第213話「雪中行」

 朝日が昇り始めるころに馬車の改造が終わったので、僕たちはヴィースシュタイン市を後にした。さんさんと雪が降る中、遠ざかるヴィースシュタイン市の市壁の内側から、パン焼きの煙が幾条も上がっていた。……フリーデさんは、それを何とも言えない表情で眺めていた。


「どうしました?」

「……もっと先のことになるのでしょうけれど。火刑になるのだろうな、と」


 アルトゥルのことを言っているのだろう、と察しがついた。


「今回みたいにほぼ現行犯みたいなものでも、裁判はやるんですか?」

「勿論。裁判を受けるのは市民の権利ですし……同時に見せしめでもあります。多数の市民が見守る広場で罪状、証拠を詳らかにし、刑を言い渡され……執行される。その過程全てが、模倣犯抑止になるのです」

「アルトゥルも証言するんですよね?」

「はい」

「今回のケースだと、逆に市民の同情を買うことになりませんか?」


 確かに罪を犯したとはいえ、結局アルトゥルはナイアーラトテップに唆されただけだ。しかも妻という最も信頼出来るポジションに滑り込まれたうえで、子供が欲しいという願いを利用されたかたちだ。正直、同情を覚える。しかしフリーデさんは首を横に振った。


「裁判の前に、が行われます。自白させるため、そして同情心を買うような証言をさせないために」

「…………」

「気持ちはわかります。非道だとお思いでしょう。……ですが、これから起こることを考えてみてください。経緯こそ同情の余地があるとはいえ、アルトゥルは絶対にやってはいけないこと・模倣犯を出してはいけないことをやったのです」


 シュプ=ニクラートの恩寵受けし者ギフテッドの大量発生。食料の少ない厳冬期に、食料を求めるモンスターが大量発生し、農村を襲う。どれだけの被害が出るかわからない。絶対に二度と同じようなことを起こしてはならない。……だがそう言うフリーデさんも、納得し切れていないように見えた。正直、危うさすら感じる。


「フリーデさん……」

「アルトゥルに関してはもう、我々が干渉出来ることはありません。……今はただ、民を救うことだけを考えましょう」


 そう言って彼女は、自分の両手を見た。ちょうど、命の灯火が消えゆくビーノ少年を抱いていたようなかたちで。


「……少し、眠ります」


 そう言ってフリーデさんはマントのフードで頭を覆い、荷台の壁に背を預けた。


 ……雪の日というのは静かなものだ、と気づいた。橇が雪を擦る音以外は、全て雪が音を吸収してくれているようだ。えずくように身体を震わせるフリーデさんの声すらも、聞こえない。



「やべぇぞ川が凍結してる!」

「火ィおこして雪溶かせ! 馬に水飲ませにゃ俺たちここで立ち往生だ!」


 馬車を停車させた御者たちがあたふたとしていた。昼にかけて日が高くなり気温が上がる……はずが、むしろ雪足が強まり寒気を感じ出したあたりで「やばいかな」とは思っていたが、午後2時頃だろうか。とうとう雪は吹雪となり、休憩に立ち寄った川は凍結していた。気温もぐんぐん下がっているように感じる。これはマズいのでは、と御者に尋ねる。


「次の村までの距離は!?」

「人の足で2時間だ! 雪が無い時でな! 徒歩じゃ日没までにゃ絶対辿り着けねえ!」

「……やばぁい!!」


 僕たちはマントなど防寒具こそ持っているが、それは足以外の話だ。足はただの革のブーツで、既にかなり冷えている。これで2時間以上雪道を歩くのは凍傷が怖い。


 馬に水を飲ませねば大変なことになる――――薪集めを手伝おうと荷台から飛び降りるが、膝下まで脚が雪に埋まって驚いた。当然、薪となる小枝などはこの雪の下に埋まっている。御者たちも雪を払って小枝を探しているが効率が悪い。


 こんなことをしなくとも木から枝を切り落せば……と思い周囲を見渡すと、遠景に木々の影が見えた。だがそれも吹雪で霞んでいる。薪を取りに行ったが最後、馬車を見つけられなくなる可能性があるのだ。


「やばぁい!!」

「……川、どこです?」


 フリーデさんが御者に問い、御者が「ここだ」と指差すと、彼女は荷台から飛び降りた。雪に足を取られたのかふらつき、表情も優れない。しかし御者の指差すところに歩いてゆくにつれ、目に力が宿っていくのが見えた。そして彼女は、凍結した川の上に立つと手袋を外した。


「フリーデさん、何を……?」

「雪を溶かすよりは、こちらの方が早いでしょう。改宗パンチ!!」


 フリーデさんは突如、足元に光輝く拳を叩き込んだ。爆発が起きたかのように粉雪が舞い、彼女の姿を覆い隠す。同時にみし、と何かがひび割れる音がした。風が宙に舞った雪をさらい、拳を天高く振り上げたフリーデさんの姿を明らかにした。


「もう一度。改宗パンチ!!」


 もう一度拳を叩き込むと、今度は破滅的な音が響いた。フリーデさんの足元が崩れだすが、彼女は飛び退って落下を回避した。……彼女が拳を振り下ろした場所にはぽっかりと穴が空き、凍結していない水面が顔を出していた。


 フリーデさんは身体に降りかかった粉雪を雑に払い落とした。風で長髪が揺れる彼女の表情は険しく、しかし決然としたものになっていた。


「……今は生きて、先に進まねばなりません。のためにも。……さて、あとは薪ですね」


 自らが崇める神によって、無辜の民が殺された。そしてこれから、同様に殺されようとしている人が沢山いる。フリーデさんは僕とは比にならないほど複雑な思いを抱えているはずだ。それでも前を向いて、今出来ることをやろうとしている。……僕もあたふたしている場合ではない。


 イリスを見ると、彼女は頷いた。


「昨晩は緊急だったから私が指揮を執ったけど、【探索者】として活動してる間の指揮権はあんたにあるわ」

「うん。……まずかったら補佐よろしく」

「了解」

「ルル、あっちの木から薪を集めて来られる?」

「この程度の吹雪なら大丈夫ですねー」

「よし、じゃあ頼むよ。ヨハンさん、ルルに同行して荷運びと復路の確認をお願いします」

「あいよ。何かあったら声で知らせたいところだが、雪で。だが銃声なら届くだろ、銃一丁くれ」

「わかりました」


 ヨハンさんに銃を預けると、彼らは薪集めに出発した。雪道に慣れているルルが先頭で、彼女が切り開いた雪の轍をヨハンさんが進むかたちだ。彼は周囲の警戒と目印の確認をしながら進んでゆく。


「よし、僕たちは……」


 御者と換え馬の引手たちを見ると、馬車を風よけにしながら簡易野営地の設営を始めていた。


「あれを手伝おう」


 イリスとフリーデさんが頷き、僕たちは野営地の設営に加わった。



 馬車を風上に置いて壁にし、その周囲に雪を積んで堤防を作ってゆくと、円形の簡易野営地が完成した。これで風に吹かれて横殴りに当ってくる雪はある程度防げるというわけだ。


「まさか鍋が役に立つとはね……」

「スコップの代わりに鍋使う人、初めて見たわよ」

「甲冑も役に立つとはね……」

「大事な防具でしょうに、良かったの?」

「命を守るって意味では、間違った使い方じゃないと思うよ。ヴィムには内緒にしておくけどね、うん……」


 鍋が簡易スコップになるのは予測がついていたが、甲冑も使えるのではないか――――と思って試してみたところ、案外うまくいった。


 しかも胴鎧は前面と後面の2枚構成なので、僕の甲冑1領で2人ぶんのスコップになった。腰当てフォールドが可動してしまうので掘る用途には使えないが、雪を押し出して壁を作るには十分な性能を発揮した。降っている雪も日本のものとは違い、湿気のないサラサラとしたものだったので、こういった代用品でも十分に雪かきが出来たのだ。


 やがてルルとヨハンさんも何事もなく薪を集めて戻ってきて、焚き火を開始した。フリーデさんが川に空けた穴から飼い葉桶に水を汲み、それを炎で温めて馬に飲ませてゆく。あまりに冷たい水を飲ませると馬が腹を壊して行動不能になるので、こうする必要があるらしい。馬という乗り物も難儀なものだ。生き物なので仕方ないが。


 全員で焚き火を囲み、手袋やブーツを乾かしながら今後の方針を相談する。


「今日は最寄りの村に泊まるかたちになりますかね?」

「そうなるな。あんたらとしちゃ、昼も夜もなく走って欲しいところだろうが……無理だ。雪で馬の消耗も激しいし、今みたいに休憩用の野営地を築くにしても、夜間はもっと条件が厳しくなるからな」


 僕は頷き、受け入れる。早くブラウブルク市に帰り、モンスターの大量発生が始まっていることを知らせたいのは山々だが、僕たちが死んでしまっては元も子もない。夜間はモンスターの活動も活発になることだし、野外のひとところに留まる時間は作りたくない。しかも今はモンスターが増えている真っ最中なのだ。


 馬の給水が終わると、すぐに最寄りの村に向けて出発した。幸いにして陽が落ちきる前に村に到着し、教会と村長さんの家に宿を取ることが出来た。……シュプ=ニクラートの恩寵受けし者ギフテッドが各地に撒き散らされてから、1日目の夜が始まった。

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