第206話「地に満ちるもの その5」
アルトゥルと思しき人影は市内に逃げ込み、僕たちはそこで彼を見失ってしまった。そしてそこで、自分たちが犯した致命的なミスに気がついた。
「……くっそ、誰もアルトゥルの顔を知らない」
「すまん、暗殺ならターゲットの顔の確認は基本中の基本なんだが、油断してた。こちらが向こうを確認する前に察知されることはない……と高を括ってたのが間違いだったな……ぬかったぜ」
ヨハンさんが物騒な経験則を持ち出してくるが、これは僕の手落ちだ。調査開始して真っ先に、アルトゥルの顔を確認しておくべきだったのだ。そうすれば相手が市中に紛れても、手分けして探せたのに――――僕の経験不足と浅慮が祟った。しかし今となっては後の祭りだ、次の手を打たねばならない。
「フリーデさん、何がしかの儀式って犯罪にあたります?」
「教会が指定するもの以外は犯罪扱いになります。それが神格を招来するためのものだった場合、破滅的な事態を引き起こす可能性があるので――――そしてこういった石の
「じゃあ、市の衛兵に告発すれば捜索して貰えます?」
「可能でしょう。私もそうすべきと考えます」
僕たちは早速、手近な衛兵に事情を説明し、アルトゥル捜索を依頼した。衛兵長に話が上がり、彼は「異教の儀式が行われようとしている」という言葉を聞いた途端に血相を変え、テキパキと指示を出し始めた。
「参事会に、民兵隊に部分動員をかけるよう要請を。あれは時間がかかる、領主様にも連絡して早急に人手を貸すよう要請を」
「はっ」
衛兵長は有能な人物らしい、ひとまずここは任せて大丈夫そうだ。……となれば僕たちに今出来ることは、準備されていた儀式が何を目的として、どんな神格を奉じて行われていたのか突き止めることだ。それがわかれば、誰がアルトゥルにあの儀式を教えたのかも見えてくるかもしれない。
「とはいえ、今のところ手がかりはこの石の楔だけなんですよね」
もう一度、石の楔を見てみる。ざっとだが水で洗ったそれは、まだ何か黒いものが薄っすらと表面にこびり着いている。地の色はヴィースシュタインの石材のそれなのだが……。
「……フリーデさん」
「はい。私たちは、これに類似するものを見ている気がします」
ラニーアさんがカイロ代わりにと貰ったという石材の端材。あれは煤で真っ黒になっていた。……念のため、石の楔の臭いを嗅いでみた。
「焦げ臭い、ですね……」
「……ラニーアさんを拘束しに行きましょう。グルである可能性が高いです」
僕たちは急いでアパートへと走った。そこには軒先で洗濯物を干しているラニーアさんの姿があった。彼女はこちらを認めて一瞬微笑んだが、こちらの剣呑な雰囲気を見て困惑した表情になった。
「あのう、何か……?」
「ラニーアさん。残念ですが、旦那さんが異教の儀式を準備していたことが確認されました……そしてその儀式に使われていた道具は、煤に塗れた石材で出来た、楔です」
「えっ……」
ラニーアさんは、手に持っていた洗濯物をばさりと取り落とした。煤に塗れた石材。その言葉だけで、自分が疑われていることを察知したのだろう。しかし彼女は逃げる様子もなく、顔を青くして固まったままだ。……なんだろうな、開き直った感じでもないし、心底驚いて……自分が疑われていることにショックを受けているようにしか見えないんだよな。
暴れ出すことを警戒しつつ彼女に近づいてみたが、結局彼女は暴れることもなく、大人しくフリーデさんに拘束された。僕は石の楔をラニーアさんに見せて尋ねる。
「これに見覚えは?」
「いえ、ありません……」
「呪文を刻んだ後、暖炉に放り込むなり煤を塗るなりした石材だと思うのですが。アルトゥルさんがそういった行動をしていたことは?」
「見たことがありません……というより、暖炉の管理は基本的には私の仕事なので、私の目を盗んで暖炉をいじるのは難しいかと……ああいえ、私がお手洗いに行っている時なんかは別ですが……」
そう言って少し恥ずかしそうにする彼女は、嘘を言っているように見えない。暖炉の管理が彼女の仕事だというのも、常識の範疇だ(暖炉は料理にも使うからで、基本的に料理は女性の仕事とされている)。
とはいえ、あの石の楔を準備するなら家の中で製作した可能性が高い。外でやっていたとすれば、誰か目撃者が居るだろうし(娯楽の少ない世界だ、話題に飢えた市民たちの間で噂になり、それこそ牧師にまで伝わるはずだ)、ラニーアさんが嘘をついている可能性は捨てきれない。
――――あるいはナイアーラトテップに洗脳され、「アルトゥルが儀式の道具を作っている現場を見ていない」と信じ込まされているのか。……いや、ナイアーラトテップが異教すなわち自分以外の神格のための儀式を隠蔽する理由がわからないな。
結局、現段階ではわからないことが多すぎる。となれば、心苦しいが疑わしきはとりあえず拘束しておかねばならない。
「ラニーアさん。申し訳ありませんが、一旦あなたの身柄を衛兵隊に引き渡します」
「……わかり、ました。それが捜査に……夫の罪を
そう言って彼女は、促されるでもなく自分から衛兵詰所へと歩き出した。……なんだろうなぁ、本当に何も嘘は言っていないように思えるんだよな。
ともあれ、従順なラニーアさんの様子を見たフリーデさんがこんな提案をしてきた。
「クルトさん。彼女の護送は比較的安全そうですし、私は教会に行って、過去の記録を調べてみたいのですが。宜しいでしょうか?」
「過去の記録、ですか?」
「旧墓地は、ナイアーラトテップ様への信仰が伝わる以前のものだという話でしたね。そんな場所で行おうとした儀式です、過去にこの地で信仰されていた神格を割り出せれば、アルトゥルの意図がわかるかもしれません」
「確かにそうですね……お願いします」
「はい。では、行ってまいります」
こうしてフリーデさんは教会に、残る僕たち4人でラニーアさんを衛兵詰所まで護送することになった。
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