。命令無視してでも撃つ気マンマンだ――――とはいえ、僕も化身は殺しておきたい。それに化身が攻撃の意図を感知して事前に回避出来るとしても、酸素マシマシファイアボールなら回避範囲ごと焼き払ってしまえる。僕はヴィルヘルムさんに尋ねる。


「あの個体追って焼いて良いですか? たぶんけし……ゴブリンロードだと思うんですけど」

「……許可する。ただしあのクソヤバファイアボールは十分に離れてから撃ってくれよ」

「了解です!」


 許可を得るや否や、【鍋と炎】は突撃を開始した。立ち塞がるゴブリンたちを蹴散らし、追いすがるゴブリンどもを背中を同僚たちに任せ、化身を追う――――奴は全力疾走を開始していた。追っているのに徐々に距離が開いてゆく。僕たちの突撃の速度は、前衛たる僕とルル――――全身甲冑装備者だ――――に合わせているので、身一つで逃げる化身のほうが早い。距離は60mほど、酸素マシマシファイアボールで巻き込めるギリギリ。確実に仕留めるにはもう10m詰めたい。


「逃がすか!」


『幽体の剃刀』を3連続で放つ。昨日今日とゴブリンを殺しまくったお陰で魂のストックは十分、大盤振る舞いだ。不可視の刃が飛んでゆくが、やはり化身はノールックで避けてしまう。しかし回避行動のために若干走行速度が落ちる。数mは縮めたか。だがこれが限界だ、ヨハンさんの投げナイフを浴びせるにはまだ遠すぎる。


「仕方ない、今!」

「爆ぜろーッ!!」


 イリスが最後の魔力を振り絞り、酸素マシマシファイアボールを発射。それは全力疾走する化身の背中に追いすがり――――射程ギリギリの50mで大爆発を起こした。


「うおおお……」

「この内臓に響く衝撃……最高……」


 背後からイリスの恍惚とした声が聞こえるが、僕とルルが風除けになってるから安全に快感に浸れていること、わかっているんだろうか……僕とルルは爆風を受けて一瞬体勢がぐらつくがなんとか持ち堪え、爆発で舞い上がった雪の中を突っ切り突撃を再開する。


「――――まだだ、まだ生きてるぞ!」


 音を感知したのだろうヨハンさんがそう叫びながら、雪の靄の中にナイフを投擲した。直後、僕たちにも見えてきた。雪の中から化身が飛び起き、投げナイフをかわして再び逃走を始めた。その背中は焼けただれていたが、それ以外の負傷は無さそうだ。直撃は避けられたか――――しかし距離は10mほどに縮まっていた。


「この距離なら!」


 ヨハンさんが左手に持った投げナイフを3本同時に投擲し、直後に右手に持った投矢を放った。投矢の方がナイフより速度が早いので、結果的にナイフと矢が同時に着弾する形になった――――しかし化身はナイフと矢の弾幕を、曲芸的な身のこなしで避けきった。


「もう一丁! ……クソッ!」


 ヨハンさんがもう一度同じ攻撃を仕掛けるが、やはり避けられた。だが、流石に走行速度は一瞬ガタ落ちした。距離5m。


 好機と見て、僕の背後からフリーデさんが飛び出そうとする。軽装の彼女の足なら一瞬で追いつける――――そう思った瞬間、脳内に焦れるような感覚が生じた。化身が何か能力を使おうとしている。化身は身を捻りこちらに指を向けている――――その指先は、フリーデさんを追っていた。


「待って!!」

「!?」


 飛び出そうとするフリーデさんを身を挺して遮った直後。僕の胸鎧に、ぎゃり、と刃が走る音がした。不可視の刃。『幽体の剃刀』だ!


「ダメだ、あいつも『幽体の剃刀』を使う! 軽装の3人は僕とルルの陰から出ないで!」

「しかし、それでは……!」


 ――――わかっている。フリーデさんが抗議するように、それでは化身に追いつけない。重装の僕とルルの足では距離が縮まらないし、ヨハンさんの投げナイフで足止めしようにも弾数に制限がある。イリスは魔法を使い切った。フリーデさんに捨て身の特攻をさせれば追いつけるかもしれないが、そんなこと許可出来ない。


 こちらの攻撃の意図を読み回避してしまう敵。そんな相手に攻撃を当てるには、酸素マシマシファイアボールような広範囲攻撃しか方法が無い。しかしイリスの魔力は打ち止め。


 手詰まりだ――――本当にそうか? 化身は確かにこちらの攻撃の意図を読んでいる。しかしそれだけでは、ヴィルヘルムさんの矢や、先程の投げナイフと投矢の弾幕を避けたような芸当は不可能なはずだ。いなければ。


「追撃、停止。僕が最後の攻撃を仕掛けます」

「……策があるんですね?」


 フリーデさんに頷きながら僕は盾を投げ捨て、鍋をしまった。そして拳銃を抜く。両手に1丁ずつ。そして徐々に走行スピードを落としてゆく。化身との距離が15mほどに開く。既に拳銃では。息が上がっている今、そもそも正確に狙いをつけることすら難しい。


 だが、それで良い。狙いを読んでくるなら、。当たるかどうかは運次第。分の悪い賭けだが、もうこれしかない。


「読めるもんなら、読んでみろ!!」


 急停止しながら両手の拳銃を化身の背中に向け、引き金を引く。撃発。化身が横に飛んだのが見えたが、その姿が硝煙で覆い隠される。


「…………」


 荒い息をつきながら拳銃をしまい、鍋を抜きながら硝煙の中を歩く。ヨハンさんがコツン、と僕の肩鎧を叩いた――――硝煙を抜けた先では、化身が倒れ伏していた。右膝が爆ぜ、千切れかかっている。


「……流石に、本人すらどこに飛んでいくかわからない攻撃は読めなかっただろ。それにしても運が悪いと思うけどね。たった2発のうち1発が、よりにもよって脚に当たるなんて」


 そう声をかけると、化身は身をもたげて僕を睨んできた。


「ああ、最悪の気分だよ。ここまで何もかも滅茶苦茶にされるとはね」

「人間社会を滅茶苦茶にしておいて良く言うよ……で、目的は何だったんだ? 僕たちに勝つだけなら、軍の指揮官を誑かす方が早かっただろうに。何でゴブリンなんかに化けて、それを操っていた?」

「虫の居所が悪いんだ、教える気は無いね」

「……お前、逃げたってことは命に執着があるんだろ。このままだと死ぬことになるけど、それで良いのか?」

「取引か? 教えれば見逃すと?」

「そうだ」

「じゃあ答えはこうだ――――だ、反故にされることがわかっている取引に応じる理由が無いんだよ、バカめ」

「……何も言い返せないな、お前が意識を読めることをすっかり忘れてたよ、死ね」


 鍋で化身の頭を打ち砕いた。


 鍋に化身の魂が蓄えられるのを感じながら、戦場のほうを振り返った。冒険者ギルドも騎士隊も受け持ったゴブリンたちを撃破し、まだ戦っている中央と西翼のゴブリンたちの背後に回り始めていた。懸念点だった西翼のタオベ伯軍も崩れていない。ゴブリンたちは包囲され、殲滅されるだろう。


 ナイアーラトテップの化身に率いられたゴブリンと人間の戦いは、人間の勝利に終わった。

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