第141話「エルデ村の怪 その3」

 ヨハンさんの投げナイフに続いて、僕は即座に鍋から持ち替えた銃を放った。


「……嘘ぉ!?」


 投げナイフはまるで岩に当たったかのように弾かれた。そして銃弾は怪物の眉間に、水滴が落ちたかのような形で歪んでへばりついていた。怪物は意に介した様子も無く、後ろ足2本で立ち上がった。大柄な人間と同じくらいの背丈だが、広げた耳――――よく見ればコウモリの羽の様に骨格が通っているのが見える――――と感情の読めない水晶のような目から放たれる威圧感に、身が竦む。


「ファイアボール!」


 イリスの声で我に返り、急いで横に飛んで射線を開けた。放たれた火球は怪物の顔面に向かって飛んでいったが、怪物は蝿を払うかのようにして鼻を振り、かき消してしまった。


「魔法もダメか!」

「いや、あいつわ! 魔法は効く……はず!でも……」


 【鍋と炎】で攻撃魔法を使えるのは僕(1発のみ)とイリス(残り4発)、それにフリーデさん(3発)だ。僕は甲冑を着た状態では撃てないので差し引き合計7発。それで倒せるかが勝負だ。やれるのか……?


 その瞬間、軽い耳鳴りと共に脳内に声が響いた。


『どうした、早くかかって来い。予を楽しませれば話は聞いてやろう。楽しませなければ、例えであろうとも殺す』


 怪物は長い鼻で僕を指していた。


「こいつ、知性が……!」


 驚愕しながらフリーデさんが僕を見た。ナイアーラトテップの伝令?話を聞く? 怪物は何か勘違いをしている可能性がある。だが、その勘違いを正した瞬間に殺される、そんな予感がした――――奴は、圧倒的強者だ。恐らく絶対に敵わないくらいに。逃げようにも、今は2本足で立っているが4つ足で走れば人より早い可能性がある。逃げれば追い殺せる。逃げなくても殺せる。ただ、戦って楽しければ会話する機会はやる。そう言っているのだ。


 僕は戦闘か撤退か決めかねているイリスを見た。


「イリス、やるしかないよ。逃げても無駄だ」

「腹括るしかないか……クルト、ルル、ヨハンさんは奴の視界を奪って! フリーデさんと私で魔法攻撃!」

「「「了解!」」」


 ――――戦闘が再開した。まずルルが前進し、怪物の左目に向け槍を突き出す。怪物は避けない。その瞬間、立て続けに3本のナイフが怪物の右目を襲った。弾かれるが、目くらましにはなる。


 ほぼ同時にイリスが無警告でファイアボールを発射。怪物は鼻を打ち振るってルルの槍を退ける。鞭のように撓り、切り返された鼻はファイアボールも打ち払う。


「喰らえ!」


 向かって左側面から近づいた僕が2丁目の銃を怪物の顔面に向け発射。弾丸が目に張り付けばよし、そうでなくとも硝煙が視界を遮る。瞬間、フリーデさんが僕の脇をすり抜け、ガントレットを脱ぎ捨てた右拳を振るう。


「改宗パンチ!」


 怪物の脇腹に光り輝く拳が突き刺さる。怪物は1歩ノックバック。


「効いて――――」


 怪物の鼻は高く振り上げられ、殴り抜けた直後のフリーデさんを狙っていた。


「スイッチ!」

「承知!」


 フリーデさんは殴り抜けた勢いそのままに、反時計回りに身を翻す。代わって僕が前に立ち、盾と鍋を頭上でかち合わせて構える。あの鼻にどれほどの威力があるのかわからない、押し潰されないように腰を低く落とす。鼻は僕めがけ振り下ろされ――――衝突する直前で軌道を逸らし、地面に叩きつけられた。足から内臓に強烈な振動が駆け抜け、衝撃波が洞穴を揺らした。怪物の鼻は深く地面にめり込んでいた。


「うっそぉ……」


 受けてたらプレス機に挟まれたかのように死んでいたのでは、と背筋が凍る。だが、何故直前で軌道を逸らした? 僕がナイアーラトテップの恩寵受けし者ギフテッドだから?


「やっ!」


 ルルが槍を上下持ち替え、石突を振り下ろした。地面にめり込んだ鼻を抑えたのだ。怪物は一歩前進し、二足歩行中の片足を腹まで引き付けた。


「退避!」

「あいー!」


 ルルが鼻の拘束を諦め飛び退る。怪物の蹴りは宙を切り、しかし鼻は地面から引き剥がされ中空に持ち上がりかけるが――――


「なら僕が!」


 鼻めがけ鍋を振り下ろす。もう一度地面に叩き伏せ、隙を作る――――そのつもりだったのだが、当たる寸前に怪物は大きくバックステップして飛び離れた。鼻も引き戻され、鍋は宙を切った。


「……?」


 怪物の動きが奇妙だ。銃弾さえ弾く身体を持っているのに、鈍器としては威力不十分な鍋を避けた。鍋に接触するのを嫌っているのか? さっきの振り下ろし攻撃も、思えば盾と一緒に掲げた鍋に当たるのを避けたのか?


「鍋だ、あいつこの鍋を嫌がってる!」


 鍋に施されている付呪は、物理防御と魔法防御が64層、それに吸魂が128層だ。そもそも付呪は物質に魔力を縫い止めるものだ、この鍋は魔法256発ぶんの魔力の塊とも言える。怪物は魔法しか効かないようだが、流石に256発ぶんの魔力がぶち当たるのは痛いのか――――あるいは吸魂を嫌ったか。


「クルトも攻撃に回って!」

「了解、いや一瞬待って!」


 物理的に殺害せずに吸魂する事は試した事がない。だがウドを倒した時のように、最低限相手の魂を知覚していなければ不可能な事だけは確かだ。意を決し、魂を可視化する。――――瞬間、地面いっぱいに高草が生えたように見えた。高草に見えたそれは水かきのついた手を持つ、異形の魂の腕だった。ヒキガエルを無理やり人型に歪めたかのようなそれは下半身を地面に埋めながら、何かを希求するかのように両腕を天に掲げていた。その手の幾つかが僕の身体を貫通している。ぬめぬめとした黒い肌を持つ腕が。


「……ッ!」


 吐き気を堪え、フリーデさんとの告解を思い出す。これらの魂はもう、生きている僕たちに干渉する事は出来ない。無害だ。鍋を一振りし、魂の1つを薙ぎながら吸魂を試みる。異形の魂は、するりと鍋に入り込んだ。無害だ、むしろ僕の力にしてやる。いける。


「いけるよ!」

「よし、第二波いくわよ! ファイアボールの後に突っ込んで!畳み掛ける!」


 イリスはヨハンさんは頷き合ってから、同時に攻撃を仕掛けた。ファイアボールと投げナイフ――――否、ヨハンさんは弾速の早い「投矢」を放っていた――――が怪物に向かう。怪物は鼻を横薙ぎにし、ファイアボールを打ち払う――――その直前、ファイアボールが軌道を変えた。ヨハンさんは、ファイアボールと射線が交差するように投矢を放っていた。鏃の鉄が斥力を発揮し、ファイアボールの軌道を僅かに下に逸らした。鼻が空振り、怪物の腹が爆炎に包まれる。強烈な熱が空気を歪めて怪物の顔を陽炎で包む。怪物が1歩後ずさる。


「今ッ!」


 視界を奪った、今が畳み掛けるチャンス。僕とルル、フリーデさんが突進する。それと同時、怪物が前足を下ろし四足立ちになる。陽炎を切って。愉悦に歪んだ怪物の目が、僕を捉えた。


「こっち見ろ!」


 ルルが目に向けて槍を突き出す。しかし怪物は翼のような耳を一振り、ルルを弾き飛ばしてしまった。


「んなーっ!?」

「ルル!」


 そんな攻撃もアリかよ! 甲冑の衝撃吸収能力を信じるしかない、弾き飛ばされたルルを傍目に突進を続ける。フリーデさんが前、僕が後ろの単縦陣。視界がフリーデさんの背中で遮られる。


「右!」


 フリーデさんが叫んだ瞬間、2人で右に飛ぶ。瞬間、槍のように突き出された怪物の鼻が左脇腹の横数ミリを通り抜けた。フリーデさんは右手を振り上げながら、一瞬僕を見た。頷く。


「改宗チョップ!」


 光り輝く右手が、突き出され硬直した鼻を上から叩いた。あんまりなネーミングだが、鼻は地面に叩きつけられた。その瞬間、既に僕は飛んでいた。背を下にするよう空中で身を捻る。フリーデさんの左肩から背中にかけて接地。背中同士が触れる。フリーデさんは引き手となった左腕をさらに引き、僕の背中を押しやる。僕は右腕を開きながらフリーデさんの背の上で回転し、地面に足を下ろせば、目の前には丁度怪物の頭が来る。


「貰ったぞッ!!」


 回転の威力を乗せた鍋が、怪物の頭を直撃した。

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