第160話「すれ違い」
――――東方辺境、11月の末日。明日には、開拓村に駐屯していたブラウブルク市冒険者ギルドが撤退する予定になっている。「年末年始はブラウブルク市で過ごしたい」という団員らの意向もあったし、ゲッツとの連絡のためにいずれにせよ一時帰還は必要だ。何より、一旦離れても大丈夫と言い切れる程度に開拓村の状況が安定したのが大きい。
そしてこれ以上留まっていると雪の季節になり、帰還が困難になってしまう。帰るなら今しかない。そういう訳で冒険者たちはいそいそと荷造りをし、明日の出立に備えていた。
ヴィルヘルムもまた、荷造りやら領主騎士やらの挨拶を終えると、とっとと寝てしまった。出立の祝宴も無ければ(それに割く物資が村に無い)女を口説く機会も無い(村に女性は居ない)となれば、寝る以外にやる事が無いという問題もあった。
――――その夜、ヴィルヘルムは妙な夢を見た。
「ん、んん?」
いや、夢にしてはやけに意識がはっきりしている。周囲を見渡してみれば、自分が虚空に突っ立っている事に気づいた。頬を叩いてみれば痛みも感じる。
「……夢じゃないねぇ。精神攻撃か?
そう言いながら弓を構えようとするが、そもそも弓も矢筒も、日用ナイフすらも自分は持っていないと気づいた。完全な無手。流石のヴィルヘルムも冷や汗が頬を伝う。
その時、虚空から声が響いてきた。
『貴様が感知しえぬ事とはいえ、
「……誰だ」
『我が名はチャウグナル・ファウグン』
その名はヴィルヘルムも知っていた。騎士隊が護送し、キャラバンがやって来次第、さらなる東方へと流す予定の神格。今は村の中心に置かれ、村人らには「触れるな」と固く命じてあるもの。
――――神格からの交信。ろくなものではなかろうな、とヴィルヘルムは直感した。
「……どういったご用件でしょうかね。俺、敬虔なナイアーラトテップ信者ですので、関わらないで頂きたいんですけどねぇ」
『つまらぬ嘘をつくでない、信仰心――――神との繋がりを見通すのは然程難しい事ではないのだ。貴様に信仰心など存在しない』
「…………」
事実である。ヴィルヘルムは故郷ピクトの内戦に巻き込まれてから流れに流れ、山賊や傭兵を経て冒険者になった。その過程で信仰心などというものはすっかり消え失せてしまっている。
「……それが、何だって言うんです」
『貴様の戦いぶりはここ2ヶ月、ずっと見ていたぞ。大した戦士である。その技量、冒険者と言ったか? 傭兵まがいにしておくには勿体ない』
「それは、それは」
チャウグナル・ファウグンは馬車に積み込み、厳重に布を被せて安置している。それで「見ている」とは、千里眼の類があるのか。その上でヴィルヘルムという個人を特定し、交信してくるのだから神格というのは本当に人の理解を超えた存在だなと感じる。言葉は慎重に選ばねばならない、とヴィルヘルムは身構えるが。
『単刀直入に言おう――――我が眷属となれ。ああ、貴様らの言葉で言えば
「お断りします」
得体の知れぬ神格の
『……さらなる力が欲しく無いのか。千里を見通す目、攻城弩をも引く腕力、尽きる事の無い寿命……望む力をくれてやるぞ』
「いやあ、現状で満足してますんで……それに、そういうのが欲しかったらそれこそナイアーラトテップ様に頼みますよ」
『やめておけ、対価に何をされるかわかったものでは無いぞ……何せ奴は、まともに願いを聞き届ける機能が無いからな』
「……混沌の神だから? 教会の話じゃ、善も悪も内包してるが、悪に見える時は人を試してる時で、見かけ上混沌に見えるだけって話だが」
『教会とやらは口が上手いな。……しかし否だ。奴は骨の髄、魂の根まで混沌よ。自分でも制御出来ない程に一貫性が無い。人に力を与えたと思えば、次の日には平気で其奴を破滅に追い込むなぞ日常茶飯よ』
「随分お詳しい事で」
『数億年単位での付き合いだからな、詳しくもなる。……1つ面白い話を教えてやろう』
「結構です」
ヴィルヘルムは即座に耳を塞いだ。まずナイアーラトテップを快く思っていない奴の話なのだ、どこまで真実かわからない。そして最も重大な「聞きたくない理由」だが、神格が無償で情報を提供してくれるワケがないのだ。聞いてしまえば、何か対価を要求されるのでは――――彼のそんな努力虚しく、チャウグナル・ファウグンの声はヴィルヘルムの脳内に直接響いてきた。
『太古の昔より、ナイアーラトテップは混沌の神であった。それが故に、自らが信仰を獲得するための計画も失敗し続けた。間抜けな事であるが……やがて奴は、何を思ったのか自分を無数の分身に引き裂いた。大方、混沌を司る部分を切り離してゆけば、本体には合理性が残るとでも思ったのであろう』
「…………」
『だが実際には、本体も分身も混沌を孕んだままであった! 当然であるな、泥水をいくら取り分けても泥水が分割されるだけだ。決して浄水と泥に分かれる事はない。……結果として出来上がったのは大きく力を減じた本体と、それにも劣る無数の分身の群れよ。そしてそれらは混沌ゆえに互いに協力する事も出来ず、各々が気ままに活動している――――貴様らが信仰しているのは、そんな分身の群れに過ぎぬのだ。1体に奉じても、別の個体が邪魔してくる。そういう神格よ、奴はな』
「それは、それは」
どこまで本当かわからないが、信仰心の無いヴィルヘルムからしてみれば、教会の話よりもチャウグナル・ファウグンの話の方がしっくり来てしまった。
『……ともあれ、我は違うぞ。供物を捧げる限り、一貫して力を与えよう。力による栄誉を与えよう。そして死すればその魂は召し上げ我の一部とし、無限の闘争を共にする権利をくれてやろう』
「お断りします」
『……何ゆえ』
ヴィルヘルムは、チャウグナル・ファウグンが苛立っているのを感じた。下手な嘘をついてはぐらかしたり、言葉を濁してやんわり断ろうとしては怒りを買い、殺されると直感した。――――こういう時の対処法は心得ている。ヴィルヘルムとて無敗でここまで生きてきた訳ではない。敗北し、捕虜になった経験もある。そういう時に生き残る術は幾つかあるが、この場合、つまり率直な物言いを好みそうな相手に最も有効そうなのは――――相手の関心を無くす事だ。
「いや、好きで戦ってるワケではないのでね。俺は正直、女の子口説いてればそれで幸せなんですよ。戦うのは、それ以外に遊ぶカネを稼ぐ手段が無かったからで。別に力なんていらんのですよ」
チャウグナル・ファウグンが求めているのは「戦士」、そして「栄誉」だと踏んだ上での賭け。軟弱な素振りを見せる事で(実際これはヴィルヘルムの本心であるが)、その価値観に合わない事を示し、関心を失わせるという賭けだ。
『……女など力づくで奪えばよかろう』
「そりゃ野蛮ってもんですよ、言葉で態度で贈り物でその心を掴んで行くのが楽しいんですよ!」
『くだらぬ!!』
虚空にチャウグナル・ファウグンの怒気が響く。こりゃまずったかな、と思うが――――
『……見当外れである。我の栄光を飾るにはあまりにも惰弱』
その言葉が聞こえた瞬間、ヴィルヘルムは自分の意識が遠のいてゆくのを感じた。精神を握りつぶされて死ぬのか、それとも解放されるのかはわからぬ。どちらか気を揉んでいる間に、ヴィルヘルムの意識は途絶えた。
◆
「……まーじでロクなもんじゃねえな、神格」
目が覚めると、朝であった。昨夜寝た時そのままの寝具、衣服、そして傍らに置いた装備。身体もちゃんとある。外に出てみれば、村人らが既に作業を始めている。
生き残った。綱渡りであったが、関心を失わせる作戦は成功したのだ。
「勝手に目をつけて、勝手に怒って、迷惑千万だよ……」
そうぼやきながら、ヴィルヘルムは気を取り直して出立の準備を始めた。再び目を付けられる前に、とっととこの土地を去ってしまおう。残留する騎士隊や村人たちが哀れでならないが、相手は神である。どうする事も出来ない――――取るべき行動は「無関心」だ。逃げの一手。
とはいえ神格に振り回されて苛立つのも事実。神格なぞ全員死んじまえ、と思う。
「……そうだ、奴の話をクルトに教えてやろうか」
クルトは転生者ゆえにナイアーラトテップへの信仰心を持っていないにも関わらず、その
ともあれそんな思いを胸に、ヴィルヘルムはブラウブルク市への帰還を開始した。
◆
「東方遠征組の帰還の目処が立ったので、残留組の市での待機は解除します」
ドーリスさんにそう言われた僕は、サリタリア語の勉強のために南方への旅行を計画し始めた。というのも、図書館で借りてきたサリタリア語の本がヨハンさんでは解読不能だったからだ。となるともはや、語学留学しかサリタリア語を習得しきる方法は無い。
計画は迅速に立てられ、【鍋と炎】の面子も護衛という事にして同行し、一緒に南方へ向かう事になった。
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