第209話「地に満ちるもの その8」

 月明かりの消えた暗闇の中、周囲を見渡す。


 僕たち【鍋と炎】、そしてビーノ少年は旧墓地の丘の辺縁部にいる。旧墓地に眠る魂と幽霊を除去しようとしていたその瞬間にアルトゥルの襲撃が起きたからだ。


 そして衛兵隊の5人は旧墓地の丘の外郭を囲むようにして布陣しており――――既に2人が岩石魔法で足をやられて戦闘不能。魔法の有効射程は50m程度。しかし開けた場所において、松明の明かりで照らし出せる距離は3mにも満たない。松明を持っているのは衛兵隊、そして【鍋と炎】ではヨハンさんだが――――


「全員松明を捨てて、旧墓地の中へ!」


 イリスがそう指示を出す。今この瞬間、松明の光はアルトゥルにこちらの位置を知らせるだけで何の役にも立っていない。そして旧墓地の中は(幽霊のものと思われる)魔力の膜が張られており、アルトゥルの岩石魔法も発動出来ないはず。そう踏んでの指示だろう。


 僕たちは衛兵隊への指揮権は持っていないが、残存兵たちは素直に指示に従って旧墓地内に撤退してくれた。彼ら――――衛兵分隊と呼ぼう――――も自分たちが圧倒的不利だと理解しているのだろう。


 僕たちはビーノ少年を墓地中央の立石付近に逃し、そこを中心に円陣を組むようにして布陣した。


 雲の流れは早い、じきに月明かりは戻るだろう。……しかしそれまでの間、周囲は暗闇に包まれたままだ。風の音と、負傷した衛兵――――その場に置き去りにされている――――のうめき声が耳を支配する。それに耐えかねたかのように、衛兵の一人が叫んだ。


「おい、冒険者さんよ! アルトゥルの魔法は3回が限度らしい、石工ギルドからの聴取でわかってる! つまりあと1回ってわけだ。だがこちらには飛び道具が無い、奴の姿が見え次第、全員で突撃するぞ!」

「そちらに弓やクロスボウは?」

「弓使いはさっきやられた2人だよ! クロスボウはこの天候じゃ使えねえ!」


 クロスボウの板バネは寒さに弱く、一定以下の気温では固くなった板バネが割れてしまい使えない。そして今は真冬の夜だ。……天候はどこまでもアルトゥルに味方をしている。いや、彼が不自然なほど巧みに利用しているのだ。


「アルトゥルに軍務経験は?」

「一介の市民兵としちゃあるさ! だがこんな……こんな熟練の指揮官みたいな戦い方、一体どこで覚えたんだ……?」


 衛兵も訝しみ始めた。たった1人・たった魔法2発でこちらが手詰まりに追い込まれている。戦術知識というのは僕たち冒険者のように実地で学ぶか、そうでなければ貴族が騎士教育の中で学ぶかでしか得られないものだ。普通に暮らす一般市民が知っているようなものではない。――――儀式といい、この戦術といい、誰かから教わったと考えるのが自然だ。


「だが関係ねえ! 衛兵に攻撃した以上、市そのものに攻撃したのと同じだ! 悪くて死刑、良くても死ぬ前提の体刑だ! ここで殺しちまっても大差ねえよ!」

「事情聴取したいんです、生け捕りに……」

「うるせえ、構うもんか! いいからお前たちも参加しろ!」


 アルトゥルをそそのかし知識を授けた何者かを特定しなければ、また同じような事件が起きるかもしれないのだが――――いきり立つ衛兵は聞く耳もたない。仲間を傷つけられた怒りもあるが、暗闇と墓地という場所がもたらす恐怖が「やらなきゃ、やられる」という強迫観念を強くしているのだろう。


 そして実際、彼の言い分は正しいように思える。アルトゥルの魔法はあと1回だが、他に武器を持っていないとも限らないのだ。衛兵分隊3人で突撃したとして、魔法で1人やられ、武器でもう1人やられた時点で対等な勝負になってしまう。僕たち【鍋と炎】も突撃に加わったほうが良い。むしろ衛兵分隊に先んじてアルトゥルを捕らえれば、衛兵分隊に彼が殺されてしまうことを防げるかもしれない。


 ……本当にそうか? 何かが引っかかる。思考を誘導されているような気持ち悪さがある。だがナイアーラトテップの化身による洗脳が使われた兆候は無い。


「イリス……」

「……私も何か引っかかる。雲が晴れてしまったら今度はアルトゥルのほうが不利になるのに、何も仕掛けてこない。何か罠があるか、それとももう逃げてしまったか」

「逃げられたならもうどうしようもないけど、罠を警戒したい。何人か残せないかな」

「ふむ……衛兵さんたち! こっちは重武装よ、走り込むのは不得手だわ! 突撃に回せるのは3人!」

「ああ!? ふざけるな! お前たちも市に楯突くってのか!?」

「私たちはヴィースシュタイン市民じゃない、そちらの指揮権に服す義務はない! ……ルル、ヨハンさん、フリーデさん。悪いけど突撃に加わって貰って良い? 私とクルトは予備としてここに残るわ」


 3人は頷いた。重武装だが森の中を駆け回っていた手前健脚なルルと、軽装のヨハンさんとフリーデさんが突撃に加わるかたちだ。


 予備として残ることになった僕はもう一度、状況を俯瞰する。


 衛兵分隊も含め僕たち全員は、旧墓地の丘に陣取っている。中央の立石の傍らに退避させているビーノ少年を中心に、互いの幅を3mほど取った円陣を組むかたちだ。周囲は真っ暗で、遠くに見えるヴィースシュタイン市のものを除けば、明かりは旧墓地の外に打ち捨てた松明だけ。


 アルトゥルは何を狙っている? あくまで儀式を完遂しようとするなら、僕たちが石楔を掘り返したあたりにやってくるのではないか? ――――丁度その場所は僕の正面にある。立石を中心に北を12時の方向とすれば、1時と2時の中間あたりの方向だ。


 負傷した衛兵のうめき声が響く。風の音も強くなり、空を見上げれば雲の切れ目が薄っすらと光り始めていた。もう少しで月が再び顔を出す――――そう思った瞬間。


「2時の方向、足音!!」


 ヨハンさんが叫んだ。数瞬後、僕の耳にも激しく地を蹴る足音が聞こえてきた。何者かがこちらに向かって走り込んで来る!


「やらせるか!」


 やはりあくまでも儀式を完遂するため、石楔を埋め直しに来たか。僕は正面に駆け出し、石楔を掘り返したあたりに陣取って左手に拳銃、右手に鍋を構えた。直後、暗闇を切り裂くようにして人影が見えてきた。姿勢を低くしながら駆けるそれは、右手に何かを握り込んでいた。


 タックルを仕掛けてくるか、それとも僕を無視して強引に地面に石楔を打ち込むか――――いずれにせよ、拳銃は発射までのラグがあり間に合わない。鍋はリーチが短いし、第二撃のために残しておくべきだ。なら第一撃は。


「えい」

「がっ!?」


 膝蹴り。膝をひょいと上げるだけ。それだけで3kgの鋼鉄の脚鎧を纏った脚は12kgを超す重量武器となり、無謀な突進を仕掛けてくる者に突き刺さる――――素人相手なら。そしてその人影は姿勢を低くしていたせいで、もろに顔面に膝蹴りが入った。手に握り込んでいた何かがぽーんと宙を舞い、旧墓地の外に落ちた。


「ん、んん?」


 なんだろう、あまりにもあっけない。先程は高度な戦術を使って来たのに、この突進は素人丸出しだ。熟練者なら膝蹴りを避けるかいなすかした後、組討に来るだろうと身構えていたのだが……人影は顔面を押さえてごろごろと転がるだけだ。戦術判断はまぐれだったのか?


 ともあれアルトゥルの直接的な脅威は排除した。捕縛は他の人に任せ、僕は続く攻撃がないか――――あるいはアルトゥルに知識を吹き込んだ人物がやって来ないかを警戒する。イリス以外の戦闘員が集まってきて(ルルとヨハンさんが衛兵分隊を抑えながら)アルトゥルを捕縛し始めたのを確認し、僕は後ろを振り向いた。立石のあたりに2人の人影が見える。片方はビーノ少年、その後ろに立つもう片方はイリスだろう――――いや、違う。イリスと思しき人影は別にある! 彼女は立石に背を向け周囲を警戒しているのであろう、新たな人影には気づいていない!


「イリス、ビーノ、後ろ!!」


 叫びながら僕は立石に向け駆け出す。同時に、雲が晴れたのか月明かりが差して来た。ゆっくりと光量が増していく中、人影はビーノ少年の首に腕を回し、彼を拘束した。


「まあ知識だけじゃどうにもならないかぁ」


 嘲笑混じりの声を発したその人影の顔が、月明かりに照らし出された。その声も、その顔も知っていた。ラニーアさん。アルトゥルの、妻だ。

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