第172話「信仰 その1」
エンリコさんたちに殿下のフィードバックを伝えた後、【鍋と炎】で揃って冒険者ギルドへ顔を出した。帰還の報告と、お土産を届けるためだ。
お土産だが、皆お酒が大好きなのは知っているのでワインを買ってきた。正直これが一番重いわ関税はガンガンかかるわで運ぶのが大変だったのだが(何せ量が多い)、案の定皆喜んでくれたので良しとしよう。
皆が昼間から宴会を始める中、僕はヴィルヘルムさんに呼ばれ、個室で彼と2人きりで話す事になった。一体何だろう?
「まずはおかえり、土産まで貰っちまって悪いね」
「いえいえ、普段お世話になってますので……」
「実はこちらも東方遠征の土産があってね、ここにお前さんを呼んだのはそれが理由さ。まあ正確には土産話だが」
個室に呼んで話す必要がある土産話……? 今一ピンと来ないが、ヴィルヘルムさんは女たらしの遊び人で有名だ。パッと思いつくのは「向こうには良い娼館があってな……」みたいな話だが。
「おにくはいいです」
「いや肉は持ち帰ってないが。話って言ってるだろ」
「すみません、逸りました」
「まあいい、早速話そう――――」
ヴィルヘルムさんが語った内容は、チャウグナル・ファウグンが彼に無理やり語って聞かせたという話だった。曰く、ナイアーラトテップは太古の昔に分裂し、力を大きく減じた本体と、それにも劣る無数の分身に別れた。それらの分身は互いに矛盾するような行動を取りうる、と。
「まあ、然程仲の宜しくなさそうな神格の話だ。どこまで信じて良いのかは俺にはわからん、お前さんに任せるよ」
「……いえ、割と信憑性があると思います」
僕に幽体の剃刀や魂の可視化の魔法を教えて助けてくれたと思ったら、人狼をけしかけてきたりと、ナイアーラトテップの矛盾するような行動は既に経験している。今までその理由はわからなかったが、僕を転生させた個体と、人狼をけしかけた個体が別だったとしたら納得が行く。
「
「……そう言いつつ、この話を僕にするのは割とマズいんじゃ? ナイアーラトテップが感知してたら何が起こるかわかりませんよ」
「その点も考えたさ。だがな、俺の身に何か降りかかるとしたら、チャウ……例のアレが接触してきた時点なんじゃないかって思うんだな。だがあれから約3週間、何も起きていない」
「ふむ」
「考えられる可能性は2つ、1つ目は感知されてない・気にも留めない内容だったか。2つ目は、感知したが時間差で何かしてくるか」
「……後者だったらマズくないですか?」
「そう! 俺が恐れているのはそれさ! だからな、俺は策を打つ事にしたんだ」
そう言いながら、ヴィルヘルムさんは満面の笑みで僕の肩に手を置いた。
「知るべきでない情報を得たという点で、これで俺と君は共犯だ。罰せられるなら一緒に罰せられようぜ」
「…………謀ったなァーーッ!?」
「謀ったさぁ! だがな、こういう期待も湧いてくる――――
「代償取られるのは恐らく僕なんですが!?」
「その点は謝るよぉ、娼館でも奢るからさ、な?」
「おにくはけっこうです」
「……大丈夫か?」
「色んな意味で大丈夫じゃないですが……何かあったらどうするんですかこれ……」
「まあ、何も無いとは思うけどねぇ。俺はお前さん以外に広めるつもりもないし、お前さんだって同じだろうよ。それならナイアーラトテップにとっても害にはならんはずだ、これは保険だよ保険」
「保険の押し売りって最悪じゃないですか??」
「はっはっは」
全然笑い事ではないのだが。……まあ聞いてしまったものは取り消せないし、確かに仮にヴィルヘルムさんがナイアーラトテップの手にかかったりしたら後味が悪い。今までお世話になったのは事実だし。それにある意味、ナイアーラトテップが干渉してきても介入する余地が生まれたとも考えられる。
「……とはいえリスクが大きすぎるので、貸しと捉えますからね??」
「まあ、それはそうだな。良いだろう、ブラウブルク市冒険者ギルド団長、"鷹の目" ヴィルヘルムとして誓おう――――今後、"鍋の" クルトに対し最大限の便宜を図ると」
……まあ経緯に問題はあるが、市の有力者、それも武装勢力の長に貸しを作ったと思えば悪くないのかもしれない。この世界、決闘裁判を始めとして法律にまで暴力が絡んでくるのがザラだし、結構大きいのではないか?
それに、人狼事件と今回の話で「僕に敵対的なナイアーラトテップ」が存在する事は確定したし、いずれにせよ対決は避けられなそうだし。その時に助力を請える人が増えたというのは心強い。そう納得する事にした。
◆
帰宅した僕は、この身体が残したメモの解読を始めた。ナイアーラトテップによって魂を入れ替えられたこの身体が残したものだ、何かあの神に関する情報がある気がしたのだ。
とはいえ、暗殺絡みで語学留学の目的も果たせぬうちに帰ってきてしまったのも事実。あまり期待せずサリタリア語のメモの解読にあたったのだが――――割と読めてしまった。
『クソッタレのナイアーラトテップはどの世界を渡り歩いても常に俺を見ている』
――――『このクソッタレのインポ野郎、アタシじゃ勃たないってのかい!! 無理やり勃たせてやるわーッ!』
最悪だ、娼館で覚えた言葉が活きてしまっている。ヨハンさんが「娼婦を抱くのが一番の語学勉強だ」と言っていたのは本当だったのだ。それはそれとして、奴は後日殴る。
解読を続ける。
『この方法では近しい世界にしか飛べないのがその理由かもしれない。魂の容れ物が似通ってる必要がある、と言うべきか』
――――『親方の魂を受け継いだものがこれさ』
火縄銃の買付の時に覚えた言葉だ。やっぱり留学それ自体には意味があったのだなと安心するが――――ここまでの解読結果から、この身体は自在に異世界転生する力を持っていたように思える。しかしナイアーラトテップに目をつけられていた、と。
ますます、この身体は何者だったのかが気になってきた。しかも能動的に異世界転生が可能とは。もしかしたら、僕も元の世界に帰れるのか? そんな希望も湧いてくる。……解読を続ける。
『もう何度門を
―――――『発狂したフリかい!? だが身体は正直なようだねぇ、可愛いじゃないか!! もっと遊んであげるよォーッ!!』
「おごっ」
肥満娼婦にされたおぞましい行為の記憶で吐き戻しそうになる。しかし彼女が使った単語は確実に翻訳に活きているのだ。ヨハンさんをぶん殴るヴィジョンで頭を塗り替えて吐き気をこらえる。
『いや、いっそのこと狂ってしまった方が楽なのかもしれない。……そうだ、そうしよう。ナイアーラトテップの鼻を明かしてやろう。神に挑むなんざ狂気の沙汰だが、どうせ狂死するのならそちらの方が気分が良い』
……メモの内容が急激に危うい方向に走り出した事に、薄ら寒い物を感じる。しかし恐怖と共に好奇心が湧いてきた。食い入るようにして、解読を続けてしまう。
『魂が<情報>だという事はおよそ見当がついている。そしてナイアーラトテップや他の神はこぞって魂を集めている。神話が本当なら、この世界はアツァトホートの夢だ。俺たちが夢の内容を多く覚えていられないように、アツァトホートもそうなのだろう。故に神々は魂=情報を集め、自らの存在を確立しようとしているのではないか。まるで自叙伝を書くためのインクを集めるかのように。
――――だとすれば。魂さえ操作出来れば、インクをぶちまけて自叙伝を台無しにする事も可能なはずだ』
……サリタリア語のメモはこれで終わりだった。魂や神話云々の部分がさっぱりわからないが、この身体が、ナイアーラトテップが致命的に嫌がる事をやろうとしていた、という事だけはわかる。
――――その結果が、僕の異世界転生なのではないか? という推測も立つ。インデアブルック市で火縄銃を作った人は異世界転生者だった可能性が高い。彼の転生の余波で僕も転生したのか、あるいはその逆かはわからなかったが……僕の転生が主だった可能性が高まってきた。つまり、この身体がやらかそうとした事を阻止するために、僕と魂を入れ替えられたという線だ。
だとすれば。このメモが示しているのは、神と敵対するとどうなるか、という実例なのではないか? 人狼事件や、ヴィルヘルムさんにハメられた時は「どうにかなるかも」と漠然とした、無根拠な期待があったが……今感じているのは、どうしようもない恐怖と無力感だ。
「……いや、結論を出すのはまだ早い。魂云々、神話云々の部分は僕にはわからないんだ、推測が間違っている可能性もある。フリーデさんに聞いてみよう……」
恐らく望むような答えは返ってこないだろう。そう思いつつも、僕は確かめざるを得なかった。僕はフリーデさんに話を聞きに行った。
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