第217話「前哨戦」

 冒険者の一員として動員された僕たち【鍋と炎】は、ゴブリンの大軍に占拠されたというクレッツェ村へと向かっていた。


 徒歩で雪道を行くのは中々に難儀なことだ。先行する騎兵隊がある程度雪を踏み固めてくれている……いや、固まった雪が蹄で掘り返されてデコボコになってるな。この上を歩くのは体力を奪われる。冒険者ギルドは荷運び用の馬車(馬そり化してある)があるので、甲冑をそこに預けられるだけマシだが……。


「思ったんですけど、凍っちゃった川の上を橇で滑っていくのはダメなんですかね。馬橇もそっちのほうが速く移動できると思うんですけど」


 冒険者ギルドの馬橇は、ところどころ馬の蹄で深く耕された箇所に橇がはまり込み、それを引っ張り上げるために馬が難儀している。あの状況を見るに、スケートリンク状に凍った川の上を走らせたほうが良いと思うのだが。


「この気温だとどうだろうなぁ、危ないんじゃないかね」


 ヨハンさんがそう答えた。


「危ない?」

「馬橇の重量で川の氷が割れるんだよ。ノルデンでも最北部なら冬場は凍った川の上を馬橇が走ったりするが、ちょっとでも気温が高いと氷が緩んで割れて、大惨事になるんだよ」

「あー……」


 先週に比べると吹雪の回数は減っているし、気温は少し上がっているように感じていた。厳冬期も終わりに近づいているのだろうか。……馬橇に預けた荷物が水温1ケタ台であろう川の中にダイブするのは御免だ。馬には申し訳ないが雪道を頑張って歩いてもらうしかない。


「ちなみにヨハンさんは何故それを知ってるんです?」

でね、馬橇が通るルートの氷に楔を打ち込んでおいて仕留めたことがある。やっこさん、割れた氷の中に勢いよくダイブしていったよ」

「わぁお……」


 そういう殺害方法……というか交通手段の破壊方法もあるんだなぁ。妙な感心を覚えていると、何やら行軍縦隊の前方のほうが騒がしくなってきた。足並みが乱れ、歩速が落ちている。何事かと思っていると、それはさざなみのように僕たちのところまで伝わってきた。「噂」が流れてきたのだ。


「クレッツェ村の付近で行動してたタオベ伯軍がゴブリンに襲われたらしい。指揮してた小コンラート様……リーゼロッテ様のお父上が行方不明になったんだと」



 遡ること2日前。


 タオベ伯コンラート3世は高齢のため出征せず、その嫡男である同名のコンラート――――ややこしいので小コンラートと呼ぶ――――が軍を率い、クレッツェ村とその近郊の村との中間に野営地を建設していた。そこを拠点に出撃し、連日クレッツェ村に襲撃をかけているのである。


 シュプ=ニクラートなる神格の恩寵受けし者ギフテッドとなったゴブリン――――ゴブリンマザーがいるとすれば、クレッツェ村の食料を糧にゴブリンの数はどんどん増えてゆく。小規模でも襲撃をしかけて間引き、ゴブリンの数をにとどめておく必要があった。


 今はまさにその襲撃が終わり、野営地へと引き返す最中だ――――しかしその軍勢は小さく、わずか騎乗兵120人程度でしかない。小コンラートは副官に尋ねる。


「損害は?」

「乗馬歩兵に数名の軽傷者が出た程度です。しかし今日は危なかったですな、どうにも……ゴブリンどもが手慣れてきてる感じがします」

「貴様もそう思うか。私もだ……今回、こちらの突撃終了後にすかさず逆襲を仕掛けてきたからな」


 小コンラートが率いる襲撃部隊の内訳はこうだ。騎士30人と、彼らに養成された補助戦力ランスである軽騎兵30人、乗馬歩兵60人。騎士がゴブリンの群れに突撃し、軽騎兵と乗馬歩兵がその撤退を支援するという作戦を採っていた。


 いかに精強な騎士とてその馬の体力には限界があるので、適当に敵を蹴散らしたら踵を返し、再編成と体力回復を行う必要がある――――その瞬間、足を止めた瞬間こそ騎兵が最も脆くなる。今回はそこを突かれた。幸いにして軽騎兵と乗馬歩兵の働きで、無事に撤退できたが。


「もっと歩兵がいれば、危うげなく戦えるのだがなぁ……」


 小コンラートはそうぼやく。歩兵がいないわけではない。彼のもとには歩兵1000人が集まっていた。集結が遅れているが、じきにもう1500人は届くはずである。しかし副官は遠い目をして言う。


「使える歩兵がいれば、ですね」

「そうだなぁ……歩兵はダメだなぁ……。矢が心許ないが、次は弓兵連れていくか……」


 悪いことに、集められた歩兵は訓練不足で使い物にならなかった。具体的には「静止して隊列を組むのがやっと」というレベルだ。弓兵は狩人を徴用しているためまだ使えるが、矢の備蓄が少ないため襲撃には参加させていなかった。


 小コンラートは皮肉げに言う。


「ただ前進するだけで隊列が瓦解する歩兵隊とか久々に見たよ。矢をケチって置物と化にせざるを得ない弓兵もな。それが我が領の軍隊じゃなければ笑えるんだがね」

「残念ながら我が領の軍隊なんですよね……完全に訓練・準備不足です」


 ノルデンでは通常、領民には年間40日間の訓練を含む軍役が義務付けられている。しかしタオベ伯は「税金を支払えば軍役を半分免除する」という方針をとっていた(軍役免除税)。そして有事となれば、軍役免除税で得たカネで傭兵を雇う、と――――こういった方針は特段珍しくないし、実際今まではこれで上手くいっていたのだ。


 しかし今回は雪のせいで傭兵の到着が遅れているため、訓練不足を承知で民兵を緊急動員せざるを得なかった。結果、使い物にならない歩兵が集まってしまったのである。


「せめて後衛くらいには使いたいんだがなぁ……」


 小コンラートは自軍の行軍縦隊を見やる。先鋒に軽騎兵、中衛に騎士隊、後衛に乗馬歩兵。少人数でゴブリンの大軍を相手にした手前、誰も彼も疲労していた。この状態で敵に襲撃されたらたまったものではない。


 ゴブリンは通常、単純な行動しかしないので警戒すべきは「後方に追いすがってくる」ことだけだ。最後尾を進む乗馬歩兵隊からは定期的に「後方にゴブリンの姿なし」との報告が上がってくるが……小コンラートは、何故か安心できなかった。


 漠然とした不安感。父が作った使えない兵隊、得体の知れぬ神格の恩寵受けし者ギフテッド、戦術らしき行動を取り始めたゴブリン……自分の関与できないところで何かが進み、それが今も続いている気がしてならない。


 いや、兵隊に関しては父を無理やり隠居させてでも改善してやる――――そう思っていた矢先、前方で異変が起きた。行軍縦隊の最先鋒、軽騎兵の横合いに何かが飛び出してきたのだ。直後、悲鳴と怒号、それに剣戟の音が飛んできた。


「何事か!?」

「わかりま……いえ、ゴブリンです! ゴブリンどもが軽騎兵に襲撃を仕掛けています!」

「き、奇襲だと……!? ええい、全軍行軍停止!! そののち下馬し各小隊ごとに円陣を組め!」


 小コンラートは優秀であった。即座に行軍を停止させ、隊列がすし詰め状態になり身動きが取れなくなることを防いだ。小隊ごとに円陣を組ませ、ひとまず「動ける部隊」を少しでも確保しようとしたのも間違いではあるまい――――しかし、間に合わなかった。


 命令を出した直後、最後方に位置する乗馬歩兵隊の方からも戦場音楽が聞こえてきた。ゴブリンの襲撃を受けている。


「これは」


 行軍中の軍隊に対する、最も効果的な攻撃。先頭の足を止めて渋滞を誘発し、次いで最後尾を叩き退路を塞ぐ。貴族であれば誰でも、親や教師から教わっている基本戦術――――ゆえに小コンラートは、次に何が起こるかも予測がついてしまった。


「左側方、敵襲!!」


 副官が叫んだ。小コンラートが直率する騎士隊の左側面に、丸太を持ったホブゴブリンと、破城槌のように複数体で長槍を持ったゴブリンの群れが現れていた。こちらに突撃してくる。


「分断と指揮系統の破壊か。……騎士隊、気張れよ! 我々が防御の要だ、ここを拠点に体勢を立て直す。青い血の力、ゴブリンどもに見せつけてやれ!」

「「「了解ヤヴォール!」」」

「旗手、高く旗を振れ! コンラートここにありと示せ! 各隊をここに集結させよ!」


 年若き旗手が勇壮な笑みを浮かべ、高らかに旗を振り始めた――――直後、騎士隊とゴブリンたちが衝突した。

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