第173話「信仰 その2」

 フリーデさんに事情を話したところ、最初に返ってきた言葉はこれだった。


「なるほど、そのメモは燃やしましょう」

「勘弁してください、この身体のルーツを探る手がかりなので……」


 彼女は無表情だが相当頭にきているのが見て取れた。このメモには彼女が崇めるナイアーラトテップをクソッタレだの何だと言った上に、あろうことか挑もうとした経緯が書かれているのだから致し方ないが……正直、神という存在にそこまで傾倒出来るのが不思議でならない。


 ……いや、「推しへのアンチコメントと犯行予告が記された文章」と考えると、現代日本人の僕にもなんとなくは理解出来るのか? ともあれ、ひとしきりフリーデさんを宥めた後に本題に入った。


「この、"この世界はアツァトホートの夢だ" だとか"魂は情報だ" って部分の真偽がわからないんですけど、本当なんですか?」

「前者は聖典に書かれている通りですね。眠れる大神アツァトホート様の夢、それがこの世界である。我々はそう信仰しますし、他種族……エルフやドワーフの精霊信仰でも、大本を辿るとそこに行き着きます」

「夢というと、いつかは覚めちゃいそうな気がするんですけど。その時はどうなるんです?」

「アツァトホート様の目覚めはこの世界の終焉であると考えられています。しかし我々が起きても夢の内容を覚えている事があるように、そして再び眠りについた時に夢の続きを見る事があるように、この世界をアツァトホート様の記憶に残るような夢にする――――それがナイアーラトテップ様の役目です」

「そんな力があるんですね、ナイアーラトテップには……」

「……まあ正確には、神格と呼ばれるような存在は皆似たような事が出来ます。つまりは信者の魂を吸い上げ、その力を以てアツァトホート様の記憶に自らの存在を刻み込む、そういった事が」


 僕の鍋も魂を吸い上げる事が出来るが、そんな大それた使い方は出来ない。幽体の剃刀だとか、魂の可視化だとかその程度だ。そういう意味で、やはり神格というのは人間とは隔絶した力を持っているのだとわかる。


「……ちょっと待って下さい。それって結局、僕たちが神を信仰する意味が無いのでは? アツァトホートの記憶に刻み込まれるのは神格だけで、僕たち……普通の生き物は何の恩恵も無いですよね。僕みたいな恩寵受けし者ギフテッドは現世利益ありますけど……」

「いえ。そのメモに記されている"魂は情報だ" という部分が鍵です。魂とはその生物の人生やを記した物だと考えられています。それを取り込んだ神がアツァトホート様の記憶に刻まれ、再びアツァトホート様が眠り、夢を見た時。神は新たな世界で、自らの中に取り込んだ魂の情報から我々を復元して下さる――――そういう契約になっています。……まあ、これはややこしいので神学の範疇です。普段の礼拝では"神を信仰すれば、次の世界で復活出来る" 程度にしか教えません」


 ややこしいが、魂が肉体の情報を含んでいるというのはわかる。カエサルさんやウドのようなリッチーは魂から肉体を復元する力を持っている、故に不死なのだ。なるほど神に魂を委ねておけば、次の世界で復活させて貰えるというのは現実味がある。


「だとすると、このメモの"故に神々は魂=情報を集め、自らの存在を確立しようとしているのではないか。まるで自叙伝を書くためのインクを集めるかのように" って部分は本当なんですね」

「はい。……恐らくクルトさんの身体の前の持ち主は、神学の知識は無かったのでしょう。しかしどうやってか、その結論に辿り着いた。一体どのような人生を歩んできたのか気になる所ですね」

「そこは僕も気になりますけど、このメモには記されてないんですよね……最後の1枚、ピクト語のメモに期待するしかありませんね」


 ピクト語を習得しようと思ったら、あの変態教授に頼る他無さそうなのが頭痛の種だが。


「ともあれ。だとすれば最後の一文、"魂さえ操作出来れば、インクをぶちまけて自叙伝を台無しにする事も可能なはずだ" という部分も、真実ですかね」

「恐らくは。……というかクルトさんも似たような事してるじゃないですか」

「えっ?」

「幽体の剃刀。魂を消費して、物理世界――――アツァトホート様の夢たるこの世界――――に干渉してるでしょう」

「……あれってそういう意味か!?」

「私はそう解釈します。無論、我々も拳で殴れば岩を砕けますし」

「普通砕けませんが」

「魔法を使えば通常ありえない動きも出来ます。つまりは誰でも物理世界、アツァトホート様の夢に干渉可能なのは同じですが、パワーソースが魂であるという点で、やはり幽体の剃刀は一線を画しています。正しく神に近しい力でしょう」


 そう言われるとありがたみが増す気がするが、あれはめちゃくちゃ燃費悪いんだよね。魂10個消費して、剣の一撃と同じ威力だもん。不可視かつ遠距離攻撃という強みはあるが……。


「まあとにかくです。そのメモから最も読み取るべき事は、"神に挑んだ者の末路" だと私は思いますよ」

「……はい」

「確かにナイアーラトテップ様は混沌の神であらせられます、人に敵対的に見える時もありましょう。しかし、だからといって此方から敵対して良い存在ではありません。試練だと思って耐え忍び、信仰して魂を召し上げて頂き――――約束された来世を謳歌する。それが人に取りうる最善の行動であると、私は信じます」

「…………」

「まあ、感情的に受け入れがたいというのはわかります。には時間が必要でしょう。……近々、我々の信仰において重要な祭典があります。まずはそれを楽しんでみては如何でしょうか。ナイアーラトテップ様の良い側面も見えてくるでしょうし」


 そういえば、今日は12月23日だ。12月25日には僕の世界のクリスマスに相当する祭典があるのだ。そして明日はその前夜祭が始まる。


 ……ナイアーラトテップに敵対する気が失せてきたとはいえ、信仰する気になったかというと話は別だ。しかし思いつめても仕方あるまい、フリーデさんの言う通り、一先ず祭典を楽しんでみるとしよう。


「……そうします。そういえばイリスと何も打ち合わせしてなかったな……よし、ちょっと行ってきます」

「はい。……まあ、打ち合わせしなくても"一緒に過ごすものだ" と認識している気がしますけどね」


 それもそうか。イリスなら、他の人や家族と過ごすつもりなら事前に言うだろうし。何も言わなかったのは、僕と一緒に過ごすのが当たり前と思ってくれているからか?


 嬉しいような、気恥ずかしいような気持ちでニヤけそうになるのを抑えつつ、僕はイリスの所に向かった。

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