第214話「雪中行 その2」
村で一晩を過ごし、何事もなく夜も明けた……のだが、平和が続いたのはそこまでだった。ゴブリンの死体を担いだ村人が、村長さんの家に泊まる僕たちのところを尋ねて来たのだ。
「薪割りしてた時に遭遇したんだ。持ってた斧でぶっ殺してやったがね」
「……数はどのくらいでした?」
「3匹。この1匹を殺したら他は逃げてったぜ。豚にメシ食わすために森に入ったときに出くわすことはあるが、村の近くまでゴブリンが来るなんて珍しいから驚いたよ」
冒険者を続けて1年、モンスターの存在自体は森が多いノルデンでは珍しくないということはわかっていた。しかし村のような人間の集落、つまり武装した知的生命体の群れに近づいてくるのはそれなりに珍しいことなのではないか、と思うようになっていた。モンスターだって馬鹿ではない、わざわざ目をつけられて狩られるようなことはしない。人間の集落に近づいてくるのには何かしらの理由がある。――――人間に勝てるほど強い個体であるとか、群れが大きくなっただとか。
ゴブリンなら後者だろう。だがそれにしても早すぎないか? シュプ=ニクラートの
「なあ村長さん、この人たちゃ冒険者なんだろ? 代官様は隣村だ、呼ぶのにゃ時間がかかる。この人たちにゴブリン討伐を手伝ってもらうのはどうだい?」
「確かにその方が手っ取り早いな。どうですかな、お客人たち。良ければゴブリン討伐を手伝って行って貰えませんか? ギルドの方へは事後報告になりますが……」
村長さんはそう尋ねるが、僕は答えに窮してしまった。ゲッツ殿下への急報を携えていなければ、この依頼は即決で受けただろう。ゴブリンマザー――――四つん這いの状態ですら全高3メートル以上に達する――――は明らかに村人の手に余る存在だし、「民の代わりに血を流す」という冒険者の理念にも合致する。
しかしここでゴブリン討伐に時間を取られ、急報を届けるのが遅れたら。殿下の対応が遅れたら、被害が拡大するかもしれない――――それこそこの村ひとつが滅ぶよりも多くの人が死ぬかもしれない――――そう考えると、この依頼を受けるべきではない。
目の前の村人を救うか、それとも見えないが確実に存在する、より多くの人々を救うか。そういう決断だ。……悩んでいると、イリスにつつかれて外に出るよう促された。「ちょっと失礼」と断り、2人で村長さんの家を出る。……外は相変わらず寒いが、吹雪は止み晴れていた。それに風で粉雪が吹き飛んでゆき、路面状況は良くなっているように見える。イリスは白い息を吐きながら、僕を見た。
「悩む理由はわかるわ。でも私は、依頼を受けずに先に進むべきだと思う」
「合理的に考えればそうだよね。そっちの方が結果的に助かる人が多いだろうし。でも……」
「ゴブリンマザーみたいなのが居たら、この村の人たちの手に余る。最悪、全滅するかもしれない……それは事実でしょうし、私だってそれを見過ごしたくはない。でもね、冷静に考えてみて。私たちはそれを憂慮して動くべき、と言えるほど情報も戦力も持っていないわ」
「どういうこと?」
「そもそも冬はモンスターが頻出するのよ。シュプ=ニクラートの
「単純な冬の慣例としてやって来ただけな可能性があるのか……」
「そういうこと。捜索して確かめてみないと確定しないけど、もしただの冬の慣例だったとしたら、その捜索すら純粋に時間の無駄よ。それに私たちでゴブリンマザーに勝てるかもわからないしね……もちろん、だからってこの村を見捨てることへの罪悪感が薄れるわけじゃない。だとしても、罪悪感で判断を鈍らせるべきだとは思わないわ」
罪悪感で判断を鈍らせるべきではない。確かにそうだ。冷静になって考えてみよう。
①ゴブリンマザーが存在している可能性自体は高まっている
②しかし冬はゴブリンマザーが居なくとも食料を求めてモンスターが人里に近づいて来る季節である
③そもそも本当にゴブリンマザーが居たら、僕たちだけで敵うかわからない
特に③は重要だ。前回遭遇した時は、5パーティーと団長で取り掛かってやっと勝てたのだ。そして今回は僕たち【鍋と炎】と農兵しか居ないうえ、敵の巣穴もわかっていない。だとすれば、村に篭りつつゴブリンを間引くか、決死の斬首作戦に出るかしかない。
つまり。この村に留まってゴブリン討伐を引き受けるのはリスクが高すぎる。殿下への急報を届けるのが先決。それが合理的な結論だろう。可能ならこの村の近辺にゴブリンマザーが居るのか否か、という情報も持ち帰りたい。その情報があれば、殿下も適切な対応が出来るであろうから。……だがその情報を得ようにも、僕たちには人手も時間もない。
「……悔しいけど、先を急ごう。今持っているもので、出来ることをやっていこう」
「ええ」
村長さんの家に戻り、殿下への急報を携えているためゴブリン討伐は引き受けられない旨を丁重に説明し、納得してもらった。そしてゴブリンマザーのことも話し、防備を整えておくよう伝えた。彼らは代官に救援要請をするとともに、村への籠城を決め込んだ。……これで、もしゴブリンマザーが居たとしても、奇襲攻撃で即座に全滅することは無くなった。そう信じるしかない。
村を出立し、雪で遅れつつも2日後にはブラウブルク市への帰還を果たした。早速城へと向かったのだが、城はいつもと違って騒然としていた。伝令が頻繁に出入りし、騎士などの武官もいつもより多い。謁見の間に行ってみると、部屋の中央に大きなテーブルが置かれ、そこで殿下とカエサルさんが地図と睨めっこしていた。
手短に(探索者としてではなく、銃の販売でヴィースシュタインに行ったというていで)知り得た情報を殿下に話すと、彼は額に手をやった。
「あの彗星はそういうことかよ……」
「彗星?」
「ああ、数日前に北の空から各地に飛び散る彗星が観測されたンだ。天体異常は人心を乱すからな、パトロールを派遣して安撫してたンだが……異様にモンスターの発見報告が多い。各地に冒険者の派遣と民兵隊の編成を命じて自衛に努めるよう勧告してたが、作戦変更だ。ゴブリンマザーみてぇのが各地に居るとしたら、正式に防衛作戦を採らにゃならん」
カエサルさんがうなづく。
「対反乱作戦を流用するのが早いな」
「そ、そんな作戦があったんですね」
「先日策定し直したばかりだがな。演習をしたかったところだが致し方あるまい、実戦で問題点を洗い出すとしよう」
「しかしまさかこんな形で使うことになるとはなァ……。よしクルト、良く伝えてくれた。上手くいけば被害は最小限で済むかもしれん……いや、最小限にしてやる」
「あの、何か出来ることがあれば……」
帰路で立ち寄った村々を見捨てた罪悪感からそう申し出たのだが、殿下は苦笑した。
「当たり前だ、冒険者として徴用するに決まってンだろ。……だが今は旅の疲れを癒せ、万全の状態で戦えるようにな」
「……はい!」
焦っても僕は一人の冒険者でしかないし、【鍋と炎】も1個のパーティーでしかない。出来ることは限られている。だが他の戦力に束ねて貰えば、出来ることは格段に増える。今はただ、束ねてくれる人の指示に従うことにした。
僕が謁見の間を去る背後で、殿下が矢継ぎ早に指示を出し始めた。人間の反撃が、始まったのだ。
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