第193話「さぐりもとめる者」

 ルルとヨハンさんに事情を話すと、2人はこのような反応を返した。


「あたしはまあ、お給料が出るなら何でも良いですよ。討伐してご飯が食べられるなら、神様もモンスターもそんな変わりはないじゃないですか?」

「俺は正直、神は怖いが……というかルルはもう少し畏れろよ……今回、なし崩し的とはいえ敵対しちまった訳だしな。一度も二度もそう変わらんだろ、協力するのは構わんよ。仲間だしな」

「ありがとうございます!」

「ただし、給料が出るならって所はルルと同じだ。神と敵対しようが、生活していかにゃならんのは同じだからな」

「そうですね……そこは教会にかけあってみます。……ところで、イリスはどう思う?」


 イリスはやや渋い顔をしていたが、諦めたように首肯した。


「冒険者になった時点で、平穏な生活は捨てたものだと思ってた。望んでそうしたんだから後悔は無い……はずだった。でもあんたとの結婚が決まって、少し後悔が生まれてしまった」

「……うん」


 僕も当面は冒険者を続ける必要はあるが、そのうち大学に通って商人に転職し、冒険者というヤクザ家業から抜けようと思っていたのだ。しかし神と敵対するとなれば、その路線は修正を迫られるかもしれない。もしかしたら一生、平穏な生活とは無縁になってしまうかもしれない。


「ただね、何で私が冒険者になろうとしたかを考えると……つまり魔法の研究をしたいからだ、って考えると。そんなに悪い選択じゃない気がするのよね。冒険者やってれば、新しい魔法の手がかりが見つかるかもしれないってのはわかってるし。あんた、神を狩ってその魂をタネに新しい力を授かろうとしてるんでしょ? それも私の魔法に活かせるかもしれない。そう考えれば、私の目的とは合致してるのよ」

「……代わりに、平穏な生活は遠のく。僕も正直、君と結婚して街でのんびり暮らしたいっていうのが本音だよ」

「可能なら、ね。……いや、可能にしましょう。悪性の個体を狩り切って、あんたに敵対するのが……あるいは駒として使うのはハイリスクな行為だとナイアーラトテップに理解させれば良い。そうするしかない。でしょ?」

「そう……だね。そうだ。その心意気で頑張るよ」


 ――――チャウグナル・ファウグンが、ナイアーラトテップとの縁を断ち切るにはどうすれば良いか、こう示唆していたじゃないか。『身も心も鍛え上げるが良い、さすれば自然と切る機会も訪れよう』と。今考えると、これはイリスの言った事を指している気がする。


 ようは、敵対したり駒として使うのがハイリスクなほどに強くなれ。ナイアーラトテップに狂わせられない強い心を持て、と。そしてその状態の僕こそが、奴が求めていた「戦士」像なのではないか。


 まあ、そうなったとしてもチャウグナル・ファウグンに鞍替えする気はさらさら無いが。とにかく僕は平穏に暮らしたいだけなのだ。


 心は決まった。僕たちは教会から沙汰があるまでクエストや訓練に励んで日々を過ごした。そして2週間後、ついに教会から呼び出しがかかった。僕とフリーデさんだけで来いという指定で夜に北区の教会に呼ばれ、がらんとした礼拝堂に通された。フリーデさんは道中の護衛だけで、礼拝堂には入ってこなかった。


 この教会は立地の関係で上流階級が利用する場所で、内装も豪華だ。説教台の背後の壁はステンドグラスがはめ込まれており、それは月明かりに照らされ室内に薄っすらと様々な光彩を投げかけていた。


 その説教台の前には、2人の男性が立っている。一人はレイモンド教授。もう一人は初老の男性だが、彼が新しい長老だろうか? 彼の自己紹介があるものだと思ったが、先に口を開いたのは教授だった。


「長老の話の前に、このメモについて話そう。内容からしてそうするべきだと長老、そして私は思ったのだ」


 教授は僕が渡したメモを手に持ちながらそう言った。事件ですっかり後回しになっていたのだが、諸々が落ち着いたので教授に読解を頼んでいたのだ。


「そうなんですか……? わかりました、お願いします」

「うむ。では……端的に言ってしまえば、書かれていたのはだ」

「えっ!?」

「まあ、外法の類だな。"銀の鍵" なる道具を作る方法が書かれていた。文献を当たってみたが、どうやら銀の鍵とは異世界に飛ぶための扉を開けるものらしい。それらの文献にもその名が出てくるだけで、作り方までは書かれていなかった。そういう意味でこれは歴史的な文書であり……人の手に渡らぬよう、封印するべき代物でもある」

「だとすれば何故、僕にそれを教えてくれるんですか? 僕はピクト語が読めないんです、全く違う内容を教えられても気づけないのに」

「君の人生に関わる事だからだよ。……先に言ってしまえば、教会は君が化身を討伐することを認め、支援する方針だ。しかしこれは、君にとって非常に危険な事業となる。……君には、がある。この世界を飛び出し、ナイアーラトテップ様の目から逃れるという選択肢がある。私たちはその選択肢を、権利を奪いたくない」


 なるほど、教授と長老は僕に逃げるという選択肢を与えてくれたのか。2人の良心が伺える。教授はもう1枚、紙を取り出した。


「君がもし異世界転生するというのなら、メモを翻訳したものを渡そう。しない場合……つまり化身を討伐する場合は、申し訳ないがこれらは教会で封印させて貰う。万一広められたら困るからね」

「なるほど」

「さあ、選んでくれ。このメモを取るか……」


 長老と思しき男性が、手を差し伸べた。


「我々の手を取るかだ」

「……先に、教会から得られる支援の内容を教えて頂きたいんですけど?」

「申し訳ないが、それは出来ない。……わかって欲しい、教会が神殺しを支援するなど醜聞どころの話ではない。ましてその気が無いかもしれない人間に、具体的な支援内容など教えられるはずもない」

「……なるほど」

「フェアな決断の迫り方ではない事は心苦しく思うし、何も今すぐ決断する必要はない。帰ってゆっくり考えてから決断しても構わない」


 この選択は、全てを捨ててこの世界を去るか。それとも教会と深く絡み、その支援を得ながら生きていくか。そういう選択だ。


 だが僕の腹は決まっていた。メモの内容を知った今でもそうだ。教授の持つ紙を一瞥し、長老の前に立った。


「教授には言ってなかったですけど。他のメモには、この身体のもとの持ち主が異世界転生を繰り返して……どの世界でもナイアーラトテップの監視を逃れられなかった、そう示すものもあったんですよ」

「……先に言い給えよ」

「すみません。でももとの世界に戻れるかも、って希望は確かにわいてきましたけど……戻っても僕はもう死んでる事になってるし、何よりこっちで嫁貰う事になっちゃったので」

「イリスくんと共に転生するという手もあるだろう」

「それは、イリスに家族と別れろと迫るのと同じです。……まあ、呑んでくれる気はするんですけど。でも僕は、彼女にあんな思いはさせたくないので」


 転生直後は日々を生きるのに精一杯で考える暇もあまりなかったが、両親と二度と会えないという事実は辛いものがある。それをイリスに強いる事は出来ない。


「僕はこの世界でイリスと一緒に生きていく。そう決めて、彼女も仲間たちも納得してくれたんです。だから選ぶのは、こちらです」


 僕は長老の手を取った。教授は一瞬目を瞑り、それから笑って頷いた。長老もまた微笑し、僕の手を握り返した。


「英断に称賛を、クルトくん。……自己紹介しよう、私は"守り手の" フィリップだ。ノルデン教会全体の長老を務めている。つい最近選出されたばかりだがね」

「よろしくお願いします、フィリップさん」

「よろしく。さて、これで話せるようになったが……具体的に、教会が君に与える支援について教えよう。まず先に言っておくと、これらの決定の殆どは私の独断である。長老会が知っているのは、"君が教会傘下の特殊組織の一員である" という事だけだ」

「えっ」

「私の前任者がそうであったように、耄碌して漏らす輩が出ないとも限らないからだよ! "長老" はその名の通り年配者が選ばれる傾向にあるからね、仕方ないだろう?」


 まあ、前の長老は耄碌して僕が異世界転生者の恩寵受けし者ギフテッドだって事を牧師連中に言いふらしたようだし、仕方ないか。


「それに化身に洗脳能力があるとわかった以上、やはり秘密を知っている人間は少ない方が良いしな」

「それはまあ、確かに」

「故に直接的な支援は全て私を通して、という事になる。しかし資金、利便、情報については満足のいくものが与えられると思う」

「具体的には?」

「月に金貨1枚の給与と必要に応じた経費、各地の教会宿の利用とその主任牧師の……"長老の命令なので" で通る範囲での協力、そして化身の情報だ」


 給与と経費はおいしい。【鍋と炎】の面子に支払う謝礼もそこから出せる。各地の牧師の協力も役に立つだろう。しかし化身の情報とはどういう事だろう。教会はそんな所まで把握しているのだろうか?


「化身の情報というのは?」

「正直、暗中模索ではある。洗脳を駆使して陰謀を仕掛けられた場合、どれが純粋に人間が起こした出来事なのか、それとも化身が介入したものなのかわからないからだ」

「ですよね」

「だがパウルがそうだったように、化身に操られた人間は冷静になると"悪魔に唆された" と感じるようだ。良心のある者は自首、ないし良心の呵責によって精神に異常をきたすのではないか……とあたりをつけている」

「ふむ」

「なので現在、各地の教会や修道院を通して自首で終結した事件や、精神病患者の情報を集め、精査している。その中から怪しいものが見つかれば、君に調査に向かってもらう事になると思う」

「基本的には後手に回る事になりますね、これ」

「うむ……進行中の事件は優先的に精査し、陰謀が疑われるものはピックアップするようにするが。それでも情報伝達には時間がかかる、後手に回る事は否めないが、こればかりは致し方ない」

「ふむ……ところで事件はわかりますけど、精神病患者の情報って集まるんですか?」

「もちろん。何せ精神異常と見做された者は教会か修道院に放り込まれるか、それらが支援するものだからな」


 知らなかった。教会が病院のような機能を持っているのは知っていたが、それは内科・外科の範囲だけだと思っていた。精神病院の機能まで持っているとは。


「後は教会で封印している文書から地下組織や陰謀を割り出すしかないが、これは精査にあたる人員が限られているので時間がかかる。まあ、当面はそういった運用になる、すぐに君に指示が飛ぶ事は無いはずだ。それまで君は訓練なり仕事なりをこなしながら、日常生活を送ってもらって構わない」

「わかりました」

「……さて最後に。さっき私は、君を教会傘下の特殊組織の一員であるという事にする、と言ったね」

「はい」

「その組織名を考えたのだが……【討伐者】だとかあまりに直接的な名前だと、その活動内容にあたりをつける人間が出かねない。かといって聖典由来の名前……【這い寄る霧】のようなものは、君は望まないだろう?」

「あ、それ聖典由来だったんですね。ろくでもなさそうなのでどんな物かは知りたくないですけど……確かにそうですね、申し訳ないですけど僕はナイアーラトテップ信者というわけではないので、聖典由来なのはちょっと」

「うむ。それに神殺しをやろうというのだ、聖典由来の名を付けるのは憚られる。となると一般単語から、まあせいぜい"諜報組織なのかな" と思われる程度のものが適切だと考えた」

「はい」

「そこで、神の化身を探す者という意味で【探索者】としようと思うのだが。如何かね?」


 真意は隠れていて、それでいて仕事の内容は端的に表している。ナイアーラトテップの化身を探り、陰謀の奥をもとめる者。探索者。悪くないように思える。


「異存ありません」

「よろしい。では【探索者】クルトよ、沙汰があるまで待機せよ。くれぐれもこの件は、君が実働部隊として運用する者たち以外には漏らさぬように」

「了解しました」


 こうして会合は終わり、外で待っていたフリーデさんと一緒に家に帰った。既に深夜と言ってよい時間になっており、月明かりの他は城壁の番兵が持つ松明の明かりがちらほらと見えるだけだ。冬という事もあり虫の音もなく、風が吹きすさぶ音がかすかに聞こえるだけ。街は静まり返っている。


 僕の【探索者】としてのキャリアは、こうしてひっそりと、静かに始まった。

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