第170話「論理と感情」
インデアブルック市から3時間ほどのところにある街で、僕たちは馬車から降りた。この街は北向きに流れている川のほとりに建っており、河川交通の中継地点らしい。帰路はこの川を船で北上する事で、大幅に時間を短縮出来る見込みだ。何せ帆船は馬と違って疲れるという事がない、下りに限っては圧倒的な持続速度と積載量を発揮出来る。
「と、その前に……インデアブルックでお土産買う時間が無かったですし、ここで買っていこうと思うんですけど、どうです?」
「良いと思うぞ、ここは中継地点……インデアブルックからすれば河川流通の出発点だからな、インデアブルックと然程変わらないものが買えるはずだ」
「良かった、じゃあ行ってきます」
早速商店が軒を連ねるあたりに行こうと思ったのだが、ヨハンさんに呼び止められた。
「おっと、だがあまり買いすぎるなよ。現金には余裕を残しておかないと大変な事になるぞ」
「そんなに使い込む予定は無いですけど……どうしてです?」
「船が停泊する街の先々で関税を取られるからだ」
「マジですか……ちなみに額面とか関税がかかる基準は?」
「街によって違う。……まあ停泊地点には関税が安い所を選ぶのが常だ、そんな暴利の所には停泊しないだろうが……現金が無いと物納になってせっかくの土産物を取られる事になる。面白くない思いをしたくなければ程々にしておけ」
「ええ……」
僕たちは"神聖レムニア帝国"内を移動しているはずなのに、それでも関税取られるのか……。まあノルデン然りだが、帝国が半独立国家の集合体に過ぎないというのはこういう事なんだな。
気を取り直して、僕とイリスはお土産を買いに出かけた。……意外にも、彼女は普段どおり接してくれた。いつもと変わらぬ位置――――つまりは手が触れる距離――――に立ち、いつもと同じ様に談笑してくれる。
娼館に行った事をカミングアウトした時は、こちらが失禁しかかるほど怒っていたのに。逆に不気味だ。つい真意を聞きたくなってしまう。
「……ねえ、やぶ蛇かもしれないんだけど」
「じゃあ聞かない方が良いんじゃない?」
……やっぱり怒っていらっしゃるな! どうしたものかと考えていると、イリスは小さく首を振った。
「……事故みたいなもんだって事はわかってるのよ。同情だってするわ。本当ならヨハンさんを燃やしてそれでチャラにすべきなんだとも思う」
「死んじゃうからやめてあげて……」
「それに娼館に通うのが完全に悪かって言うと、それもまた違うっていうのもわかる。中には娼館通いを"うちの旦那は女を買えるだけの稼ぎがある" って事で、黙認する人もいるし」
「そんな価値観もあるんだ」
「……ただ、論理的な正しさと感情は別物よね」
……ああ、なんとなくわかってきた。イリスは、今回の娼館通いが事故だとは理解している。同情すらするとも言っている、本当は笑って許すべきと考えてくれているのではないか? ただ、感情がそれを許さない。だから「いつも通り」なのだ。論理と感情でプラスマイナスゼロ。そうやって均衡を保ってくれている。
そう考えると、とてつもなく申し訳ない気持ちになってきた。僕が豊満に心ときめいてしまったのは事実。その後豊満――――いやあれは肥満だが――――に抱かれたのも事実。挙句の果て、平坦美人で口直ししようとか考えたのも事実。
逆の事をされた時、僕は同じように振る舞えるだろうか? イリスがイケメンにときめいて、抱かれて、挙げ句別の男で口直しして帰ろう、などという事になったら。……無理だ、絶対に無理だ。たとえ事故とわかっていても怒り散らかすだろう。身勝手極まりないが、そういう感情の持ち主なのだ、僕は。だがイリスは僕が怒り狂うような状況でも耐えてくれている。それがとてつもなく、申し訳なく思う。
「イリス」
「何? あっ、ちょっと!」
僕はイリスの手を引いて路地裏に入り込んだ。色々な思考と感情が脳内を渦巻いているが、彼女の空色の瞳を見て、正直な思いを話してみる事にした。
「上手く言えるかわからないけど、間違ってるかもしれないけど、確認させて欲しい。君は、僕にぶちキレたい感情と、許したい論理の板挟みになってる」
「…………」
「そして出した結論が、いつも通りに接する事。プラスマイナスゼロ、
瞬間、イリスのアッパーが僕の鳩尾に炸裂した。
「正解だけど言葉選びが悪い」
「ごべんなざい……」
「……続けて」
「はい……考えたんだ、逆の事をされた時に僕は同じ様に振る舞えるかって。……絶対に無理だなって思った。君がそう振る舞ってくれているのに、僕には出来ない。それは凄く身勝手だし、申し訳なく思う」
そう言うと、イリスは少し驚いたような顔をした。
「……出来ないんだ? 私が他の男に抱かれたら、平静でいられない?」
「無理」
「私が他の男のものになるのが、許せないんだ?」
「うん」
「……こんな身体でも?」
彼女は平坦なバストに手をやるが。
「今回の件で確信したけど、平坦が良い。おにくこわい」
「一体何をされてそうなったのか気になるけど、本心みたいね……ふーん」
イリスはにんまりと、しかし少し恥ずかしそうに笑った。
「それって私にぞっこんって事じゃない」
「実際そうなんだなって、考えてみてわかったよ」
「……この手の嘘がつけるほど、まだ爺ちゃんには訓練されてないでしょうし。信じるわ、そして許す」
「良いの?」
「良くはないし、次があったら骨1つ残さず燃やすけど、今回は許す」
「……ありがとう」
僕はイリスを抱きしめた。彼女も抵抗なく受け入れ、僕の背中に手を回した。彼女の華奢で平坦な身体をしっかりと感じる。肉感的ではないが、愛おしい。ずっと一緒に居たいと思う。これで良いのだ。
「ねえイリス、この先商売が上手くいくかわからない、大金持ちになって君に楽をさせてあげられるかはわからないけど……
「いい事言ってるはずなのにマジで言葉選び最悪ねあんたは」
イリスのショートフックが僕の肝臓に炸裂したが、それは非常に柔らかいものだった。
やがて僕たちは買い物を再開した。肩が触れ合う距離で歩きながら。
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