第167話「すれ違い 終局」

 暗殺者マルコは高級娼館に入った。ノルデン暗殺者ギルド壊滅事件を受けて、仲介人の拠点は用心棒を隠せる場所へと移されていた。娼館であれば、たとえ衛兵が踏み込んできて用心棒が見つかっても「悪い客を追い返せるように、用心棒くらい雇うだろう」と言い張れる。


 マルコは受付の男性とやり取りする。この男性は堅気であり、特定の符牒を言われた時にだけ仲介人の居る部屋へと案内するように言われている。


「気立ての良い娘はいるかい?」

「勿論でございます。柔らかな抱擁をお望みで?」

「いや、肉付きは悪いほうが良いな」

「畏まりました」

「その娘はサリタリア語を話せるか?」

「はい。別料金で通訳の娘もつけられますが、如何しますか?」

「頼む」


 受付の男性はマルコを廊下へと続く扉へと案内した。傍目にはやや特殊な性癖で以て女の好みを伝えたようにしか見えないが、先程の会話が符牒になっている。男性は廊下の奥の「許可なく立ち入る事を禁ずる」と書かれた扉へとマルコを通した。その扉の奥が仲介人の部屋へと続いている。


「……なんだマルコか。何か問題が?」


 そう言いながらマルコを見たのは、暗殺者ギルドの仲介人クラーラだ。でっぷりと太った女で、その目つきはがめつさと狡猾さを伺わせるように鋭い。


 マルコは事の経緯を話した。


「……この無能が! 3度しくじった挙げ句に護衛に顔を見られ、その足でここにやって来たと!?」

「つけられてはいない」

「当たり前だ!」


 クラーラは激昂したかと思うと、スッと熱が冷めたように無表情になった。マルコの頬に冷や汗が伝う。


「……他の暗殺者を手配する。アンタは遠巻きに狙撃を狙いな」

「わかった」


 会話はそれだけであった。クラーラは追い払うようにして手を振った。なるほどカネにがめつい女だ、怒っても一銭にもならぬと判断したか。最悪の場合、護衛に顔を見られた自分は消されるのではないかと思っていたマルコにしてみれば幸いである。彼はそそくさと退出した。



 数時間後。先に娼館を出ていたヨハンはフリーデにこっぴどく叱られていた。無断でフリーデの護衛を引き剥がした事についてだ。――――そのフリーデも、娼館の中に居座り「こんな所に牧師が居たら皆居心地悪いでしょうが!」と娼館の受付に叱られていたのだが。


 ヨハンが叱られている事数分、やがてクルトが出てきた。しかしその様子がおかしい。


「おにくやだ……へいたんがいい……」


 彼は虚ろな目でその言葉を繰り返していた。ヨハンとフリーデは顔を見合わせた。


「めちゃくちゃトラウマになってるじゃないですか!!」

「いやハズレ承知で豊満娘を押し付けたけどさぁ、正直ここまでとは」

「にくが、にくがぼくをたべるんだ……」

「お可哀そうに、もう大丈夫ですからね……」


 そう言ってフリーデはクルトを、その平均的なバストで抱きとめようとするが。


「おにくやだ!!」


 クルトは泣きながら拒絶した。


「……私でもダメとか、めちゃくちゃ重症じゃないですか!!」

「一体どんな目に遭ったのか気になる所だが、なんかスマンな」

「スマンで済みませんよこれは! ……これはもう、イリスさんでしか治療出来ないのでは? 早く帰りましょう」

「待て、この状態で帰ったら娼館に行ったのがモロバレだ。こいつの結婚生活が台無しになる可能性がある」

「ではどうしろと!?」

「娼館のトラウマはな、娼館で癒やすしかあるまいよ」

「つまり、平坦な娘を買えと?」

「そういう事だ」


 フリーデは天を仰ぎ、それからヨハンを睨みつけた。


「3つ、言いたいことがあります」

「聞こう」

「1つめ。牧師として娼館通いは推奨出来ません。2つめ。しかし社会に娼館が必要な事は理解しています、そこで働く娼婦は他に仕事がない娼婦をやっているからです。故に娼館通いは、娼婦たちの生活を思えば最終的には容認します」

「うむ」

「3つめ。1人の女性として言わせて頂きます、最低です」

「……わかってるよ!!」


 ヨハンはクルトを連れ立ち、高級娼館へと移動した。自分が抱いた娼婦も中々の平坦であったが、これは詫びの意味もある、高級娼館を味あわせてやろうという心遣いであった。


 ヨハンは受付の男性と話す。トラウマを抱えたクルトに最適な娼婦をあてがうべく、言葉を選ぶ。


「気立ての良い娘はいるかい?」

「勿論でございます。柔らかな抱擁をお望みで?」


 ヨハンは顔を顰めた。


「いや、肉付きは悪いほうが良いな」

「畏まりました」


 優しくて平坦ならそれで良いだろう、と思ったのだが。ヨハンは、そもそもこの娼館ツアーが語学特訓という名目だった事を思い出した。


「ところで、その娘はサリタリア語を話せるか?」

「はい。別料金で通訳の娘もつけられますが、如何しますか?」

「頼む」


 なるほど自分が通訳として現場に入る事は出来ない、出費としては痛いが、やらかした手前呑むべきだと判断した。ハーレムプレイにもなる。


 受付の男性が廊下へと続く扉を開けた。ヨハンは呆然としているクルトの背を押し、扉の奥へと押しやった。


「良かったなクルト、平坦娘と通訳娘のハーレムプレイだぞ! 王様気分ですっかり傷を癒やしてこい、な!!」

「……ヨハンさん、もう一度言わせて下さい。最低です」


 ヨハンとフリーデに見送られながら、クルトは廊下の奥へと消えていった。



 ひどい目にあった。自分のお母さんと同じくらいの年代の、太った女性に搾り取られたのだ。


((このクソッタレのインポ野郎、アタシじゃ勃たないってのかい!! 無理やり勃たせてやるわーッ!))


「おごっ」


 自分がされた、あのおぞましい行為を思い出して吐き気がこみ上げてきた。なんとかそれを堪えていると、背後で扉が閉まった。


 気づけば、僕は奇妙な廊下にぽつんと立っていた。というのも、長い廊下なのに窓は1つも無く、扉は今閉まった背後のものを除けば、最奥に1つしか無いのだ。娼館というのは普通、個室が幾つもあるものだと思うのだが。


 はて、こういう作りの娼館もあるのかな、と考える。ブラウブルク市の風呂屋併設の娼館と、先程入った娼館の2つしか知らないので判断に迷う。とはいえここで突っ立っていても仕方あるまい、あの忌まわしい記憶を平坦で拭い去って早く帰ろう。


 そう思い直し、最奥の扉に手をかけた。高級娼館とか言ってたから、美人が出てくるのだろうかと期待が首をもたげる。イリスには申し訳ないが、今この状態で帰ったら諸々バレそうだしね。平坦美人を抱いて心の傷を癒やして、何事も無かったように帰ろう。


 期待を胸に扉を開ける。果たして、そこに居たのは。


「…………」

「…………」


 でっぷりと太ったおばさんだった。目つきめっちゃ悪い。彼女は何故か驚いたように目を見開いているが、僕も負けず劣らず驚愕に目を剥いている自信がある。ともあれ、これはキレて良いと思う。僕は叫んだ。


「騙したなヨハンーーーーーーーーッ!!!!」

「裏切ったなマルコォーーーーーーーーッ!!!!」


 娼婦? はそう叫ぶと、手元のベルをガラガラと鳴らした。


「者共であえーッ!! パウルとフェリックスはマルコを追って殺せ、私を売りやがった!!」

「えっ。へっ!? 失礼ですが春を売るのが仕事では!?」

「私が売るのは死だよ!! 単身乗り込んで来た事を後悔しながら死ねーッ!!」


 廊下のほうからバタバタと荒々しい足音が聞こえてきた。全くわけがわからないが、とりあえず僕は鍋を抜いた。



 暗殺者マルコはクルトが宿へ戻る瞬間を狙撃するべく、教会の近くの民家の屋根に陣取っていた。どれくらいの時間が立っただろうか、じっと身を潜めていると突如、首筋に寒いものが走った。


「ッ!」


 反射的に身を翻すと、一瞬後には今しがた自分が居た場所に矢が突き立った。突き立った矢の角度から発射位置を割り出すと、そこには2人の人影が。


「……ははは、やっぱり消しに来たか」


 やはりクラーラは自分を許してはいなかった。あの場で殺さなかったのは、こうして不意打ちで殺すためか。マルコはそう解釈し、しかし壮絶な覚悟を決めた。


「理屈はわかるが、タダで殺されてやるかよ……! こちとらあのクソ女への恨みは募ってるんだ、一矢報いてやる!!」


 仲介人への積年の不信感が、今ここに至って明確な敵意へと変化した。マルコは屋根から飛び降りると、2人の暗殺者と戦闘しながら路地裏へと消えていった。



「全くわけがわからないんですけど!?」

「そりゃこっちのセリフだよ、どうすりゃ用心棒呼ばれる事態になるんだ!?」

「何もシてないですよ!!」


 僕は荒い息をつきながら、ヨハンさんと口論していた。


 突入してきた用心棒たちの攻勢を防いでいると、騒ぎを聞きつけたヨハンさんとフリーデさんが乱入してきて用心棒たちをノックアウトしたのだ。


「って言うか騙しましたねヨハンさん、あれのどこが肉付きが悪いんですか!! ……あれ、居ない」


 あのでっぷり太った娼婦? はいつの間にか姿を消していた。


「お前も聞いてただろ、俺はちゃんと肉付きの悪いのを注文しただろうが! ……まさかお前、予想より豊満なのが出てきたから娼婦に手上げちまったのか……?」

「んな事しないですよ!!」

「本当かねぇ……んん?」


 ヨハンさんは部屋を検分しながら、眉を釣り上げた。


「……ちと、こいつはマズい事態になったかもしれん。とりあえず宿に帰ろう、それから話すぞ」


 そういう彼に連れ立たれ、僕たちは宿へと戻る事になった。



 仲介人クラーラは、でっぷりと太った腹肉を揺らしながら下水道を駆けていた。拠点が露見した以上、ここは逃げの一手だ。市外へと脱出しなければならない。


 なお重要な書類や証拠などは持ち出しており、拠点に残してきたものは、それこそだけだ。拠点を失うのは痛いが、こうした事態は想定していた。ノルデン暗殺者ギルド壊滅事件を経て、仲介人の保全は最重要事項に指定され、その脱出の手はずは用意されていた。


 今はセーフハウスまでたどり着き、そこで体勢を立て直す。裏切り者のマルコは必ず殺し、顔を見たクルトも始末する。クラーラはその具体的な算段を頭の中に描きながら下水道を駆けていたが。


「ッ!?」


 突如、側道から飛び出してきた人影に。持っていた松明と書類を取り落とす。


「おま、お前は……!」

「ここを通ると思っていたよ。間に合うかは賭けだったが、太り過ぎたな。お前の足が遅くて良かったよ」


 取り落した松明に照らされた人影の正体は、マルコであった。クラーラに触れた手には、指輪がはまっている。見れば、彼は全身傷だらけの血まみれ。生きているのが不思議なくらいであった。


「う、ら……」


 クラーラは「裏切ったな」と言おうとしたが、叶わなかった。指輪の仕込み針に塗られた毒が回ってきたのだ。


「ああ裏切ったさ、だがよぉ、俺だってお前への恨みは事欠かないんだぜ。その上消されそうになったら、一矢報いてやろうと考えるのが普通じゃないかね」

「……! ……!!」


 クラーラはもがき苦しみ、もはやマルコの言葉を聞いているのかも定かではない。数分と経たずに死ぬだろう。……マルコもまた、自分の死期は同じくらいだろうと踏んでいた。2人の暗殺者を退けはしたが、致命傷を貰ってしまった。バルドゥイーンは暗殺者ギルドの追跡と追撃を振り切ったのだ、自分も何とかなるのではないかと淡い期待を抱いていたが。


「俺に足りなかったのは技量か、運か……ともあれ」


 マルコはうずくまるクラーラを蹴飛ばし、下水の川へと突き落とした。彼女が抱えていた書類や物品も一緒に下水に流されてゆく。


「お前と一緒に死ぬのだけは御免だ。1人寂しく、汚物に塗れて死ね」


 同時に、マルコにも限界が訪れた。彼はその場に倒れ伏した。薄れゆく意識の中で、彼は小さく呟いた。


「疫病神、め……」


 それはナイアーラトテップへか、クルトへか、それともバルドゥイーンへの呪詛か。彼は答える事なく、そこで事切れた。

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