第192話「折り合い その2」

 レイモンド教授とフリーデさんに事情を話すと、二人は頷きつつも一緒に悩む姿勢を見せてくれた。二人もまた、化身と対峙した事で信仰の在り方が揺らいでしまったからだろう。珍しく服を着ている教授はこう言った。


「教会を頼るというのは実に賢明な判断だと思う。ようは約1500年に渡ってナイアーラトテップ様と付き合ってきた訳だからね。だが知っての通り、今回の一件は私たちのような教会の人間であってもショックを受ける事件だった」

「はい」

「そもナイアーラトテップ様は混沌の神であらせられる。……正直に、正直に言ってしまえば、救世主として崇めるにはあまりにも不安定で、気まぐれで、時に邪悪な存在だ」


 フリーデさんは苦虫を噛み潰したような顔をしたが、殴りかかるような真似はしなかった。今回の事件で、それを肯定せざるを得ないようなものを目にしたからだろう。


「ではこの1500年、教会が何をやってきたかと言えば。それはナイアーラトテップ様の悪性を隠す、あるいは善い方向に解釈し直すといった事だ。それを以て布教のタネとし、実際成功してきた」

「……つまり欺瞞を広めていたと?」

「言ってしまえばそうだが、完全な欺瞞ではないのが悩ましい所だ。混沌であるが故に、善性を持ち合わせているのも確かなのだ」


 まあ確かに、悪意が見え隠れしつつも僕に魔法を授けてくれたりしたのも事実だ。善性のようなものは、あるにはあるのだろう。


「善性によって引き起こされたものはそのまま喧伝し、悪性によって引き起こされたものは"試練である" とか"悪魔の仕業である" という事にして喧伝し、信仰を強化するように努めてきた」

「そこが疑問なんですけど。じゃあ、ナイアーラトテップに対して……試練だとか悪魔の仕業だって解釈して、抵抗する事は行われて来たんですよね?」

「うむ」

「だとすれば今、お二人は何故悩んでいるんです?」

からだよ! 知っての通り、ナイアーラトテップ様の化身は常人には認識不能だ。無論、目に見えるタイプの化身もおられるかもしれえない。しかし当人が"私がナイアーラトテップだ" と名乗らない限りは真偽はわからず、"もしかしたらあれはナイアーラトテップ様だったのでは?" と憶測するしかない」

「ちょっと待って下さい、神話だと思ってたんですか!? ナイアーラトテップを招来する呪文もあるんですよね!?」


 この身体が残したメモにはラトゥス語、教会で使われる文字で書かれたものもあった。そこにはナイアーラトテップ招来の呪文が記されていたはずだ。


「私が知る限りその呪文が使われたのは、およそ3000年前が最後だ。聖典に記されている限りではその結果、2つの都市が滅んだ。1つの都市の住民は全員塩の柱となり、もう1つの都市は天から降り注ぐ炎で焼け落ちたという」

「わあ……」

「以降、誰もナイアーラトテップ様を招来しようとは考えなかった。……しかし3000年も前の話だ、神話化するのも頷けるだろう」

「でも僕みたいな恩寵受けし者ギフテッドは歴史上、幾人も存在してたんですよね? それでも神話と捉えていたんですか?」

「もちろん恩寵受けし者ギフテッドは居た。そして世界に変革と混沌をもたらしてきた。だがそれは、でしかないんだ。この目で見て、触れて、実感したものではないんだ。……それが幸せだったのだろうな。恩寵受けし者ギフテッドというクッションを挟む事で、ナイアーラトテップ様の悪性から目を背ける事が出来ていたのだ。教会が作り上げた神話に浸っていられたのだ」


 ……なんとなく、教授のスタンスがわかってきた。僕のような恩寵受けし者ギフテッドは直接、ナイアーラトテップの悪意を受ける。その悪意に疑問を挟む余地はない。しかし他人からしてみれば、「いやナイアーラトテップ様が純粋な悪意で動くわけがない、きっとこれは試練なんだよ。頑張って!」と解釈が出来る――――フリーデさんがそうだったように。


 しかし教授はその目でナイアーラトテップの化身を見て、襲撃され、その悪意に満ちた言葉を聞いてしまった。そこには最早、教会が作り上げてきた「ナイアーラトテップ神話」を挟む余地はなかった。直接、ナイアーラトテップの悪意に晒された。


「だがそれでも、私はナイアーラトテップ様への信仰をやめる気はないがね。化身一人は確かに倒し得る事がわかったが、君が体験したように、複数の化身はどうする事も出来ない――――つまり根本的には排除し得ないし、来世の確約というのは魅力的だからだ」

「はい」

「時にフリーデくん、君はどう考える?」

「……私も同じです。しかしあの化身に吐いたように、あれがナイアーラトテップ様の化身だったとは、あの悪意に満ちた言葉がナイアーラトテップ様のものだったとは……私は、信じたくないのです」


『弱く、惑いがちな私には、貴方が主なのか悪魔なのかすら判別がつかない』――――フリーデさんは化身にそう言った。今もまだ、あれは悪魔だったのだと信じたいのだろう。しかし彼女の目で見たものが、聞いたものが、それを否定してしまう。


 教授は頷くと、僕を見た。


「私個人の考えとしては。ナイアーラトテップ様の中には擁護しえない悪性がある事は、認めざるを得ないと思う。それは試練でもなんでも無く、純粋な悪意だ」

「はい」

「そういう存在とどう付き合っていくかは非常に難しい問題だ。……だがね、クルトくん。私は君に1つの可能性を感じているのだよ」

「可能性?」

「君はナイアーラトテップ様の化身を殺しておきながら、泳がされている」


 広場で会った化身たちは『君を泳がせておいた方が絶対に楽しい事になる、そう確信しているんだ』と言った。そして『……良い取引だったよ。いや違うな、良い取引だと思わせ続けてくれたまえよ、我が恩寵受けし者ギフテッドよ』とも言った。


「良い取引だと思わせ続けてくれたまえ、とはどういう意味か? 君は化身の1人を殺し、その魂を他の化身に引き渡す事で不干渉を勝ち取った。ナイアーラトテップ様の意図は何か? メリットは?」


 化身が他の化身の魂を求めるのは『食べるため。……ご存じの通り、私たちは無数の弱体な個体に分裂している。別にそれを良しとしてる訳じゃあなくてね、隙あらば共食いしてあるべき姿に戻ろうという意思はあるんだよ』と言っていた。


「……もしかして。僕に化身を殺させてその魂を喰らい、1つに戻ろうとしている?」

「その可能性は大きいと思う。恐らく化身個々人は、自分が殺されるとは思っていないのだろう。ただ他の化身が殺される様を見て愉しみ、自らが強化されていくのを良しとしたのではないかな」

「つまり、そのう……僕は化身を殺す事を許可されていると?」

「憶測に過ぎないがね。だが彼らは君をずっと見ているとも言った。混沌の神が、だぞ。座して敬虔に信仰し、平穏な日常を送る……それがナイアーラトテップ様の望む"管理と共生" だとは思えない」

「平穏に過ごしてたら、向こうから何か仕掛けて来そうですもんね……。つまり彼らが望む、そして僕にとってもギリギリ呑める管理と共生の在り方は……」


 それはどう考えても茨の道なのだが。自分から動かなければ、向こうから仕掛けてくる気しかしない。だとすれば、こうするしかないのではないか?


「化身を殺して回る?」

「言ってしまえばそういう事になるのではないかね。ただ無闇やたらに殺すのではなく、あくまでも悪意を持った個体を見つけたら……という事にして欲しいがね、教会の人間としては」


 確かに教会としてはナイアーラトテップの善性を軸に布教しているわけだから、そういう事になるか。


「今までは、悪に見えたものは試練だとか悪魔だと見做し受忍してきた。しかし君は、化身を見る事が出来る。言葉を聞く事が出来る。化身の能力の発動を察知する事が出来る。……そして殺してその魂を捕らえ、取引材料とする事が出来る。……今までとは全く違う、ナイアーラトテップ様と人類の付き合い方だ」

「こんな物騒な付き合い方、聞いたことないですよ……。それに、化身の魂を引き渡せば引き渡すほど、他の化身たちが強化されていきますよね? どこかで破綻するのでは?」

「そこは取引するしか無いのではないかね? 引き渡す代わりにさらなる力をくれ、と」

「……なるほど」


 化身を殺す。魂を引き渡す。代わりに力を得る。その繰り返しでナイアーラトテップの強化を手伝い、歓心を買い続ける――――平穏とは程遠く危険極まりないし、ナイアーラトテップが強化されていくという最大のリスクもある。友好と敵対の狭間に成り立つ、混沌とした共生関係。


 正直やりたくないし、この解釈が間違っていてナイアーラトテップから致命的な反撃を受ける可能性もある。しかし繰り返しになるが、敬虔な信徒として過ごしているだけでナイアーラトテップが満足するとも思えないのだ。今回は教授が発端となって仕掛けて来たが、人狼事件のように、こちらが何もしなくても仕掛けてくる事があると実証されている――――だとすれば、こちらから動くしかない。


「まあ、すぐに決められる事でもあるまいし、君ひとりで化身を探し出すのは無理があるだろう。この件は教会に持ち込み、支援を得られるようにしてから考えるべきだと思う」

「……教会の人たち、こんな方針受け入れられますかね?」


 そう尋ねると、フリーデさんが頷いた。


「前の長老ならともかく、新しい長老は比較的柔軟な方ですので。話してみる価値はあると思います」

「あっ、代替わりしたんですね」

「はい、前長老は私がシバいて引退させました」

「……そうですかー」


 そういえば前長老は耄碌して、僕が恩寵受けし者ギフテッドだと一般牧師たちにも言いふらしたからフリーデさんがキレてシバいたんだった。


「ところでフリーデさんは、こういう方針で良いんですか?」

「……まあ、思う所はありますが。他に方法を思いつかないのも事実ですし、何より……悪性の個体を潰していけば、善性の個体が残っていく。世界はより良くなる。少なくとも、そう信じる事が出来ます」

「確かに望みをかけるとしたら、そこしかありませんね」


 ナイアーラトテップ本体はどうする事も出来ないが、末端の化身、それも悪意ある個体を叩いていけば。いずれ、平穏な日常が送れる日もやって来るかもしれない。そう信じるしかない。


 会合は終わり、それぞれが動き出した。教授とフリーデさんは教会へ、僕はイリスやルル、ヨハンさんと話すために。

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