第222話「クレッツェ村の戦い その2」

 ゴブリンロード――――もといナイアーラトテップの化身は唸っていた。自軍の東翼が騎士隊によって突破されようとしているから。問題は西翼と中央で、ゲッツ軍に全く有効打を与えられていないことであった。


 最も弱体な、西翼のタオベ伯軍を突破すれば勝てる。そのはずだったのだが、タオベ伯軍は幾度にも及ぶ波状攻撃を跳ね除け、無傷ではないにせよ戦線を維持していた――――弓兵による援護が厚いからだ。


 あの弓兵の一部でも東翼の援護に回っていれば戦局は変わっていただろう。だがゲッツ軍は銃を活用し、弓兵の手を借りず騎士隊独力でゴブリンの対騎兵部隊を突破しようとしていた。


「ゴブリンに騎兵がいれば。あるいは弓兵でもいればなぁ」


 そうぼやいてみるが、叶わぬ夢だ。ゴブリンが扱える騎乗生物などいないし、弓兵なぞ訓練する時間がなかった――――何せここにいるゴブリンどもは、1なのだ。弓の訓練など到底間に合わぬし、せいぜい投石兵にするのが関の山で、それですら完全装甲の騎士隊には有効打を与えづらい。歩兵として肉の壁にしたほうがマシだ。


 結果、ゴブリン軍は歩兵だけで構成された歪な編成となっていた。その上、ゴブリンマザーから産まれたゴブリンは身体こそ急速に成体になるが、(元々低い)知性は幼体のままだ。複雑な部隊機動など不可能なものを、化身としての洗脳能力を用いてなんとか「この武器をこう構えろ」「ここに行って耐えろ」「ここから突撃しろ」程度の行動をさせるのが限界。あまりにも採れる戦術の幅が狭い。


「……いや、それにしてもおかしいだろ。この戦術でも、が相手なら奇襲とこの会戦で2度は勝ってるはずなんだ。ノルデンどうなってるんだ」


 クルトが転生してきて結果的に銃が広まり、カエサルが転生してきて用兵の質が上がったのが劣勢の主因だ。2人の転生はこの化身が主導したことではないので、他の化身の身勝手さに歯噛みする。余計なことを、と。


「まあ、最後に一発かまして逃げるか。カエサルは遠いが、クルトくらいなら殺せるだろう」


 それを以て他の化身への報復としよう――――彼はそう考えた。



 執拗な銃撃を受けた部分のゴブリンたちは、突撃してくる騎士たちに槍を向けるでもなく逃走を始める。それを押し留める隊列の厚さは残っていなかった。騎槍ランス騎士中隊はゴブリンたちの背中に長大な騎槍ランスを突き立て、馬の蹄で踏み砕きながらゴブリンの隊列を駆け抜けてゆく。


 そうして出来た突破口に、すかさず抜剣した拳銃騎士中隊が突っ込んだ。すれ違いざまにゴブリンたちを撫で斬りにして突破口を広げてくれたので、その後を駆ける僕たち冒険者はほとんど無抵抗でゴブリン東翼の背後に抜けられた。ヴィルヘルムさんが指示を下す。


「ゴブリンどものケツを叩くのは騎士隊の役目だ。俺たちは予定通り、教会に向かうぞー。はゴブリンマザーとの戦い方を思い出しておけよ!」

「「「ウィース!」」」


 幸いなことに、この場には過去にゴブリンマザーとの戦闘経験があるパーティーが【鍋と炎】を含んで5ついる。前回は矢で目を潰し、魔法で四肢を砕いて引きずり倒し、近接武器で肺を貫き、ファイアボールを口に放り込んで仕留めていた。それを繰り返せば良い。


 もちろん今回もゴブリンマザーには護衛がいるので、それを排除しつつ仕留めねばならない。まるでゴブリンマザーが籠もる教会を守るかのように、教会から湧き出したゴブリンたちが展開を始めている――――先程から、頻繁に化身が洗脳能力を使っている。そのたびに教会の周りでゴブリンたちが動き、隊列を整えている。


「イリス。化身の居場所も多分教会の近くだ」

「了解。……にしても、妙ね。勝てると思ってるのかしら」


 イリスが訝しむ。教会の周囲に展開しているゴブリンたちの数は100匹を下回っている。開けた場所での戦闘になるのでゴブリンの数の暴力を発揮しやすいとはいえ、ゴブリンマザーと合わせても然程脅威になるとは思えない。冒険者ギルドは50名で行動しており、さらにいざとなれば騎士たちの支援もあるからだ。


 そんなことは化身にもわかっているはずなのだ、このままでは負けると。だというのに、未だにゴブリンたちの指揮を執っている。何か裏があるに違いない。


「……罠?」

「かも。ヨハンさん、索敵お願いできる?」

「あいよ」


 ヨハンさんがパーティーに先行して前進を始める。ヴィルヘルムさんも念押しのためか、各パーティーから盗賊を抽出して偵察に出した。教会まで残り100m。


 教会の周囲には人間の家やゴブリンの竪穴式住居がいくつかあり、盗賊たちはそれらの中を確認しつつ前進していくが、そのたびに「敵影なし」を報告している。


 教会まで残り50m。もはや突撃すれば10秒かからず教会に到達出来る距離。しかし盗賊たちは伏兵の存在を確認出来なかった――――おかしい。絶対におかしい。化身は一体何を考えている? ラニーアのように、自身の目的を果たした後は自分の命に無頓着になっている? そう判断するのは相手の目的がわからない以上、リスクが大きい。罠や奥の手が存在すると判断すべきだ。


「イリス。5秒で引き戻して」

「……了解」


 こういう時こそ「意識の可視化」の出番だろう。どこかに伏兵がいるとすれば、その意識を見つけてしまえば良いのだ。鍋に蓄えた魂を消費すると、視界が白く濁る――――関知すべきでない大きい者の意思。己を強いてそれを無視する。……靄が晴れると、教会正面にいるゴブリンたちの意識が見えた。敵意なのだろう、複数個体の意識がひと纏まりになり、大きな槍のようになって僕たちのほうを向いている。


 次に、教会の中に2つの意識が見えた。壁を貫通して見えるそれは、大きいが希薄な霧と、小さいが密度の高い霧のように映った――――大きいほうがゴブリンマザー、小さいほうがナイアーラトテップの化身か。後者のほうから、1本の細い線のような意識の触肢が伸びているのが見えた。


 そういえば、いま化身は洗脳能力を使っていないな。護衛のゴブリンたちをまとめ終えたからだろうか。そんなことを考えながら意識の触肢を辿っていくと――――その触肢は僕たち冒険者ギルド本隊の前に展開している、盗賊たちの横合い、その地面に伸びていた。雪の白と混じって判別しづらいが、そこには無数の意識の霧が――――


「全員下がって!!」


「意識の可視化」を解きながら叫ぶ。ベテラン盗賊たちは即座に飛び退った。人間の目と耳は万能ではなく、後衛が警告を発した時は「自分が見つけられなかった脅威が迫っている」時だと理解しているから。しかし経験不足の盗賊たちは、悠長に「なんだ?」と足を止めて僕のほうを振り向いた――――瞬間、教会の中からゴブリンマザーの雄叫びが聞こえた。


「あっ」


 突如地面から巨大な緑色の腕が生え、逃げ遅れた盗賊の1人を鷲掴みにした。間髪入れず腕の周辺の雪が盛り上がり、爆発するようにして雪と土、それに木板を跳ね上げた――――地面に穴を掘って潜んでいたのだ!


「くそっ、雪で音を殺してたのか」


 後退してきたヨハンさんがそう吐き捨てる。雪と土の舞い上がる穴からのっそりと、四つん這いになってなお3m以上の全高を誇るゴブリンマザーが這い出してきた。無数の通常種ゴブリンとともに。同時に、教会の壁を破壊しながらもう一体のゴブリンマザーが姿を現した。


「た、助け、たす、あっあっ……ああああああああああああああ!!」


 逃げ遅れた盗賊が、地面に潜んでいたゴブリンマザーに丸呑みにされる中。教会のゴブリンマザーと護衛の通常種たちが、僕たちに向かって突進を開始した。

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