第194話「結婚式準備 その1」
【探索者】になり、ナイアーラトテップの化身を討伐する任を帯びた――――とはいえ、フィリップさんの言う通りすぐに何か動きがあるでもなく、普通の生活を営む日々が続いていた。
平穏な、とはいかなかったが。何しろ今月は僕とイリスの結婚式なのである。式の準備に右往左往する日々が続いていた。
式場を抑え(これは冒険者ギルド本部になった)、二次会の準備もし(会場キャパシティの関係で、トーマスから接収した屋敷を使う事になった)、食事の手配から何から、全部自分たちでやらねばならないのだ。
「ご迷惑おかけします……」
「良いんじゃよ、むしろ使用人まで手配してもらって、こちらが感謝せねばならん」
僕はイリスのひいお婆さんと話していた。この世界では結婚式の二次会は自宅でやるのが常で、そこで出される料理を作るのは夫婦両家の女性なのだが、僕は孤独の身という事でその任を担うのはイリスのひいお婆さんとお婆さん、それにお母さんだけであった。これでは到底回しきれない、という事が予測出来た。
何せ僕たちの結婚式は来客が多い。冒険者ギルド、銃職人、付き合いのある商人、それに宮廷の人たち(身分違いとはいえ、関係性を誇示するために一応招待状を送っておいた)、そしてヴィムを始めとした友人。僕の知り合いだけでこれなのだ。ここにイリスの友人や彼女の実家の知り合いなどが加わり、延べ100人は来るのではないか? 流石にこの人数に振る舞う料理を3人で用意し、配膳するのは無理だ。
というわけで料理は近所の酒屋などに一部外注しつつ、臨時雇いで使用人を雇う事になり、今日はその顔合わせを行う事になっていた。トーマスの屋敷にその人たちを招き、長テーブルを挟んで着席した。1人は60代ほどの初老の男性、もう1人は僕とそんなに年頃が変わらなそうな少女だ。まず最初に男性が自己紹介を始めた。
「ゼバスティアンです。1/4ですがエルフの血を引いております。……大婆様、お久しぶりです」
そう言って彼は頭を下げた。なんでもひいお婆さんとエンリコさんの知り合い、というかサリタリアから一緒に逃げてきたエルフの一族らしい。
「久しいのう! 元気にしておったか? 仕事の方は順調か?」
「お陰様で元気……と言いたいところですが、少々老骨には辛いものがありますな。庭いじりは楽しいものですが、移動が……」
ゼバスティアンさんはもともとはノルデン選定侯家に仕える庭師だったが、アデーレが実権を握っていた期間に「エルフの血は要らぬ」と解雇され、それ以降各地を遍歴しながら貴族や商人の屋敷の庭の手入れをしていたらしい。今は草木が眠る冬という事で仕事もなく、ゆかりのあるブラウブルク市に滞在しているとの事だ。
「もし良ければですけど、殿下に紹介しましょうか? また雇ってもらえるようかけあってみますよ」
「お心遣いありがたく。ですがもう宮廷務めは疲れましたので。貴族の花の趣味はそのう……高尚ですからな、あれの手入れは骨です」
「あー……」
確かに城に植えてある花は薔薇など華美なものが多い。あれは綺麗だが、栽培は相当手間と聞く。
「どちらかといえば、野花などを使った庭の方が好きでしてな。そういう意味では農村の中にある騎士のお屋敷などは最高の仕事場なのですが」
「じゃがそういう所は既に庭師を抱えているか、そもそも常雇い出来ぬほど貧乏じゃろ?」
「はい。ですので遍歴する必要があるのですね」
だが老いてきた身体で旅をするのは辛いのだ、という事だろう。……ひいお婆さんが僕の耳元に口を寄せた。
「もし良ければじゃが、ゼバスティアンを一時雇いではなく常雇いにしてやってはくれんか? ちなみにサリタリアからの逃避行中は隊列の護衛などもしておったからな、老いたとはいえそこらの奴よりは戦えるぞ。留守番に最適じゃろ?」
まあ、悪くはない選択だと思う。トーマスの屋敷は庭を備えているが、普段冒険などに出かける僕たちでは維持管理に手が回らない。収入も増えた事だし、留守番という意味でも使用人を雇っておくのは必要な出費なのではないかと思う。
……それに。プリューシュ語だと「ゼバスティアン」と呼ぶが、ようなこれ「セバスチャン」の音が変わったやつだよね。執事セバスチャン! 人生で一度は老執事セバスチャンに何か命じてみたい!
アホな理由だが、合理的なほうの理由も相まって僕は常雇いにしても良いのではないかと思い始めていたのだが、ゼバスティアンさんが手で制した。
「大婆様、お心遣いはありがたいですが……クルトさん、もちろん私もそうして頂けると嬉しいですが、私は縁故だけでそこまでねだる事はしたくありません。まずは一時雇いして頂いて、私の働きぶりを見てから決めて頂ければと」
「そうですか……わかりました」
正直、縁故の信頼とこの謙虚さ、そしてセバスチャン度から好感度はかなり高いのだが。本人がそう言うなら仕方ない。とりあえず、ゼバスティアンさんの一時雇いは決まった。彼には屋敷の清掃や庭の手入れ(ここにもテーブルを出して焚き木をやり、屋敷に収容しきれない人たちが飲み食い出来るようにするのだ)を担当してもらう事になった。
次に自己紹介を始めたのは、僕と歳の変わらなそうな少女。凛とした顔立ちで、バストは平均的だ。彼女はフリーデさんの知り合いらしい。
「お初お目にかかります、ハンナと申します」
ハンナさんは椅子に腰掛けたまま、深々と頭を下げた――――のだが、僕は少し違和感を感じた。彼女は脚を大きく広げ、拳を膝の上に置いて頭を下げたのだ。なんだろう、任侠映画でこういうお辞儀見た事がある気がするんだよな。
「今回お声をかけて頂いたフリーデの姉御には感謝しかありません。洗濯婦などしておりましたが、冬場は中々辛いものがありますので」
姉御。何か嫌な予感がするな。
「……ちなみにハンナさんとフリーデさんはどういった関係で?」
「それはそれは、私は姉御に大恩のある身でして」
そう言ってハンナさんはびしっと背筋を正して話し始めた。
「話せば長くなりますがご容赦を……私は孤児でして、物心ついた時には既にスラムの路地裏で暮らすガキどものグループで育てられていました。ガキがガキ育てるのに愛なんざありません、ようはアタシに哀れな浮浪児を装って――――実際そうなのですが――――道行く人に物をねだらせ、脚を止めた人の財布を年長者がスッて逃げるッつー犯罪の片棒担がされてやした」
ハンナさんの口調は丁寧なものから、段々と粗野なものに変わっていく。そしてその目に涙が浮かんでいく。
「そんなこんなで生き伸びてタッパも伸びると、いつしかは自分がスる役を担うようになりましてね、こうなると言い逃れは出来やせん、アタシも立派な悪党の一員ですわ。……主はきっと見ておられたのでしょうね、ある日アタシはヘマをやらかし、財布をスッた相手に捕まっちまいました。そりゃあもう、文字通り死ぬほど私刑を受けやしてね、ボロクズみたいになって路地に打ち捨てられ……ククーッ」
ハンナさんは目に手を当て、とうとう涙を流した。
「そんな私を見つけて抱き上げ、教会に運び込んでくだすったのがそこのフリーデの姉御です!」
「善行ついでの筋トレです。14歳の身には中々良い重さでした」
「教会に運び込まれたアタシは姉御の献身的な治療により回復!」
「回復魔法の良い練習台でした」
「教会にも孤児救済にあてられる予算は限られてやす、傷の癒えたアタシは否応なしにほっぽり出されましたが、その後も姉御はアタシを訪ねてはパンをわけてくだすっただけでなく、私刑のダメージを減らせるよう受け身の取り方まで教えて下すって!」
「良いサンドバッグでした」
「アタシは身体を鍛える中で道徳も叩き込まれ、このまま悪党として生きていくのはイカンと、太陽の元を歩いても恥ずかしくない方法で日銭を稼ぐため洗濯婦になりやした! 今こうして堅気でいられるのは、姉御の恩あってこそでさァ!」
……なるほどね。大した人情話なのだが、フリーデさんのコメントが邪魔でいまいち感動出来なかった。
フリーデさんは僕の耳元に口を寄せて来た。
「このように興奮すると粗忽な部分が出ますが、根っこは善良な娘です。教会の炊き出しなども手伝っておりましたので最低限の料理はこなせますし、ある程度は戦えます。ややおこがましい提案ですが、彼女を一時雇いではなく常雇いにしては頂けませんか? 彼女、大学に通って牧師になるのが夢なのです」
まあ資金的には問題ないし、僕とイリスは共働きで料理までやるのはやや骨だし、今後子供が出来たら……と考えると料理が出来る使用人を雇っておくのは悪くない投資だとは思う。
……そして何より! 女性使用人という事は、それはもうメイドさんという事である! メイドさん!! ちょっと粗野だけど、夢のメイドさん!!
僕は殆ど雇う気まんまんだったのだが、ハンナさんが手で制した。
「よしてくだせぇ姉御、大恩ある上に常雇いの就職先まで手配して頂いたら、アタシはどう恩を返したら良いかわからなくなります! ……雇うならクルトさん、アタシの働きぶりを見て頂いて、それから決めてくだせぇ! 姉御の縁故関係なしに、アタシという個人の能力を買って頂けるならスジが通せやす!」
……またこのパターンか! まあ、決断を先延ばしに出来るのは損な事ではない。ハンナさんもとりあえず一時雇用で様子を見るという事に決まった。
「あざす!!」
ハンナさんは深々と頭を下げたが、フリーデさんがハンナさんを窘めた。
「ハンナ。クルトさんは殿下とも縁深い方です、式には貴族の方々もいらすかもしれません。それまでにその口調は直しておきなさい」
「ウス!」
直ってねえ。そう思うが早いか、フリーデさんの鉄拳制裁が飛んだ。
「グワーッ!」
「ハンナ」
「……畏まりました、お姉様。そして旦那様、ひとまず短い期間ではありますが、宜しくお願い致します」
「アッハイ、宜しくお願いします」
……想像してたメイドさんとはちょっと、いやかなり違う気がするんだよなぁ。
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