第166話「すれ違い その7」

 僕たちはインデアブルック市内に戻り、酒盛りをしていた。イリスの火炎魔法が大幅強化された事を祝っての席だ。


「凄いわよあれ!! たった2発ぶんの魔力で、5~6発ぶんは下らない威力が出るのよ!!」

「良かったねぇ」

「革命よこれは!!」


 興奮しているイリスはがばがばと酒を呷り、あっという間に酔いつぶれてしまった。ルルもいつも通り大食らいの大酒飲みっぷりを発揮し酔いつぶれた。フリーデさんも「ビールは飲むパン、ワインは主の血です」と言いながらビールとワインを交互に呑んでいるが、理性は保っている。


 僕とヨハンさんはといえば、いつもより控えめに飲んでいた。というのも、宴席が始まる前にヨハンさんが「今日は控えめにしておけ、夜にサリタリア語の特訓をやる」と耳打ちしてきたからだ。


 主賓のイリスが酔いつぶれたため宴席はお開きになり、イリスとルルを僕とヨハンさんで担いで教会宿に戻った。さていつ特訓が始まるんだろうと思っていると、宿に来客があった。この教会の牧師に連れられた、3人の女性だった。牧師が微妙な表情で説明する。


「フリーデさん、貴女に来客ですよ。なんでも、女性の身で戦闘牧師になった貴女のお話を聞きたいとか……」

「そうなんです! 私たち、信仰心に目覚めたんです! もっと積極的に神にお仕えするにはどうすれば良いか、是非お話を伺えればと!」


 それを聞いたフリーデさんは目を輝かせた。


「それはとても素晴らしい事です! 私で良ければ、何でもお答え致しますよ」


 そう言うとフリーデさんと3人の女性たち、それに牧師は礼拝堂の方に行ってしまった。


「……大丈夫ですかねぇ。感化されて戦闘牧師が増えたりしたら、この世にとって凄い損失な気がするんですけど」

「大丈夫だ、あの女たちに信仰心なんて無いからな」

「どうして言い切れるんです?」

「俺がカネを握らせて手配した、その辺の街娼だからだ。さて邪魔な護衛殿は消えたな、行くぞ」

「えっ。ええっ? どこに!?」


 ヨハンさんは宿の窓を開けながらニヤリと笑った。


「特訓に最適な場所にだよ」



 暗殺者マルコは、教会宿の窓からこっそりとバルドゥイーンとクルトが出てくるのを見ていた。彼らは会話しながら、色街の方へと向かってゆく。


((……ははあ、さてはこっそりと女遊びか。旅の醍醐味ではあるが、今日ばかりはそれが命取りだ))


 クルトは極限まで護衛が減った状態、しかも残った護衛もバルドゥイーンだけと来た。これは一挙に2人を仕留めるチャンスだ。マルコは慎重に2人を追跡した。



 夜道を歩きながら、ヨハンさんと話す。


「特訓って一体?」

「前にも話した気がするが、一番の語学訓練方法はな……娼婦と寝る事だよ」

「えっ」

「ベッドの上でしか出来ない会話ってのはあるだろ? 語彙は増えるぞ」

「なんとなくわかりますけど、ダメですよ! 僕婚約者居るんですから!」

みさおを立てるってか? 大変結構な事だが……」


 ヨハンさんはにっこりと笑った。


「……、馬車旅の先々でこっそりヤッてただろ」

「…………」


 図星である。性欲を抑えきれなくなったイリスに連れ立たれ、宿泊先の宿をこっそり抜け出しては2人で戯れていた。


「ヤるのは大変結構な事だが、もっと離れた所でやれ。盗賊の耳ナメてるだろ、丸聞こえなんだよ」

「すみません……」

「フリーデとルルが隣で寝てる中で嬌声聞かされる俺の気持ちがわかるか? ……これは半分懲罰であり、俺が2重にすっきりするために必要な行為なんだ。わかったら黙って付いてこい」

「う、うう……」


 反論しようがない。女の子2人と同じベッドで寝ながら(この世界、1つのベッドで複数人が寝るのは普通の事であるが)嬌声聞かされるのは男として拷問以外の何物でもない。申し訳なく思うが……それはそれである。イリスにバレたら結婚生活が台無しになる可能性がある。何としてもお断り申し上げねばならない。


「その節は大変申し訳なく思うんですけど、やっぱりいけない事だと思うので……お金は僕が出すので、ヨハンさん1人ですっきりして来て貰うというのは」

「年下に娼婦奢られるとかプライドが許すか! いいから行くんだよ、帰路でヤろうって気持ちが湧かなくなるくらい絞られて来い!!」

「ぬわーっ!?」


 抵抗虚しく、僕はヨハンさんに引っ張られて無理やり娼館に連れ込まれてしまった。ヨハンさんは受付の男性と話す。


「やあ、サリタリア語話せるコはいるかい?」

「居りますとも、やせっぽちですが技術は一級品の娘と、な娘が居りますが」

「……そうか」


 ヨハンさんはにんまりと笑った。


「んじゃコイツに豊満な方を、俺には痩せてる方を頼む」

「畏まりました。こちらへどうぞ」


 受付の男性は廊下へと続く扉を開けた。


「ちょっとヨハンさん、ダメですって!不純です!」

「……お前、豊満と聞いて何も感じないのか」

「そ、それはっ」


 ……正直興味はある。決してイリスに不満があるわけではないが、日々ルルの豊満なバストが揺れる様を見せつけられ、風呂屋に行けばエルゼさんが豊満な裸体をくねらせながら背中流しをしているのを見るのだ。興味を持つなという方が無理だ。こちとら16歳だぞ。


「…………」

「その沈黙は興味ありと捉えるぞこのスケベめ。物は試しだ、黙って行って来い」

「あっ」


 ヨハンさんに突き飛ばされ、僕は扉の奥へと転がり込んでしまった。こけそうになったが、むにゅ、と何か柔らかいものに受け止められた。


『あーら坊や、せっかちさんね……』


 僕を受け止めた柔らかいものの奥から、サリタリア語が響いてきた。……あっ、これ胸だ! どうやら娼婦の胸に飛び込んでしまったらしい。


『す、すみません。そういうつもりじゃ……』


 弁解しながら身を離した。僕を受け止めた豊満なバストが目に入る。


 そしてバストの下には巨大な大福のような腹が。


『元気な坊やは好きよ、私が動かなくても良いからね……』


 見上げてみれば、僕のお母さんと同じくらいの年頃の、でっぷりと太った娼婦の顔があった。


『……えっと。チェンジで』

『面白いコね、可愛がり甲斐がありそうだわ……いいから黙ってこっち来るのよ、こちとら中々客が来ないんだから、逃がす訳ないでしょうが!』

『ぬわーっ!?』


 娼婦の丸太のような腕で羽交い締めにされ、僕は廊下の奥へと飲み込まれていった。



 暗殺者マルコは、クルトとバルドゥイーンが入っていった娼館に、少し間をおいて入った。受付の男性に声をかける。


「おい、今ガキと顔面傷だらけの男が入ったよな。ガキの方に用があるんだが、通してくれないか」

「いけませんよ旦那、そういうのは出来ないんです」


 マルコとてそれはわかっている。通してしまえば、客とどの娘が寝ているのかわかってしまうからだ。誰がどの娘と寝たかというのは究極のプライバシーである。故にマルコはカネを積む。たっぷりと銀貨の入った財布を取り出す。


「商売上の急用なんだ、頼むよ。もし通さずに損害が発生したとなれば、俺はあんたを訴えねばならないかもしれない」

「……それでも、出来ません。娼館は信用が命ですので。春を売る商売なれど、客は売れません」


 なるほど、娼館にも娼館の矜持というものがある。後ろ暗い職業に就く者として敬意を感じるが――――マルコとて暗殺者として、この機を逃す訳にはいかないのだ。情事の最中というのは人間が最も無防備になる瞬間だ。2度暗殺に失敗している手前、この好機は絶対に逃せない。


 この男を殺してでも押し通る。そう決心し、マルコが指輪の仕込み針に指をかけた瞬間。娼館の扉が勢いよく開け放たれた。マルコは指輪を隠しながらそちらを見た。


「ここに少年と顔面傷だらけの男が入ってきましたね。少年の方に用があるのですが、通してくれませんか?」


 そう言いながら入ってきたのは、いつもクルトに張り付いている女性牧師であった。


 マルコは預かり知らぬ事だが、フリーデは感動するあまり、そして酔いも手伝って、けしかけられた女性3人を即座に戦闘牧師に仕立て上げようと決心し、強烈なを開始した。その結果女性3人は3分と保たずに逃げ出してしまった。しょぼくれて宿に戻ったフリーデはクルトとヨハンが宿を抜け出した事に気づき、追跡を開始していたのだ。


「ぼ、牧師様。あなたですか? 申し訳ありませんが、そういった事は出来ないんですよ。娼館は信用が命ですので」

?…… はて、そちらの殿方もクルトさんに御用が?」

「ッ……いや、人違いだったようだ。すまないな、これで失礼するよ」


 マルコは足早に娼館を出ていった。非常にまずい事態である、暗殺対象の護衛に顔を見られてしまったのだから。あの場でフリーデを殺す事も考えたが、彼女が戦闘牧師である事は装備からして察しがついている。


 戦闘牧師はパンクラチオンを始めとする、古代から伝わる近接格闘術を習得した異常者集団である。仕込み針で仕留めるにはあまりにも危険過ぎる相手だ。少しでも殺害に手間取れば受付の男性に衛兵を呼ばれてしまう手前、そのようなリスクは犯せなかった。


 マルコは足早に街を駆けながら思案する。


((……この俺が2度ならず3度失敗するとは……まるで、何か巨大な力……神にでも暗殺を阻まれている気分だ))


 マルコはプロの暗殺者であり、自分の技術にプライドを持っていた。しかし3度失敗した事により、そのプライドはひどく傷つけられていた。思考は悪い方向へと進んでゆく。


((これを機に暗殺から足を洗えという啓示か? ……いやまさか、数多の人を殺めた俺に、神が慈悲をかけるわけがない。しかしだ、実際こうも失敗するというのは不吉だ。致命的な失敗を犯す前触れかもしれん))


 マルコはそう考え、恥をしのんで仲介人に増援を要請する事にした。これで仲介人からの信用は失うだろう。しかし暗殺失敗した時に、仮に衛兵にでも捕まってしまえば――――別の暗殺者が送り込まれ、口封じのために殺されるのは自分なのだ。


 それを考えれば、仲介人の信用を失う方がまだマシだ。生きていればまた、地道に信用を積み上げる事が出来る。マルコはそう判断し、高級娼館へと足を運んだ。仲介人はそこを隠れ家としていた。

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