第218話「接近」

 タオベ伯が嫡男、小コンラートの身に起きたことを、伝令はゲッツに伝えた。


「奇襲してきたゴブリンどもの数は1000を超していたかと。私の位置から見えた限りは、ですが……」


 伝令は軽騎兵としてかの戦闘に参加していた。所々に負傷が目立つ。わずか4人だけが、ゴブリンの包囲を突破して生還した。その全員が、行軍縦隊の先鋒に位置していた軽騎兵であった。他は全滅――――未帰還、行方不明である。


 ゲッツは衝撃を受けつつ、平静を保とうと努めた。ここで指揮官が狼狽した姿を晒せば士気が落ちると理解していたからだ。彼は伝令に尋ねる。


「……状況を整理しよう。お前たちは、クレッツェ村への襲撃の帰路を襲われたんだよな? しかも後ろからではなく、横合いからの待ち伏せで」

「はい」


 ゲッツは同行しているカエサルを見た。彼は眉根を寄せながら、しかしどこか楽しそうに頷いた。


「1000を超す軍勢を、感づかれることなく浸透させ。敵の体力旺盛な往路ではなく、疲弊した帰路を狙った。……大した戦術だよ、相当に知恵が回るのが居るな。ゴブリンにはそういう個体が生まれることがあるのかね?」

将軍ジェネラルだとか、君主ロードだとか呼ばれる変異種が生まれることはある……らしい。昔話、伝説でしか聞いたことねェがな。まぁシュプ=ニクラートの恩寵受けし者ギフテッドが撒き散らされる時代だ、伝説が現実になっていたとしても不思議じゃねェわな」

「ふむ。ところで疑問なのだが、いくら10倍のゴブリンに囲まれたとて、そう簡単に騎士が負けるとも思えないのだが。少なくとも騎士隊は円陣を組むことには成功していたのだろう?」


 カエサルは伝令にそう尋ねる。


「騎士隊もですが、私の所属していた軽騎兵小隊も円陣を組むことには成功しておりました。……しかし、突き崩されました。丸太を抱えたホブゴブリンの群れ、長槍を抱えたゴブリンの群れ、その一斉突撃で。まるで破城槌のような一撃でした……直撃した同僚が人形めいて吹っ飛ぶさまが、未だに目に焼き付いております」

「そうして円陣を崩され、内側に入られたと」

「はい。あとは乱戦です。1人、また1人とゴブリンに群がられ引きずり倒され、甲冑の隙間にナイフを突き立てられていきました」


 全身甲冑を纏った騎士に多人数で飛びかかり、引き倒して仕留める。基本戦術ではあるが、それは騎士側とて理解している。ゆえに囲まれないように陣形を組むのだが、今回はそれを一撃で崩された。


「つまりだ、ゴブリンどもはこちらが陣形を組むことを理解しており。それを崩すための手段を用意し。完璧なタイミングで実行したというわけだ。……ゲッツ殿、これはもう"子供程度の知性しか持たず、突撃しかしてこないゴブリン"が相手だと思わないほうが良いだろうな。"名将に率いられた軍隊"と認識すべきだ」


 そう言いながらカエサルは地図を広げた。タオベ伯軍の築いた野営地がマークされているが、その位置はT字路の上であった。クレッツェ村と近傍の村の中間地点であり、今ゲッツたちが進んでいる道路との交差点だ。


「頭の回る将であれば、すかさずこの野営地を狙うであろうな。ここを押さえてしまえば、援軍を阻止出来る。……伝令よ、君が出立した時点では野営地は無事だったか?」

「はい。私は運良く包囲網を抜けたあと、野営地で3時間ほど馬を休ませてからこちらに来ましたが、その時点ではゴブリンどもは追ってきておりませんでした」

「ゴブリンども、再編成か補給のために一度引き返したかね。だが襲撃は時間の問題であろうな」


 ゲッツは頷く。


「なら早急に救援部隊を送る必要があるが……既に野営地が包囲されている場合、ゴブリンどもがこの道路上に浸透して、同様の奇襲を仕掛けてくる可能性はねェか?」

「無論、ある。……しかしだからといって、必要以上に慎重に進むのは相手の思うツボだ。奇襲の本領はな、戦闘に勝つことには無いのだ。、と相手の心に重圧をかけることにある」

「なら奇襲を警戒せずに急行軍しろッてか?」

「それは愚策だ。奇襲を警戒して急行軍せよ」

「無茶言うなァ」

「警戒に手間を割くぶん多少速度は落ちるがそれしかあるまい……幸いにして我々には偵察向きの兵科が揃っている――――タオベ伯軍を信用せず、自ら補助兵科を連れて行くことにしたのは正解だったな?」


 カエサルは皮肉げにそう言う。ゲッツが引き連れてきた軍の内訳はこうだ。騎士300、軽騎兵200。歩兵1000(うちブラウブルク市冒険者ギルド50)、弓兵300。


「軽騎兵を広く前方に放ち、冒険者に行軍縦隊の側面を守らせるのが良かろうな」

「……わかった」


 ゲッツは、どこか喜々としているカエサル――――恐らく好敵手が現れたと喜んでいるのだろう――――に一抹の恐怖を覚えつつ、彼の助言に従うことにした。ノルデン軍は改革の最中にあるが、いくら兵隊が強くても指揮官が無能ならば使い物にならないと理解しているからだ。カエサルを師として自身を成長させる。そういう腹積もりであった。


「軽騎兵隊、前方に展開し奇襲を警戒しろ! 冒険者は側面だ!」


 命令を下達すると、即座に軽騎兵と冒険者たちが動き出した。最精鋭を連れてきただけあって動きが良いが――――カエサルは不満そうにしていた。


「ちょっと待てゲッツ殿、軽騎兵の指揮権をよこせ」

「何故だ」

「この世界ではあれを偵察と呼ぶのか?」


 前方に展開し始めた軽騎兵たちは、10騎ごとに固まって各方へ散ってゆく。そして散ってゆく方向もてんでバラバラだ。「点」が無秩序にばら撒かれたようなイメージだ。点と点の間が広すぎて、お互いに視認出来ない場所もある。しかしゲッツは首を傾げる。


「あれが偵察だが?」

「……貴殿ら、騎士の戦闘力に頼りすぎて他の兵科の運用が適当すぎやしないかね。補助兵科が補助すら出来ていないぞ……。いいから指揮権を寄越せ、指導してくる」


 まあ悪いことにはなるまいと踏み、ゲッツはカエサルに軽騎兵の指揮権を渡してみることにした。カエサルは馬を駆って軽騎兵の小集団を指導して回った。


 ……2時間後、軽騎兵による「偵察」は様変わりしていた。


 10騎の軽騎兵が幅の広い楔形に並び、その小集団がお互いを視認できる距離を保って進んでいる。騎兵で薄く広い幕を張るようなかたちだ。


「ゲルマン騎兵ほどでは無いが、まあよかろう」


 指導を終えたカエサルは満足げにしていた。


「ゲルマン騎兵ってなんだ」

「森で暮らす蛮族どもの騎兵だよ。深い森の中を進むとき、あれに似た陣形をとるのだ」

「なるほどなァ」


 騎兵の薄幕は、どの部隊が接敵してもすぐに近傍の部隊から視認できるうえ、連絡と連携も容易だ。深い森の中で、互いを見失わずに偵察する時の知恵である――――これは後々、「騎兵幕」と呼ばれる手法として確立されていくことになった。


 ―――――翌日。軽騎兵がゴブリンの奇襲を察知し、ゲッツは逆奇襲を仕掛けて撃退した。タオベ伯軍の野営地まで、あと2時間の距離であった。

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