第220話「引き分け」
――――野営地の救援は成功裏に終わった。しかしゲッツもカエサルも不満げだ。
「引き分けだな、こりゃ」
「ああ」
野営地を包囲していたゴブリンどもはゲッツらの襲撃を受けて統制を失い、個々の群れを1つずつ丁寧に騎兵で轢き潰してゆくと、次第に撤退を選ぶ群れが増えてゆき、やがて全体が潰走していった。
だがその頃には騎兵たちも疲弊しきっており、追撃が行えなかった――――戦場で最も死傷者が増えるのは追撃の瞬間だ。背中を見せて逃げる敵に馬で追いすがり、槍で突き、剣で散々に切り刻みながら通り越してゆく。その瞬間にこそ決定的な打撃が生じるのだ。
それが行えなかった。強行軍の疲労、そして繰り返される突撃で馬も騎手も限界に達していた。結果、2000体を超すゴブリンを取り逃した。撃退はしたが決定的打撃は与えられていない。
「手札が足りねェ」
「少なくとも歩兵は手に入ったがね。今まさに救ったタオベ伯軍の歩兵が」
「前情報だと、前進すら出来ねえって話だが?」
「壁くらいにはなるであろう」
「すぐ崩れる壁なんざ、回りの兵の士気が落ちるぶん無い方がマシだぜ」
「……私の配慮を察してくれゲッツ殿。それとも"数百人の穀潰しを得た" とハッキリ言って欲しかったかね?」
「…………壁くらいにはなって欲しいなァ」
「うむ」
損害は今まさに集計中だが、タオベ伯軍の歩兵1000、弓兵300人のうち生き残ったのはおそらく歩兵700、弓兵200といったところか。兵員の実数がそうだとして、小隊長などの下級指揮官を失った部隊は使い物にならないので、「実際に使える部隊」として見た場合は半数以下になるだろう――――つまり半分以上は「戦闘に投入することすら出来ない本当の穀潰し」だ。
延々と愚痴を垂れたいところであるが、続々と報告のための伝令がやって来たので、ゲッツとカエサルはそれまでの不満げな表情を切り替え、いかにも自信ありげに振る舞って伝令たちを労った。
実態が引き分けだとしても、兵士たちには「大勝利」だと思わせておかねばならないからだ。「あんなに頑張ったのに引き分け」と思っては、兵士は二度と死地に歩みを進めない。「大勝利だ、だから次も勝てるぞ」と思わせておかねば。
「殿下、緊急に報告したいことが」
伝令たちを捌いていると、クルトがやって来た。この少年の報告は大吉報か大凶報の両極端なんだよな……と思いつつ、ゲッツは優先的にクルトを通し、人払いをした。クルトは深刻そうな、しかし戦意に満ちた表情で「報告」をあげた。
「――――なるほど。戦場にナイアーラトテップ様の化身がいた、と」
「はい。恐らく洗脳能力を使ったんじゃないかと思うんですけど……」
ブラウブルク市で化身がその能力を使った時は、その影響下にあったクロスボウ職人たちが非合理的な――――正確には「理性ではおかしいとわかっているが、誰かに強くそそのかされたら、やってしまうかもしれないような」行動をした。
ゲッツは逡巡するが、自軍の兵士たちにそういった行動は見られなかった。戦場で奇妙な動きをしていたものといえば――――ゲッツはカエサルと目を合わせた。
「あのゴブリンの群れか?」
「ふむ。てっきりゴブリンロードとやらに率いられているものと思っていたが。神の化身によって率いられていた可能性もある、と」
「……どういうことです?」
「ああ、野営地の中からは見えなかっただろうな。クレッツェ村のほうに退いていくゴブリンどもの中に、妙に統制が取れた群れがあったんだよ。あれがゴブリンどもの指揮官、ゴブリンロードが率いる群れだったんじゃねェかって思ってたンだ」
「な、なるほど……僕はてっきり、自軍の中に化身が紛れ込んでいるものかと」
「……それはそれで最悪だな」
「はい。なので兵士たちを監視して、化身と思しき者がいれば殿下に通報しようかなと。その許可を頂きに来たんです」
監視というが、クルトの元には頭のおかしさで鳴らすあの【這い寄る霧】のフリーデが居る。陣中でインタヴューという名の
「……それならまあ、良かろう」
「ありがとうございます!」
クルトは頭を下げて野営地のほうに帰っていった。カエサルがゲッツに問う。
「もっと問い質すべきことがあったのではないかね?」
「眺めてるだけで、どうやって化身を判別するのかッてか? ……配慮だよ、カエサル。
「知りたくない、と」
「知っちまったら対処せざるを得なくなるだろ。だが俺はそこに手間を割きたくねェ」
今まで泳がせておいて有益だったのだから、これからも泳がせておこう。管理するにもコストがかかるのだ、泳がせてて良い奴を無理に管理する必要はない。そういうことである。
◆
僕は【鍋と炎】に戻り、それからイリスを伴って野営地を出た。フリーデさんは負傷者救護、ルルとヨハンさんはその補助を行っている。
野営地から少し離れたところで足を止め、軍全体を見渡す。
「ここなら良いかな。……じゃあ、始めるね」
「気をつけてね。10秒で声かけるから」
「うん」
イリスに手を握ってもらい、鍋に蓄えた魂を消費して、ナイアーラトテップから新たに授かった能力を使用する。
直後、視界全体に
――――新たに授かった能力は、「意識の可視化」。生物・非生物を問わず、意識を持つものならばそれを視覚情報として得ることができる。
兵士たちを見てみれば、個々人ごとにバラバラだった霧が、何らや伝令たちが通達と激励を始めると、1つの大きな球体へと纏まっていく。「勝利万歳!」などと叫んでいる部隊に至っては、ほとんど個人の境目がわからなくなるほど巨大な霧の球体として見える。
「一体感を示してるのかな、あれは……」
「6、5、4……」
イリスは僕の感慨を無視し、冷静にカウントダウンを行っている。急いで軍全体を見渡すが、どこも同じような状況だった。勝利の歓喜から来る一体感が、あちこちで醸成されている――――例外は負傷者の意識で、大きな霧から切り離されたように独立している。あるいは救護に来てくれた人に、霧の触肢を伸ばしている。
おかしなところは何もない――――そう思って僅かに気を緩めてしまった瞬間。背筋にぞくりと寒いものが走り、何か巨大なものに押し潰されるような感覚に囚われる。それは努めて見ないようにしていたが、僕たちを視ている何か巨大な者の意識。視線。僕の視界全体を埋め尽くす靄の正体。
それはこの星そのものか、あるいは他の星々から僕たちを見下ろす存在のものか。あるいは
「2、1……クルト、終わり」
「ッ……」
イリスにきつく手を握られ我に返り、「意識の可視化」を解く。たちまち霧は晴れ、巨大な者の視線も感じなくなる。……気づけば、どっと汗をかいていた。イリスが心配そうな表情で僕を見上げてくる。
「大丈夫?」
「なんとか。……やっぱり10秒くらいが限界だね、最後のほうは気が緩んじゃってダメだった」
意識の可視化。この能力は操られている者を発見しやすくなる反面、見たくないもの、本来見るべきでない者の意識をも可視化してしまう。それらを無視するために極度の集中力を要する――――そうしなければ、あの巨大な視線に。巨大な意識に呑み込まれてしまう気がするのだ。
恐らく「意識の可視化」で見られる景色は、ナイアーラトテップが見ている景色と同じなのだろう。意識の方向性や纏まり方を見て、どこをどう操るか決定しているのだ。
「何かわかったことは?」
「少なくとも、妙な動きをしている人は居なかったかな……いま化身は洗脳能力を発動していないし、その影響下にある人も居ない……と思う」
「……ってことは、戦闘中にあんたが感じた、洗脳能力の反応。それはゴブリン側に使われた可能性が高い、と」
「うん」
この能力を僕に授けた化身は、次の化身を見つけるためには「成り行きに身を任せていれば良い」と言っていた。てっきり僕は、このゴブリンマザー討伐隊の中に化身が紛れ込んでいるものかと思っていたが。
「まさかゴブリン側に居るとはね……」
「こっちの軍の中に居るよりはマシ、と思うしかないんでしょうね。同士討ちになったら総崩れになりかねないんだから」
「そこが謎なんだよね。混乱を引き起こしたいだけなら、軍の中に紛れ込む方がずっと効果的な気がするんだけど……」
ナイアーラトテップの洗脳能力も万能ではないようで、洗脳される側が「一応は納得できる」ような内容ではないと、従わせることが出来ないように見える。そういう意味で、兵士を納得させて同士討ちを発生させるのは難しかったのか。あるいは他の目的があるのか。
「……結局、本人に聞くしかないか」
「ゴブリンに化けてるとしたら、人の言葉を喋れるかもわからないけどね」
「それもそうか……とりあえず、見つけ出して殺すのが最優先。インタヴューは余裕があればやる。それくらいの心持ちでいよう」
2人で頷き合い、野営地へと戻った。やがて殿下から「2日間の休息、のちにクレッツェ村へと向かう」との通達が来た。
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