第211話「地に満ちるもの 終編」

「千匹の黒い仔山羊を産みし者よ。汝の顕現を望み地に潜んだ古き魂に、犠牲の血をそそごう。以て糧とし、汝の仔で地を満たし給え――――」


 月明かりが消えた暗闇の中、ラニーアの詠唱が響く。続いて衣が裂かれ、革で木を撫ぜたような、低く湿った擦過音が連続で聞こえた――――次の瞬間、青白い光柱が一条、立石から天空に向かって立ち昇った。


「な、なんだ!?」


 衛兵分隊が困惑の声をあげる――――彼らの姿も、ラニーアとビーノ少年の姿も、光柱によってつまびらかになっていた。。ラニーアは口から血を流しながら尚、嘲笑を浮かべている。彼女の手を滑り落ちたビーノ少年の身体が力なく地面に倒れ、丘を転がった。


「ビーノ!」


 ビーノ少年に駆け寄り、抱き止める――――胸に深々とナイフが突き立っていた。震えるような、不規則な呼吸をしている。


「どうして……」


 どうして、こんな小さな子が。罪を犯したわけでもないのに蔑まれ、見捨てられ、利用されねばならなかったのか。怒りと悲しみが綯い交ぜになり、僕の手を震わせた。


 フリーデさんが駆け寄ってきたのでビーノ少年を任せ、僕はラニーアに向けて歩き出した。衛兵分隊は逃げ散っていた。立石からは半透明の触手が幾条も生え、それが地面を撫ぜては幽霊を掴み、次々と立石の中に取り込んでいたからだ。ラニーアは槍で串刺しにされたまま、立石に寄りかかって立っていた。


「何故だ」


 歩みながら問う。何故衛兵の攻撃を避けなかったのか。


「命に縋るなんて定命モータルめいた浅ましいこと、したくないし。目的は達成された以上、この身体に執着する意味もない」


 ラニーアは淡々と答えた。半透明の触手が僕の身体をすり抜けるが、何も害はないとわかった。あれは幽霊にしか干渉していない。


「死ぬのは怖くないと?」

「私の魂は無数に割かれ、の中に取り込まれる。個体としての意識は保てないでしょう、それを残念に思うくらいね。私がやったことの結果を観測出来ないのだから」

「……わからないな。ならなんで、結果が見れないことをやるんだ」

「葉の一枚が、このあと幹がどうなるか考えて動くとでも? 私たちの個は機能よ。


 ラニーアの目前までたどり着いた。彼女はどこまでも超然としていた。槍で刺し抜かれ、放っておいても死ぬというのに。苦しそうにはしているが、それはあくまで肉体の機能がそうさせているだけだ、とでも言うように。嘲笑していた。


「ご覧なさい、あれを。ただ糧を喰らい、産む。産む機能を植え付ける。それだけよ、シュプ=ニクラートという神は」


 ラニーアが目で上空を指した。天に伸びた光柱から、様々な方向に彗星のようなものが飛んでいくのが見えた。


「私はその機能を使っただけ。私が苦手とする機能だから。やりたくないことだから。……貴方だってわかるでしょう? 人の手は柔らかいから、硬い武器を使う。それと同じことよ。自分の機能を果たすため、他の機能を借りる」

「……そしてお前は。お前たちは、混沌をもたらす機能を持った神。ただそれだけだ。違うか?」

「正解」


 ラニーアはにっこりと笑った。僕は左手のガントレットを外し、兜のヴァイザーを上げた。


「相容れないな」

「でしょうね」


 そう返事したラニーアの顔面に、左の拳を叩き込んだ。何度も何度も。殴りつけるたび、拳に痛みが走った。手の皮が破けたかもしれない。人の手は柔らかい、事実だ。それが悔しかった。右手でぎゅっと鍋の柄を握った。ラニーアは痙攣するだけで、何も言葉を発しなかった。


「……わかったよ。絶対に相容れないから、僕はお前たちを殺すよ。僕にその力が無いなら、他から借りるよ。お前はそのための、糧だ」


 鍋をラニーアの頭に向けて振り下ろした。頭蓋が割れ砕け、生温かいものが僕の顔に降り掛かった。鍋が光り、ラニーアの魂が吸い取られた。


「畜生……」


 呻きながら、ふらふらと後ろを振り向いた。フリーデさんの腕の中で、ビーノ少年が事切れていた。ナイフは彼の胸に刺さったままだった。


「刃が心臓に、到達していました」


 フリーデさんはそう言って、涙を流した。回復魔法は、自然回復するものしか治せない。破れた心臓は、どうしようもない。そういうことだろう。


「畜生!!」


 膝をつき、地面に拳を叩きつけた。……ラニーアの血に塗れた拳に、白いものが降りかかってきた。雪だ。


「……吹雪くかもしれんね、これは」


 ヨハンさんがそう呟いた。周囲を見渡してみれば、風に吹かれながら雪が降っていた。……それもすぐに見えなくなった。立石から立ち昇っていた光柱が、半透明の触手とともに消えたからだ。幽霊を食らい付くしたのだろう。


 そしてヴィースシュタイン市のほうから、松明の光が近づいてくるのが見えた。異常を察知して増援がやって来たのだろう。何もかも遅かったが。


「説明、しなきゃ。何が起きたのか、これから何が起こるのか」


 イリスが声を震わせながらそう言った。徒労感と無力感で身体が重いが、彼女の言う通りだ。これから、シュプ=ニクラートの恩寵受けし者ギフテッドが各地で発生する。いや、もうしているのだろう。各地に知らせ、対策を打たねばならない。


 ……それでも、大きな被害が出るだろう。だが、少しでも被害を減らせれば。それはナイアーラトテップの機能を阻害することになる。それがせめてもの報復になる……そう信じなければ、やっていられない。


 雪が強まる中、僕たちは増援の到着を待った。



 衛兵隊長はやはり優秀な人だった。事情を話すと、すぐに領主に伝令を飛ばしてくれた。


「だがうちの領主様が気にかけるのは、真っ先に自分の領地のことだ。当然ではあるが……他は後回しになる、それこそゲッツ殿下への通報も1テンポ遅れることになるだろう」

「そちらは、僕たちが引き受けますよ」

「そうしてくれ。さあ、適当な馬車業者を叩き起こしに行ってくれ。通行許可書はこちらで用意しておく」

「ありがとうございます。……でもその前に、彼を父親のもとに返してあげたいのですが」


 僕は、フリーデさんが抱えるビーノ少年の遺骸を指し示した。


「……わかった、アーベルはすぐに釈放する。しかしまあ気の毒なことだ、あの親子も……」


 衛兵隊長がまるで他人事のように言うので、怒りがこみ上げてきた。


「……貴方たちが差別してたんでしょうが。貴方の部下が、彼を見殺しにしたんでしょうが。あれが無ければ、闇に乗じてラニーアだけを仕留められたかもしれないのに……!」

「クルト」


 イリスが僕の肩に手を置き、首を横に振った。……僕だってこんなことを言っても無駄だとわかっている。失われた命は戻ってこないし、すぐに因習が変わるわけでもない。


 衛兵隊長は肩をすくめた。


「人は誰かに犠牲を強いねば生きていけない、弱い生き物だ。……我々だって犠牲を強いられる側だ。市中にあって市に従わぬ罪人に相対し、傷つくことを強いられている。私の部下2人がアルトゥルに傷つけられたのは、君たちも見たのだろう?」

「だからって……!」

「我々に出来るのは、せいぜい犠牲の連鎖の最下端にならないよう努力することだけだ。せめて、程度の位置に留まれるようにな。自助努力とはそういうことだろう? ……さあ、行け」


 衛兵隊長は指揮に戻ってしまったので、言い返すこともできなくなった。……重い足取りで、アーベルさんのもとに向かうしかなかった。



 釈放されたアーベルさんに、ビーノ少年の遺骸を引き渡した。事の顛末を説明すると、彼はビーノ少年の遺骸を震える手で撫でながら言った。


「ビーノに全てを託した俺が悪かったんだろうな。……俺が、もっと努力していれば。墓守なんざに甘んじて、"才ある息子だけは" なんて思ってなければ。もっと早く、こいつを外に送り出してやれば良かったんだ」

「僕たちがちゃんとビーノ少年を守っていれば……」

「カネも払わんで守ってくれと頼めると思うか、? ……もう行ってくれ」


 何も返す言葉が無かった。……無言のまま、僕たちは詰め所を後にした。


 雪が強まる中、馬車を手配した。すぐにでも出発したかったが、「この雪じゃ馬車に橇を履かせにゃならん」と言われ、馬車の改造に時間を食うことになった。


 出立は、夜が明けてからとなった。

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