第159話「変態大学 その2」

「私がノルデン大学学長のレイモンド教授だが、何か用かね?」


 人生で何度か「聞きたくない言葉」を聞く事はあると思うが、今がそれだ。内戦の折に殿下から「冒険者ギルド廃止になるかも」と言われた時以上に、僕は顔を顰めていた。


 そして、そういう言葉を聞いた時の基本的な反応というのは「否定」だ。


「嘘だぁ!」

「だからうるさいって言ってるだろうがッ!」


 思わず叫んでしまい、それに反応した別の教授が再び怒鳴り込んで来た。申し訳ない気持ちになるが、せっかくなのでこの変態について聞いてみる事にする。


「すみません! でも1つ聞いて良いですかね、この変態ってレイモンド教授、ここの学長で合ってますか!?」

「そうだよぉ! そこの変態が……学長、何で全身ヌラヌラなんですか?」

「神学上の実験してた。ワックス塗りたくった床の上を滑るとさ、速度と引き換えに床との接触面が熱くなるんだよ。これはつまり、私が持っていた推力が熱に変換されたって事だろ? 凄くね?」

「……すげえ!!」


 その教授はあろうことか服を脱ぎだすと、自身も床を滑り始めた。


「ああーッ、神の恩寵を感じるゥーッ!」

「そうだろうそうだろう! 最高だろう(It must feel great)!」

「ん、んん!?」


 一瞬、変態の口からそれなりに耳慣れた言葉――――英語が聞こえた気がした。


「……へんた……レイモンド教授、今一瞬、プリューシュ語ではない言葉が聞こえた気がするんですが」

「ん? ああ、私はピクト出身だからね。興奮するとついピクト語が出ちゃうんだよね」


 ……なんてこったい! この身体が残したメモは、サリタリア語とピクト語のものが未翻訳なのだ。そして後者は話者が見つかっていなかったというのに、ここで見つかってしまった形だ。それが変態だというのが最悪だが。


「……なんてこったい……」

「で、君たち。一体何の用だね」

「ああ、ええと……」


 すっかり混乱した頭で、僕は図書館の利用許可が貰えないか尋ねてみた。


「まぁ構わんよ、入学許可を出すにあたって軽く身辺調査はさせてもらったからね。2人とも冒険者で市民権持っていて、イリス君はブラウブルク市に家族が居るし、クルト君は出自不明ながら殿下の覚え目出度いと。の事があっても請求先が明らかだ」


 万が一、というのは本を盗難した時の事だろう。本は1冊金貨1枚(50万円くらい)は下らないのだから、警戒するのは頷ける。……それにしても、殿下の覚え目出度いというのはこういう所でも活きるんだな。権威って凄い。


「だがね、その口ぶりを聞くに……君たち、聴講生身分のまま、図書館だけ利用しようとしているね?」

「えっと……はい」

「それは大変にもったいない事だよ。イリス君は明らかに数学の才能があるし、クルト君は洞察力に優れている。その才能を大学で伸ばすべきだと思うんだがね」


 褒められて嬉しいが(僕は知識チートだが)、大学に即入学しないのは理由がある。大学の講義に時間を取られてしまうと、冒険者としての活動に支障が出てしまうからだ。チャウグナル・ファウグンの言葉――――「身も心も鍛え上げるが良い」――――を完全に信じる訳ではないが、冒険者として戦闘技術を維持しておく事は、このさき生き残るために必須だと思う。


「ちょっと今は、定期的に講義に出る時間が確保出来なくて……」

「算術だけとか、ピンポイントな講義だけなら何とかなるんですけどね……」

「……やっぱり聴講生身分でもOKとか許可出さない方が良かったな! たまに居るんだよね、そうやって自分の興味のある学問だけやろうとする奴がさぁ!」

「ダメなんです?」


 大学では自由七科という、文法・修辞・論理・算術・幾何・天文・音楽が基礎科目として教えられる。これらを学んだ上で、専門科目を学んでゆくのだ。……正直なところ、自由七科の存在意義がわからない。特に天文学や音楽は一体何に役立つというのだろう?


「例えばさあ、"牧師になりたいから文法・修辞・論理だけ学びたいです" って奴は珍しくないんだけどさあ、そんな奴は牧師として使い物にならないんだよ。牧師って言うのは、人々と一緒に神の教えを解釈して広めていく役割があるだろ。を持つ人々に、だぞ」

「ふむ……?」

「自由七科っていうのは、なんだよ。例えば山を見る時にどの方角から見るか、遠近どちらから見るかで全く違うものが見えるだろ? それと同じだよ。"文法・修辞・論理だけ学びたい" って言うのは、"私は世界を3つの見方しかしません" という宣言にも等しい。ンな奴が人々に広く寄り添えると思うかね?」

「な、なるほど」


 なんとなく教授が言いたい事がわかってきた。様々な角度から物事を見る事で、全く別の側面が見えてくるという事はある。


「特に牧師なんてのは、神が作り給うたこの世界を解き明かし、信仰を深めてゆく使命も帯びているわけだ。それが視野狭窄では話にならん。ちなみに私も牧師で、専門は神学だぞ」

「牧師って頭おかしい人しか居ないんですかね??」

「多少頭おかしくないと真面目に牧師なんぞやってられないよ! ……まあともかくだ、才能があるのならしっかり大学で学ぶ事をおすすめするよ。何か全く別のものを極めるにせよ、大学で学んだ視点は絶対に無駄にはならんだろうよ」

「確かに……」


 そう言ってイリスは頷いた。彼女は魔法使いとして、この世界の原理を解き明かして魔法に転用するのが使命だ。教授の言葉は深く刺さったのだろう。


 しかし僕はどうだろう。最終的には商業に身を置きたいと思っているが、果たして大学の学問が役に立つのだろうか。


「あのう、僕は最終的に商業やりたいと思ってるんですけど、それでも大学の学問って役に立ちますか? 特に天文学とか、どう使えば良いのか想像もつかないんですけど」

「ふむ……君は銃を売っているんだったね?」

「はい」

「例えば我々が暮らすこの星は東向きに回転しているんだがね、空を飛ぶ矢弾もそのを受けて然るべきとは思わないかね? これは天文学の範囲から解き明かせそうだね」

「……確かに!」


 自転の影響を解き明かせれば、銃弾の正確な弾道が割り出せるようになるのではないか? 銃の開発というよりは射撃術の開発になりそうだが、ためになりそうだ。


「まァ本当に自転の影響があるとすれば、真っ先に影響を受けるのは我々だろうがね。自転する物体の上に足をつけているというのに、我々はその加速度の影響を受けていないようにし、本当に影響があるのかはわからんよネ」

「……何なんですかもう!」

「見かけ上の話だよぉ。合理的に考えれば影響を受けて然るべきなのに、実体験としては影響を受けていないように感じるわけだ。しかしそこには何かしらの理由があるはずだろう? それを解き明かせば、矢弾への影響だって自ずとわかるだろうさ」

「な、なるほど……」


 引力とか遠心力の話なのだろうが、教授の話しぶりを見るにそれらはまだ発見されていないようだ。義務教育でそれらへの「取っ掛かり」を持っている僕が知識チート出来そうな領域ではある。……うーん、だんだん大学行きたい気持ちが湧いてきたな。


 悩んでいると、教授は窓から差し込む光を見て頷いた。


「おっと、もうこんな時間か。暗くなる前に論文を書かねばならん、これで失礼するよ!」


 そう言ってレイモンド教授はスケート選手めいて床を滑り、学長室の方へ去ってしまった。その股間は丸見えであった。後に残ったのは全裸で床を滑っている別の教授だけだ。


「……許可もらったし、図書館行こうか」

「そうね……」

「……ああ言われたけど、大学入る?」

「凄く入りたい気持ちと、変態の群れに飛び込む恐怖が拮抗してるわ」

「僕もだよ」


 校舎の方から「教授、僕も神の恩寵感じますゥ!」「ああっエネルギーがっ、消失する事なく僕の胸にっ」という声が聞こえるのを無視し、僕とイリスは図書館でそれぞれお目当ての本を借りて帰った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る